3.荘園と武士
荘園の発達
8〜9世紀に生まれた初期荘園❶の多くは、衰退していった。
しかし、10世紀以降になると、次第に貴族や大寺院の権威を背景として中央政府から租税の免除(不愉)を承認してもらう荘園が増加し、地方の支配が国司に委ねられるようになってからは、国司によって不愉が認められる荘園も生まれた❷。
10世紀後半以降になると、大名田堵が各地で勢力を強めて盛んに開発を行い、11世紀には開発領主と呼ばれて一定の地域を支配するまでに成長するものが多くなった。彼らは在庁官人となって国衙の行政に進出するとともに、他方で国司から圧力が加えられると所領を中央の権力者(権門勢家)に寄進し、権力者を領主と仰ぐ荘園とした。
寄進を受けた荘園領主は領家と呼ばれ、この荘園が更に上級の大貴族や皇室の有力者に重ねて寄進された時、上級の領主は本家と呼ばれた。その開発領主は、下司などの荘官となり、所領の私的支配を今までよりも、更に一歩押し進めることになった。こうした荘園は寄進地系荘園と呼ばれ、11世紀半ばには各地に広まった❸。
やがて、荘園内での開発の進展に伴って、不輸の範囲や対象が広がり、開発領主と国司の対立が激しくなると荘園領主の権威を利用して、検田使❺など国司の使者の立ち入りも認めない不入の特権を得る荘園も多くなっていった。
不輸・不入の制度の拡大によって、荘園はようやく国家から離れ、土地や人民の私的な支配が始まったが、寄進地系荘園の拡大はこの傾向を一層強めた。こうした情勢に直面し、国司は荘園を整理しようとして荘園領主との対立を深めるようになった❻。