個の倫理と場の倫理による混乱の原因 第2章第1節
この論文の第2章、第1節です。
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父性原理と母性原理のそれぞれが優勢になった社会では、個人に対する価値基準が違うことは第1章で書いたとおりである。現在の日本は、この2つの原理が混乱して存在している。その現象はあらゆるところで見られる。
2つの原理が混乱して起こる現象の例
外国のジャパンバッシングが絶えないのも、それが原因である。外国の倫理観だから、日本人ははよく理解できないのに、対決を恐れるので(母性原理だと対立はいらなくなる。)とりあえず言われたままにする。だから本質的には何も変わらず、叩き続けられるのである。モノサシの一本化で問題になっているの現代の教育にも当てはまる。
と河合隼雄は指摘している。
母性の絶対的な平等の中で、一本のモノサシという「場」に閉じ込められる。それは、「試験」という父性原理で切断される。そして「おちこぼれ」になる。一本のモノサシしか与えられなかった子供にとって(他のモノサシは価値がないとして削除されていく。)そこから切断されるのは、耐えられないほどのつらさを味わうのと同じである。子供は親や学校のおかげでそうさせられたと思い、反抗する。親は子供が狂ったと思う。そこまで思わなくても「親がこんなに努力しているのになによ!あの態度」という気持ちになる。お互いに本当の理由がわからぬまま、思い悩むのである。
これはタテ社会の中でも存在する。これについては河合隼雄の意見を引用してみたい。
このことに気がつかないと、いつまでたっても同じことを繰り返してしまうのである。
いつからこの混乱が始まったのか
このような問題は、本質が見えづらい。その本質とは、これらの場合母性原理と父性原理の混乱によって起こっているのだが、その混乱はなぜ起こったのだろうか。
その直接的原因は、第二次世界大戦に日本が負けたことによって起こった様々な変化である。その様々な変化は、大きく2つのグループに分けることができる。
1つはそれまでの天皇制の崩壊である。丸山真男は、戦後いち早く天皇制のことを無責任体制と呼んだそうだが、戦前だったらそんなことは言えなかっただろう。つまり、天皇制に疑問を持つことが認められてなかったのである。戦後になると、それまでの日本という強烈な場の統率者であった天皇が一応否定されたのである。それは同時に論理的に良い悪いではなく、場の調和のために良い悪いを判断する、母性原理の統率者出会った父親像を否定することになった。よって家庭での父親の権限も次第に薄れていった。
それまでの日本では耐え忍ぶことが美徳の1つであり、忍耐力の訓練(文句を言わずに従う)は十分にされてきた。「場」の中で「甘え」を享受するには、自我を殺す忍耐力を必要とした。しかし、耐えることを教え場を統率する存在(日本における理想的な父親像)は否定される。
それによって「場」に耐える人間性は消えたが「場」に頼る人間性は消えなかった。忍耐というブレーキを無くした時、甘えは氾濫していった。
もう1つは、日本を包んでいった民主化の波である。父性原理に基づく個人の自由の尊重という新しい価値が日本に入ってきたのである。その代表的なものが、日本国憲法である。それまでの明治憲法では、国の主権は天皇のもので、個人の自由は法律の範囲でのみ自由であり、実質的には自由はないに等しかった。(天皇は法律と同じ力を持つ勅令というのを出せた。)日本国憲法では、実権は国民にあり、「すべての基本的人権の享有を妨げられない」ものであり、「思想や良心の自由」「表現の自由」が正式に認められたのである。
しかし、これまで個人の自由を尊重するという価値観を持ち合わせていなかった日本人は、それに伴う責任やそれによって起こる対立というものになれていなかったため、それらを無視するような民主化になってしまった。この2つは複雑に絡み合い。民主的になったのに場がなくては生きていけないという倫理の混乱状態を産んでいったのである。