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高橋ゆな、noteはじめます。

はじめまして!

高橋ゆなです。
私は東京を拠点に、自主制作映画や舞台を中心に俳優活動をしています。

今回は初めての投稿なので、ざっくりこれまでの活動について書きたいと思います。

岐阜県に生まれ、高校演劇から名古屋の大学で演劇サークルに参加。そのころお芝居はただ楽しいものとして取り組んでいました。

大学2年生の時「三河映画」という映画制作団体の長編第二弾:映画『渇愛』(英題:映画『Ben-Joe』)のオーディションに参加したことをきっかけに、人生が変わります。

映画『渇愛』ビジュアル

作品のオーディションは落選してしまいましたが、魅力的な脚本と、映画作りへの飽くなき情熱を持ったメンバー、そしてそれまで自分が経験したことのない世界への興味から「スタッフでもなんでもやります。だから参加させてください!」と申し出、映画『渇愛』の助監督を務めることに。

プリプロから撮影終了まで約3年、助監督として参加し、素晴らしい経験と成長の日々を送ることができました。スタッフワークに取り組んだことで、「私は俳優をやりたいんだ」という気持ちを自覚し、俳優として生きていく夢を抱いて上京しました。そのとき、23歳。

23歳の時の宣材。
せっかくなので引っ張り出してみました。

右も左も分からない状態で上京し、とにかく芝居をしよう!と舞台への出演・生活費のためのバイト・演技ワークショップに毎日を費やしていくことになります。
駆け出しの俳優が無所属ともなると、オーディションなんてほとんどチャンスも無く。知り合いのツテで舞台に出演していきました。
しかし、舞台は稽古期間バイトをすることができない(ギャラはもちろん出ません。)ため、連発するとあっという間に生活が立ち行かなくなります。
稽古期間の合間を縫って、飲食店バイトやコールセンターバイト、日雇いバイトを掛け持ち週7日働きました。上京2年目からは演技ワークショップに2年、文学座研修1年、ボイトレやダンスレッスンにも通いました。
そうこうするうち、あっという間に27歳。
その間、映画には一本も出る機会がありませんでした。現状を三河映画の岩松あきら監督にもいろいろと相談させていただき、「自分で主演作をプロデュースしたらいい。短編を沢山作って『高橋ゆな映画祭』をやったらいいじゃないか」と言ってくださいました。
目から鱗でした。そうか、選ばれるのを待つのではなく、自分で機会を作ればいいんだと思いました。
「待っているだけでは何も変わらない。チャンスが無いなら自分で映画を作ってやる!」と決意を固めて始めたのがActor's Challengeです。

photo / created by Akira Iwamatsu

そこからのことは、またの機会に。


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