「悩みがないのが悩み」を真剣に考えてみた
「悩みがないことが悩み」って定型文みたいなことを
ここ半月くらいボンヤリと感じていた。
もちろん今の生活に何の不安や不満もナーイ!
って事ではなくて色々頭を抱えることはあるんだけど、
それらは自分の中では対策のある"課題"であって
出口のないような辛さではない。
ストレスを抱えていないというか…
誰かに吐き出したい!リリースしたい!ってものが無くて。
ブレスワーク合宿でみんなそれぞれ
自分の何かとガッツリ向き合ってる様子を見たり
日々の中でそんな様子を見聞きしたりすると
「え、私、これで大丈夫なの?」
「感性が鈍くなってるんじゃない?」
「人生への本気度が足りないんじゃない?」
「ボーッと生きてんのか?(©︎チコちゃん)」
みたいな不安が胸をかすめていた。
なんか、もっと、、、
悩んだほうがいい気がするって言ったらおかしいけど
心の内に不満足感や渦巻くものがあったほうがいい気がする…みたいな。
さて、これは状況によるかもれないけど
「〜したい」じゃなくて
「〜したほうがいい」を使う時は
常識や周囲からの見え方、自分の偏見とかの
自分本心ではない外側での判断をしてる時だと思う。
で私の場合は、誤解を恐れずに言うと
「ブレスワークガイドとしては
深い心の傷やストレスがあった方がいい」
と思ってるのだと気付いた。
もしかしたら同感してくれる人も
いるかもしれないけど、私は
大きなトラウマや抱えていたり
逆境を乗り越えたりした人の方が
説得力や魅力があるようにみえる。
「過食症を乗り越えて今は食養生アドバイスしてます!」とか
「産後うつだったけどヨガで今は心身整っています!」みたいなストーリー。
ネガティブな面やマイナスにみえる時期は
その人の深み、強みになると思う。
だから
心の内側の世界に触れるブレスワークガイドとしては
なにか深いネガティブさや、
奥底に渦巻く嵐があった方がいいんじゃないか?
と思って、この穏やかな今に不安を感じてた。
そういう経験があった方が呼吸する側も
安心して委ねられるんじゃないかと。
ハッキリ言ってしまえば
自分自身に魅力や説得力が欲しくて、
それを乗り越えた美談みたいなものが欲しくて、
悩みたいと思っていたのだ。
あーーーーーーーー情けない。
安直で軽薄で恥ずかしい。
こんな考え方をしているから私ってヤツは、、、!
と自己嫌悪しても時間がもったいないので割愛。
(まぁ、スゴイ人を見て自信が揺らぎ
自分の"安寧"が"平凡"なように見えて焦るのは
致し方ないような気もする)
だから結論、
「悩みがないのが悩み」ってのは
「悩むことで自分に価値を作りたい」
「人生にスパイスが欲しい」みたいなもんだから
それはボンヤリした不安にするんじゃなく
人生を動かすエネルギーにしたらいいんだと気付いて
この問答にオチをつけることができた。
どうせまたしばらくすれば
嫌でもしんどいことは訪れるんだから
今はこの束の間の穏やかで健やかな日々楽しんだらいいよな。
説得力、魅力、深み、強み。
そういうものは毎日を誠実に生きていく中で
自然に培われていくものだ。
晴れの日も雨の日も
目指すものは変わらない。
今日も、やることやって
自分の一瞬を生きていこう。
よっしゃー