15年続けてる「何でもない1日がちょっと幸せになる朝の習慣」(sukima)
「朝起きたときにな、今日も起きることができた、ありがとう。って言って起きるんやで」
20才のころ、バイトしてたバーのマスターに言われた。
そこはカクテルも作るし、簡単なお料理もする個人経営のお店。
家から徒歩30秒のところにあったので深夜2時帰宅くらいになってもあまり心配なく帰ることができるし何よりすごいおしゃれなお店だった。
そこで20才の若者だった私は、社会のことや働くということを色々教えてもらったように思う。
だから35才になった今でもそのバーでの経験はよく覚えてる。
そのバーのマスターは当時40歳くらいの人。
マスターがお料理担当。
私がカクテルづくりや接客担当。
小さなお店で2人で仕事をしてた。
そこではお客さんともカウンター越しによく話したし、マスターともよく話した。
その話の流れで冒頭の言葉を言われた。
私はその言葉を聞いたときちょっと不思議だった。
朝起きたとき?
何か人に嬉しいことをされてありがとうって言うんじゃなくて?
朝起きたことにありがとう?
なんでだろう?
そう思いながら話しを聞いていくと、
マスターはとある有名な事故でご両親を亡くしていた。
初めて知ったからビックリした。
当時大学生だったマスターは、突然ご両親を亡くした。
残されたのはマスターと小学生だった弟の2人。
マスターいわく、
それ以上マスターは多くは語らなかったし、私も聞かなかった。
だけど、小学生の弟を抱えて多分相当な苦労をしたことは想像できた。
そのマスターが語る、
何か出来事があったわけではない、
朝起きることができたことへの感謝。
マスターはきっと私にこう言いたかったんだと思う。
実際自分の家族を亡くしたマスターだから言える深い深い言葉。
15年経った今でも私の心に強烈に刻まれている。
だからこの15年間私はかかさず起きたとき、
伸びをしながら心の中でこう思う。
「今日も起きることができた、ありがとーーーー!!」
気分が良いときは口に出しても言う。
「今日も起きれた、サンキュー!」
子供に「えっ?」って言われても気にしない。
だって、今日も朝、普通に起きれたんだもん。
こんなありがたいことはない。
そうすると、なんでもない1日がすんごく特別な1日に思える。
生きてることは素晴らしいことだ。
朝起きるということは奇跡だ。
マスター、お元気でしょうか。
私はあなたの言葉を忘れずに今日まで過ごせてます。
ありがとう。
どうかお元気でいてくれることを願ってます。
そして、このskima日記を見つけてくれたあなた。
ありがとうございます。
あなたのなんでもない今日がありがとうに溢れた1日になりますように。
ではでは、今日はこの辺で。
読んでいただきありがとうございました💛
当noteでは『フレキシブルにいこう!』をテーマに、30代フリーランスでママだけミニマルライフをしている私が日常の忘れたくない出来事をエッセイにしてちりばめています。
旦那さんと事業をしたり、
子どもが突然不登校宣言してホームスクールになったり、
ほんと人生いろいろ。
柔軟にのんびりいこう。