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【小説】風信子館の証跡 -4-
個性はひとつの目から見えるものではなく、けれどもふたつの目があれば足りるものかと思えばまだ見えない。
みっつ……よっつ……複数の目があって初めて、それが個性かが判断される。
よって、自分自身が持っているものなのに人から与えられるのが個性なのである。
多分。そうきっと。私は考えてノックし続けている。
宿直室に閉じ込められた私は、唐草の放った言葉の意味を考えているのに精一杯で、結局のところ何も出来ずにそのまま何時間も過ごした後、存在証明の失敗を取り返せずに寝静まった唐草を見計らって静かに部屋を出ていた。
知鶴。その言葉は残る館の住人である、主人が男で名が違う為私にはさっぱり思い当たらない存在であった。
十数回の夜を経験してもなお、少しも見た事無い人物の名前で、もちろんたまに日が出ている明るい時間も私やフユウが暇を持て余している際もそれに当たる人物はいない事から、私達のまだ知らない風信子館の外の人間かと思っている。
まだ日が差し込まない真っ暗な廊下に出ると、心配そうなフユウが私に飛び掛ってきた。
「ノックちゃぁぁん!やっぱそこにいたんだぁぁ!」
「あ、あぁ……。フユウ心配掛けたね」
「心配だなんてモノじゃないよ!!もっともっとの言葉で……えーっと~……大心配?チョウシンパイ?心配心配のシンパイだよ!!」
わけわからない言葉を生み出すフユウの大声、決して私達の言葉は人間には届かないから気にしない私は、軽くその頭をひと撫でしてはやっぱりどこか心無し状態。
何故かは分からないが、唐草に私達の存在証明は届いていたといえば届いていたようだけれども、馬服姉弟のように幽霊だとか神様ではない何かに間違われている事実を調べなければならない。
ずっと手掛かりを得られる場所は無いかと考えているばかりだった。
ふと、そういえばこの館に妙な部屋があった事を私は思い出す。
「フユウ。前にここから去った葦七月の部屋と勘違いした場所あったの覚えている?」
「ん?あ~っと……確かこの上の部屋のドコかだっけ?可愛らしい犬のぬいぐるみがあった場所かな!」
「タヌキのぬいぐるみだ。そう……そんな部屋……」
「そっか!わかっちゃった!うんうん行こっか!!」
何が分かったのか分からないが、さっきから行動が早過ぎるフユウは私をそのまま担いでは返答を待たずに飛んだ。
「寂しくなっちゃった時は可愛いだよね~♪」
何を考えていたのかすぐに分かったが、でもやっぱり分からないまま、でも私の考える意図だけは伝わったようでされるがまま2階の廊下に向かっていく。
以前、そこそこの存在証明を行う前に私達は人が滅多に出入りしないのに綺麗に整った部屋を発見した事があった。
もしかしたらそれは、私が聞いた知鶴という人物の何かしらのヒントがあるかもしれないと思い、フユウに言い出したのだ。
その時はまだ辞めていった葦という使用人の部屋と勘違いしていたのだが、今となっては要調査対象に変わる。
スムーズに館内を飛ぶ私達はすぐにその部屋へと辿り着いて、いつも通り声は聞こえても音は聞こえてしまうので静かに入っては調べることにした。
「あったあった~。ノックちゃん、はい!」
「フユウが持っているといい。その方が私的には助かるからね」
などと調査を邪魔されない為に適当な事をフユウに言って、ぬいぐるみで遊ぶ姿を横目に私は部屋を見渡した。
簡素ではあるが、他の部屋と比べキャンドルが多く、裁縫道具があったり書斎にある本とは毛色の違う如何にも子供向けな本や裁縫関係の本が並ぶ本棚がある。
埃もなく掃除が行き届いている事から、やはり生活観を感じざるを得ない雰囲気に、写真立てが並ぶ机の上を私はまず調べた。
写真には私が知っている馬服姉弟が今よりも前の子供時代らしき物もあれば、一瞬目を疑うほどに女学生2人の写真があって、多分片方は目つきが唐草っぽい。
その隣は……元使用人の葦だろうか。あまりその姿を覚えていない私にはピンと来ないが映っている。
他には、これもまた若い頃だが最近姿を見ていない館の主。江種紳の姿があった。
夜に存在証明を行っている為滅多に会わないが、江種というこの風信子館の主は唐草と比べると険しい表情しつつも穏やかなオーラがあり、夜だとあまり気付かないが藍色の風信子館を背に撮っている。
唐草と似た歳であろう江種の姿も、案外分かるものだな。
写真に目を通した私は、前訪れた時はしていなかった机の中身を見る事にした。
鍵穴が存在する一番上の引き出しだったが、鍵がしているわけでもなかったのですんなりと引き出せ、中には一冊の本が仕舞われていた。
「これは……スケジュール帳か何かかな?……いや、日記帳だ」
その本を手に取っては躊躇なくページを捲り、私は目を通す。
◇◇◇◇
1月29日。
望と一縷の成長は早いな。
私と紳、寧々や七月さんと見守っていくと決めてから早19年。
真面目過ぎて心配だったけれど一縷に彼女が出来て、望が私達みたいに幸せな夫婦を目指しなさいと話しているのを聞いた。
照れちゃうな。我が子の様に育ててきた子にそう言われると。
1月30日。
私と寧々と望と七月さんの4人の女性だけのティータイム。
一縷の事が気になって仕方ない望は、やっぱりお姉ちゃんなんだなぁって思うほどに私達に一縷の恋愛についての話ばかり。
つい寧々と一緒に望も恋をしなさい、っておばさん心出ちゃった。
でもね、人を好きになる事はとっても大事。望も知ってほしいな。
1月31日。
寧々にずっと訊きたかった事と言いたかった事を言った。
まだ私は危なっかしい能天気な子かな?
