第5章 武家社会の成長
4.戦国大名の登場③
都市の発展と町衆
戦国時代には、農村手工業の発達や商品経済の発展 によって、農村の市場や町が飛躍的に増加した。
また、大寺社だけでなく、新しく作られた地方の中小寺院の門前町も繁栄した❶。
特に浄土真宗の勢力の強い地域では、その寺院や道場を中心に寺内町が各地に建設され、そこに門徒の商工業者が集住した❷。
これら寺内町などの新設の市場や町は、自由な商業取引を原則として、市座などを設けない楽市として存在するものが多かった。
戦国大名は楽市・楽座令を出して、これらの楽市の特権を保障したり、領国の商品流通を盛んにするため、新しく楽市を開設したりした。
更に、各地方の城下町と中央の京都などを結ぶ遠隔地商業が活発にな り、港町や宿場町も繁栄し❸、大きな都市に発展していくものも多かった。
これらの都市の中には、富裕な商工業者たちが自治組織を作って市政を運営し、平和で自由な都市をつくりあげるものもあった。
日明貿易の根拠地として栄えた堺や博多、更に摂津の平野、伊勢の桑名や大湊などがその代表的自由都市であった。
また、堺は36人の会合衆、博多は12人の年行司とよばれる豪商の合議によって市政が運営され、自治都市の性格を備えた。
一方、京都のような古い政治都市においても、農村での村に対応して、 富裕な商工業者である町衆を中心とした都市民の自治的団体である町がうまれた。
町はそれぞれ独自の町を定め、住民の生活や営業活動を守った。
更に、町が集まって町組という組織がつくられた。
これらの町や町組は、町衆のなかから選ばれた月行事の手によって自治的に運営された。
応仁の乱後、戦火で焼かれた京都の町は、これらの富裕な商工業者である町衆によって復興された。
祇園祭りも町を母体とした町衆の手によって再興され、町衆の祭りとなっていった。