マトリックスを通じて "it from bit"
オーストラリアの哲学者であるデイヴィド・チャーマーズ(David John Chalmers、1966年4月20日 -)はワーナーブラザーズのホームページにマトリックスの世界観に対する自身の哲学的考察を寄稿した(残念ながら2018年現在においてその記事は確認できない).
チャーマーズは,数学とコンピュータ科学(以下CSと表記)を専攻しのちに心の哲学に転向した人物であり,G.E.B(ゲーデル,エッシャー,バッハ)で有名なダグラス・ホフスタッターに師事していた経歴の持ち主.彼の論は物理主義や機能主義的な考え方に一石を投じてくれる.
当初の予定では比較的とっつきやすいマトリックスとその世界観に対するチャーマーズの論を噛み砕いて紹介しながら科学ネタを載せるところ一次情報がないため本記事の内容はチャーマーズの論を軽く紹介しつつそれらを自分なりに再構成しマトリックスの世界や僕らが存在する(と考える)世界について書いていく.
ところで"it from bit"という言葉を聞いたことがあるだろうか.この標語は物理学者であるジョン・ホイーラーが残したものだ.この言葉が意味するところはすべてのものがビットによって成り立っているということだ.(ちなみにジョン・ホイーラーは宇宙物理や素粒子物理ではかなり有名である.)
すべてのものがビットによって成り立つ.そう,マトリックスである.マトリックスの世界はアーキテクトによって"MATRIX"という仮想現実を元に電気パイプを通して共通の夢を見せているのだ.まさに"it from bit"だ.全てがコンピュータに還元される世界.
劇中,モーフィアスはネオに対して以下のように説明している.
「『現実』とは何だ?『現実』をどう定義するんだ?もし君が感じることができるものや、嗅ぐことができ、味わい見ることのできるもののことを言っているのなら、そのときの『現実』は君の脳が解釈した、単なる電気信号に過ぎないんだ。」
これを聞くたびにクラクラする.自己が揺さぶられる感覚.しかし,本当に単なる電気信号に還元され得るのか.チャーマーズは,クオリアという主観的な知覚現象(日本語では感覚質と訳される)を持ち出す.現在の物理学では主観的な体験を科学することはできない.客観的に分析できる人間の機能面についてはわかっていても自由意志や主観性までシミュレートできないのだ.そこでクオリアが新たな物理的性質を有するものであり新たな物理,精神物理学法則を作る必要があるという.
彼の主張するところは,現在の物理学を拡張しクオリアを加えることで"it from bit"を示せるということだ.これは情報学的な考え方である.コンピュータのように二進法で全てが表現されており,人間側がそれを任意に切り取り現象として認識しているというのだ.これは観察者効果と似通っており得心がいく話である.要は人間が存在することによって情報が情報足り得るということだ.
一方,マトリックスは物理主義的なものである.全ては電気信号でしかないとモーフィアスが述べているところから明らかである.しかし脳による電気信号の解釈でしかないと述べているが,よくよく考えるとその電気信号は身体全体によるものだ.ということは,脳による解釈だけでなく入出力するデバイスが必要なのではないか.これについては空の境界の両儀式が最終章にて語っている.気になる人は調べて欲しい.
クオリアはどういった存在なのか,そもそも存在するのかよくわからないものだ.しかし,この記事を書いた意義は,クオリアを明らかにするところではない.実はこの話は,自然科学や社会科学とは何か,美とは何かといった話に派生していく.次回の記事では,そういったことを書く予定.