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のんでも、のまれても

前編↓

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 腹からでると、まだ小雨が降り続いていた。それから走って家に帰って、ビーフシチューを食べて、それから、友人に本を返しに行った。
 本も返したし、今すぐにやらなければならないような急ぎの用がなくなり、こういうときは、なにも心配することがないから、安心してやりたいことに取り組むことができる。
 料理をしようか、いや、今台所は母さんが使っている。映画を見る?いや、そんな気分でもない。そういえば、使わずにそのままになっていた油絵具セットがあるのを思い出した。今日は絵を描くとしよう。
 モチーフは、なんだっていい、ここにあるスプーンだって、椅子だっていい。とにかく、絵を描きたいのだから。スプーンを手に取って、よく観察してみる。そこに写って歪んだ形になった僕は、なにか別の生き物みたいだ。あのときの、大蛇のように。
 僕のことをのみこんだ大蛇を思い出して、絵筆を走らせる。もっと、目は鋭かっただろうか、体は力強かっただろうか。
 案外すぐ、絵は完成した。色も形も理想通りの、なかなかの出来栄え。部屋に飾ってみよう。一度は僕をのみこんだ、あの大蛇を、窓のすぐ隣の壁に飾ってみよう。それにしてもあの大蛇、絵にしてみると、なんて面白いものなのだろう。下手したらこの部屋だって、この絵のおかげで、洒落たものになった気さえしてくる。
 殺した大蛇をモチーフにするなんて、悪趣味だろうか。やっぱり椅子の方に目を向けるべきだったかなんてことも思うけど、過ぎたことを悔やんだところで、僕に変えられるものはなにもない。僕が大蛇を描いたのは、一体どうしてなのだろう。大蛇への罪悪感からくる弔いの気持ちだろうか。それとも、のまれた憎しみの気持ちを成仏させるためのものなのだろうか。
 ビーフシチューの匂いがしてきた。母さんがまた、僕の為に作ってくれた。テーブルに置かれた作りたてのビーフシチューは、湯気を立てている。湯気が立ち上って、ここからさっき描いた絵を眺めると、蜃気楼みたいに、絵の蛇がゆらゆらと揺れる。殺してしまったはずのあの大蛇が、まだ生きているみたいにみたいだ。
 ザァッっと、雨の音がしてきた。さっきまで晴れていたから、このビーフシチューを食べ終わったら、薪割りをしようと思っていたというのに。仕方がないから、今日は家で過ごすしかない。僕は、ビーフシチューの作り方を母さんに教わるべきだろう。自分で作れるようになったら、食べたくなったときにすぐ作って食べられるし、きっと母さんにも食べさせて、喜んでもらえるに違いないのだから。


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