昔から私を見守り続けてくれた寧々は、ずっと私や紳を支え続けてくれた。
お人好し過ぎる私と家族の暖かさを知らない心を閉ざした紳、寧々の目には今どう映っているのか気になって。
まさか、今となっては2人の幸せを支えたいのよ。
と言った寧々は私の不安を取り除くほどに優しい表情をしていた。
ありがと。おかげで私は幸せだったよ。
2月1日。
紳に私が準備しているイタズラを見られちゃった!
相変わらずだな、と笑う紳の顔は成功した時に見たかったけど、まいっか。
いつの間にかお父さんを憎み、嫌々この館に来た時とは違うほどに紳は穏やかに笑うようになったなぁ。って泣きそうになった。
だって、あなたを笑わせたくって始めたイタズラ。
それがいつしか皆を笑わせたくって大きくなって、こんなにも見たかった笑顔を見せてくれるんだもん。
こんなに嬉しい事はないわ。
2月2日。
紳と一縷がデートにはどんな服装が良いか会議しているところを覗き見ちゃった!
どうやら2人で服を見に行って買ってきたらしい。
う~ん。でも、私的にはどれも微妙だよ。最近の子の服は分からないけど。
私最近良い本買ったから作ってあげようかな?なんていったって一縷の初恋を応援したいもの!
けどやっぱり既製品が良いかもね。
それにしても本当の親子みたいで、いつまでも見たい景色だったなぁ。
2月3日。
思ったよりも時間は無いのかもしれないって、私の幸せで埋めたかったこの日記帳を書く時間すらも短いと思った。
今日はずっとお部屋の中で皆の顔を見れる回数が少なかったから。
沢山見てきたんだもん、仕方ないよね。
2月4日。
空白。
2月5日。
空白。
2月6日。
一縷へ。
彼女さんはとっても良い子。あなたの優しさがあればきっと幸せな家庭を築けるわ。自信を持って、時には支えられながら守ってあげてね。
望へ。
誰かの幸せを願い続けるのは寧々と似ているけど、あなた自身の幸せも見つけてね。
良いものよ、誰かの笑顔を見れた幸せは。寧々もきっとそう思うわ。
七月さんへ。
いつもイタズラの手伝い感謝しているわ。
あなたも皆の笑顔を作ってくれた。最後のイタズラの準備終わらなかったけど、最高に楽しかったわ。
寧々へ。
私の人生で最高の親友。
あなたの紅茶に合うお菓子作りを練習してるから、またお茶会出来る日を楽しみにしてるわ。ゆっくりね。
紳へ。
最愛の人。あなたと出会えて私は本当に幸せでした。
家族も悪いものではなかったでしょ?
あなたの名付けた風信子館の家族を大切にしてね。
ずっと愛してるわ。
◇◇◇◇
それ以上の記入は無かった。
静かに日記帳を閉じる私は、先程勘違いした写真立てに目を向け、女学生2人の写真の片方は葦ではなく館の主である江種の妻、知鶴という人物だという事を知った。
ピタリと終わりを告げている日記帳の文。唐草の放った言葉は日記帳の一文から。謎に思っていた知鶴という人物に間違いないと確信を得る。
そしてこの知鶴という人物が一体今どこにいるのか、どうなっているかはまだハッキリとしないが、私達の存在証明を滞らせているものだというのを決定付けるのに十分過ぎた内容だった。
「さて、フユウ。そろそろ……」
ガチャリ。と音を立てて私達のいる部屋のドアノブが回り、開く。
「寧々さん、朝早くどうして知鶴様のお部屋に……?」
「別に何もあったりしないわ。望も付き合わずに一縷を起こしに行きなさい」
馬服姉!?唐草!?それに朝……!?
気付いていなかった。宿直室に閉じ込められた上に、一直線に知鶴という人物を調べる為に部屋を調べ、日記帳を読み込んでいて時間に意識が向いていなかったのだ。
その油断が注意力が働かない状態でばったりと望と唐草に部屋で会ってしまう現状を生み出してしまった。
慌てて日記帳を机の上に置いたのだが、仕舞うことが出来なかった。
フユウの方はというとぬいぐるみをいつの間にか手放しており、隣で日記帳を読む私を覗き込んでいたので問題なかったが、大きなミスは私が犯している。
しまった。という思いが頭いっぱいに浮かぶ。
「……何故、知鶴の日記帳が机の上に?」
「え……あ、本当ですね。寧々さんでなければお館様でしょうか……?」
見逃されるはずが無く、あっけなく見つかる私のミス。
とりあえず、こうなっては仕方ないと私はフユウに脱出の作戦を伝えると、開け放たれた扉に向かった。
だが、再び唐草の妙な言葉が耳に入り、足が止まることになる。
「そういえば貴方、最近この土地の昔の神様を調べたそうね」
「はい……!ここ最近一縷が幽霊幽霊って騒ぐものですから、調べていました」
「知鶴は亡くなる前、この地に昔奉られていたという鎮守神の鏡心様を調べていたわ」
鏡心様……?
運が良いのか悪いのか、知鶴の現状を知れたのは幸いだったが、私の悩みを減らしたくない運命のいたずらとも言い表せる次なる謎が飛び込んだ。
予想外なる存在証明の失敗に始まった夜から明けるまでの時間。
積み重ねた私達の努力は崩れるばかりか、それは今までを無かった事にするほどの絶望を私は知ることになる。
その事を知らせるように、隣でいつも能天気に笑うフユウの表情が固かったのだった。
私達の存在とは……。
―――風信子館の証跡 第3章に続く―――
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