ワンオペに夜カフェが沁みる
今夜は久々の「ひとり時間」の日。
家の一切を夫に任せて、
私が好きに過ごしていい日。
夜のスタバに来てます。
田舎なので適度に空いてる。
あーどうしよう。
普通にnoteを書こうと思ったのに
久々のひとり時間に
なんか泣きそうなんですが。
今のこの感じを噛み締めたくなったので
ツラツラと書かせてください。
この感じ、息子が2ヶ月くらいの頃
産後初めてカフェに来た時と似てる。
やっと「個の自分」に戻れたような
嬉しさと痛みがじんわり来る。
仕事をせずに
家事育児に専念する過ごし方は
穏やかなホッコリとした幸せがあって、
息子との大切な瞬間がいっぱいあって
あぁホント最高の夏休み!
一生の思い出の時間だなーと、
確かに思ってはいるんだけど
やっぱり人生それだけじゃ無いから。
私は母親だけ、
奥さんだけじゃないから。
何か欠けてる…
忘れてしまってる感じ?
寂しさ、虚しさみたいのは
やっぱり実はあったんだな。
今になってちゃんと自覚できたけど。
夜のカフェは「独身の象徴」みたい。
家族連れなんか居ない。
一人のお客さんばかりで
みんなそれぞれ自分の世界で
寛いだり頑張ったりしてる。
マイペースで、洗練されてて…
私も昔はよくカフェに行った。
何時間もジャーナリングしたり
ぼけーっと物思いに耽ったり
「自分と繋がる」大切な時間だった。
でも最近しばらくそれが出来てなかった。
息子とずっと一緒にいるって
楽しいけど、幸せだけど
毎日、毎日、毎日、毎日
家族の都合に
自分の動きを合わせる
「調整係」のように生きるのは
自由度がなくて苦しい。
日々の暮らし。
それなりに頑張ってるはずだけど
全然手が回らなくて
やり残しばかりで
自己嫌悪と自己肯定を行ったり来たり。
夫に対しても、
仕事の大変さを自分も知ってるのに、
部屋に篭って
自分のスペースを保って
自分の世界に邁進できることが
なんか眩しくて妬ましかった。
自分の時間で生きてていいなって。
愚痴ばかりでごめんなさい。
でも文字に起こせて
ちょっとスッキリした。
結論、
夜のカフェに来て泣けてくるのは
「自分の時間を生きてる人」が
集まってるからだ。
私もそんな気分になれるし
その時代を思い出して
なんとも切なくなってしまうんだな。
カフェは高いし家で十分〜
なんて思って控えてたけど
これからはもう少し行くようにしよう。
あと覚えておきたいのは
私は家族の「調整係」ではないってこと。
人生の舵は常に自分が持ち、
いくらでも選んで作っていける。
現状はどうしても調整の色が強くて
その事実を忘れてしまったんだけど、
この夜カフェで過ごしている人のように
私もいつでも
「自分の時間を生きてる人」
になることができる。
っていうか、そう。
覚えておこう。
週1くらいでカフェに行けるといいな。