DAYS1 夜

定時が近づいて来て、社内全体が騒がしくなった。
他の部署で何か問題でも発生したのだろうか。
ここまで何もなく過ごせて、定時に上がれそうだと言うのにこちらに問題が派生してこなければいいのだけれど。

それに今日は、絶対にドラッグストアに行かなければならない。ナプキンのストックが無い不安を早く払拭したい。

トイレに行った時に、家から持って来た夜用ナプキンと替えたのだがやはり夜用だと動きづらさは否めない。
周りには気付かれてはいないだろうが、匂いも気になる。体内から出てくる余計な血。

それなりの生臭い匂いがする。

この周期の時の家のトイレの匂いですら、未だに嫌悪感を抱く。

突然、部長の内線が鳴った。怠そうに出た部長だったが、みるみる顔色が変わり、その表情は焦りに変わった。

「はい、はい、こちらも人員を割けるように調整いたします。」

嫌な言葉が聞こえて来た。
この部署からの応援も必要な問題が発生した、という事か。

「みんな、すまんが今日は出来る限り残業してくれ。詳しいことは明日の報告になると思う。
明日、明後日・・・いや、今週中の仕事を出来るだけ早めに終わらせて欲しい。
無理なことを言っているのは分かっているが社内で緊急事態が発生しているとだけ伝えておく。
明日は何人か別部署の助っ人にも行ってもらうことになる。終電までとは言わない。せめて二時間・・・いや、三時間でも残ってくれると助かる。」

定時の針と共に部長の声が響き渡った。

こういう時に限って緊急事態。

キュルルル ドロドロォォォ

あぁ、こっちも緊急事態。
バッグの中の替えのナプキンはもう無い。

濡れた状態のナプキンで、家に帰るまで持つだろうか。いつ帰れるか分からないこの状態じゃ、ドラッグストアに寄って帰ろうなんて叶わない望みだな。

赤ちゃんのオムツを替えないとかぶれる様に、こっちだって濡れたままのナプキンを着用し続けるとかぶれる。
場所が場所なだけに気軽に掻くことも出来ない。なんだよ、この不快感。

ふと思い立って若宮に、小さな声で問いかけてみる。

「・・・若宮、あのさナプキンなんて持って来てないよね。」

「え、替え持って来てないの?」

「さっき使っちゃったんだよね」

「えー。私、自分のタイミングの時しか持って来てないんだわ。ごめんね」

「いいよ。こっちこそ、ごめんね」

そうだよね。
ちゃんと定期的に来て、周期を把握してる人はそういう人が多いよね。私もそのタイプだもの。

じゃあ、今日は本当にこれで我慢するしか無いな。

問題は何時に帰れるか、だ。
とりあえず、明日に回した書類整理とデータ入力だけはやって帰ろう。
明日や、その日にならなければ分からない仕事以外のできることをできるだけ終わらせるしか無いもんな。

仕事が一段落して時計を見ると、20時を回っていた。ドラッグストアに行けないことが確定した。少しだけ希望を持っていた自分を呪った。

定時の時に分かってたことじゃん。
少しでも期待した自分がバカだったんだよ。
それよりも何よりも、週明けでこんな仕打ちをしてくる会社を呪ってやりたい。
何があったのかは分からないけど、他部署の問題にこっちまで巻き込んでさ。

「みんなぁ、どんな感じだ。」

部長の声が、シーンとしてまるでお葬式みたいな部署内に響く。
誰も返事をしようともしない。月曜日から、なんの理由も聞かされずに残業させられているのだ。この状況が少なくとも、二、三日は続くだろうということがみんな何となく分かっている。

「今日、これ以上やっても進まない業務が出てくるだろう。できる限り進めて欲しいが、終電目安に切り上げてくれ」

もう帰っていいじゃなくて、終電目安とは。
ホワイト企業だと思って入社した。今までもこんな事は本当に緊急の案件の時くらいしか無かった。今回は本当に大きな事なのだろう。何があったのか、気になってきた。

「さっき、トイレ行った時にチラッと聞いたんだけどさ」

周りには聞こえないくらいの声で若宮が話しかけて来た。

「営業部の森本さん、辞職したらしいよ。何があったのか知らないけど、辞職って言っても半強制的らしい」

営業部の森本さん。
営業成績も常にトップで、人当たりの良い三十代半ばの社内の有名人だ。
仕事はできるし、顔もそんなに悪くないから女子の間でも人気があるのは知っている。そんな人が半強制的に辞職するのか。今のこの現状と、森本さんの辞職は関係しているのか。

「そうなんだ。会社も惜しい人を辞めさせたもんだ」

「なんか、問題あったらしいよ。」

「ふーん。」

今はゴシップよりも、自分のナプキンのことで頭がいっぱいだ。
仕事は大分終わりに近づいてきている。
そして、ナプキンの蒸れも最高潮に達している。排出をコントロールできないこの不快感。
ナプキンを替えることができない不快感。終わりの見えない今日の仕事。

ストレスで頭が爆発しそうだ。

キュルルル

不定期にくる、この下腹部の痛み。それに伴う、腰痛。私、退勤の時にしっかり立って歩けるだろうか。
腰が安定しないので、足を痛めた時のようにヒョコヒョコしてしまいそうだ。

ドロォォォ

そして、流れ出る血。あぁ、発狂しそう。

周りの目があるから、そんなことはできないのが分かっているし、労ってくれなんて思ってないけど、この不快感から少しでも早く解放されたい。
なんだか、泣きそうだ。頑張って耐えるしかないのだけれど、頑張る気力も底をつきそうだ。

やがて、終電が早い人からポツリポツリと帰宅して行った。
時計を見ると23時。私も帰宅の準備に取り掛かる。なんとか、精一杯仕事を終わらせたのだが明日のことを考えると気が滅入る。

「高橋、今日は大変だったねぇ。私もボチボチ帰るわ」

若宮もまだ残っていた。若宮が背伸びをすると、バキバキッと背中が鳴る音が聞こえた。

「家に帰ってもゆっくりは出来なさそうだけど、とりあえず帰るわ。先にごめんね」

「はぁーい。お疲れ様ぁ」

席を立とうとすると、ずっと座っていたための腰痛とゆるゆるの骨盤のせいでいつも通りに立ち上がることができなかった。少しでも動かすと痛い。
一度ギックリ腰になったことがあるが、その時のように慎重に動かないといけない。

ふぅーっと息を吐き、立ち上がるために気合いを入れる。よしっと、その気合いで無理矢理立ち上がり、カバンを持って歩き始める。

「また明日」

「はぁい」

今日みたいに腰が痛くなる日があるなら、ヒールのない靴を買ってもいいのかもしれない。でも、元々そこまで背がある訳ではないから社会人になってからはずっとヒール靴だ。

会社を出るまで、他の部署の人とも何度かすれ違ったがみんな疲れ切った顔をしていた。

心の中で自分と、その人たちにお疲れ様を言った。
ナプキンのムレも限界だ。

早く家に帰りたい。

その前にコンビニに寄って昼用のナプキンをなんとしてでも買わなくてはいけない。あるのと無いのとでは、安心感が違う。ついでに、夜用の補充もしておこう。

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