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高価な墓石を立てるより安くても生きてるほうがすばらしい

タイトルは、大事MANブラザーズバンドの名曲「それが大事」の一節である。

私の父方の祖母は大変なケチである。
孫である私や弟、ひ孫である甥っ子に鼻血も出さない人だ。
何かお遣いを頼まれても、代金以上のお小遣いをもらったことはない。数百円単位の買い物であれば、代金をくれないこともザラにある。祖母には、ガソリン代や手間賃という概念は存在しないのだろうか。
幼い頃お世話になった祖母に恩返し?世話になった覚えは一度もない。

そんな祖母が近年で唯一大枚をはたいたのが、墓の整備である。
高価な墓石を建てるのに、100万円支出したのである。
私は目と耳を疑った。
そんなお金があるのならば、私が父に貸している40万円、耳を揃えて立て替えてほしい。
お金を返してほしい。
孫息子やひ孫が帰省した時に、千円でもいいからお小遣いをあげてほしい。
マイホームを購入した孫息子を援助してほしい。
祖母に対して思うことは山ほどある。

祖母は4年前に脳梗塞を患い、右半身が不随となった。
当時、我が家は家庭内別居の状態にあった。
父と祖母、私と母とで食卓も洗濯もなにもかもが別々だった。
ろくに口を利かない。お互いに干渉しない。興味もない。
そんな生活だった。

祖母は家庭的な人だった。料理、掃除、裁縫に華道。なんでも器用にこなす人だった。
そんな祖母が右手・右足の自由を奪われ、どれほどやるせなかったことか、想像するに難くない。

脳梗塞を患い、そのまま入院して半年間のリハビリ生活を送った祖母。
退院してきた祖母は、10キロほど痩せ、自分でマメに染めていた黒髪は白一色になっていた。
いくらかしおらしくなって帰ってきたように思う。
今まで散々いびり倒した嫁の世話になるしかなくなって、さぞ悔しかったことだろう。
しかし、その嫁に頼る以外、生きるすべはなかったのである。

私の母は、気高く優しかった。
脳梗塞を患った祖母のため、減塩の柔らかい食事を3食用意するようになった。
あれだけひどい目にあってきたのに、その祖母にあれほどの慈しみをもって接することができる母には頭が下がる。

私はというと、相変わらず祖母への不満や憎しみが消えずにいる。
右半身が不随になって気の毒なことと、私の大切な母につらく悲しい思いをさせてきたことは別問題だ。

週に2回しかデイサービスに行かず、父に頼り切っている。
父はというと、祖母の介護のため仕事の頻度を落としている。
祖母だけのために生きている。
うつである私とその母に対して「健康な人間のことは構っていられない」と言ってのけた。
「ばあちゃんが亡くなったら俺も後を追う」と言った。

父には絶望している。
なんの期待もしていない。

父は家庭を持ってはいけない人間だった。
新しい家族よりも、古い家族や自分自身のことが大切で仕方ないのだ。
そのことについては、追々記事にしたいと思っている。

「高価な墓石を立てるより安くても生きてるほうがすばらしい」
高価な墓石を建てるほうが、生きていることよりも大切な人間もいる。
それが自分の祖母だなんて、考えたくもない事実である。

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