第5章 武家社会の成長
4.戦国大名の登場②
戦国大名の分国支配
戦国大名は、絶え間ない戦いに勝ち抜き、領国を安定させなければ支配者としての地位を保つことができなかったので、富国強兵のための新しい体制をつくることに努めた。
大名は、家臣団統制や領国支配のための政策を次々と打ち出したが、中には、領国支配の基本法である分国法(家法)を制定するものもあった。
これらの法典には、幕府法・守護法を継承した法とともに、国人一揆の取決めを吸収した方などが見られ、中世法の集大成的な性格を持っていた。
また、喧嘩両成敗法❶や個人の罪を同じ郷村に住む者にまで負わせる連座制など、新しい権力としての戦国大名の性格を示す法も多くみられる。
戦国大名は、新たに征服した土地などで検地をしばしば行った❷。
この検地によって農民の耕作する土地面積と年貢量などが検地帳に登録され、大名の農民に対する直接支配の方向が強化された。
戦国大名には、武器などの大量の物資の生産・調達が必要とされた❸。
そのため大名は、領国内に分散していた商工業者を新しく編成し直し、有力な商工業者に彼らを統制させた。
このように商工業者の力を結集した体制をつくった大名は、大きな城や城下町の建設、鉱山の開発❹、大河川の治水❺・灌漑などの事業を行った。
また、戦国大名は、城下町を中心に領国を一つのまとまりを持った経済圏とするため、領国内の宿駅や伝馬の交通制度を整え、関所の廃止や市場の開設など商業取引の円滑化にも努力した。
城下には、家臣の主なものが集められ、商工業者も集住して、次第に領国の政治・経済・ 文化の中心としての城下町が形成されていった❻。