旅立つ前に旅立たれ件
昨日は七夕。
そして東京都知事選投票日。
国東に来てちょうど2ヶ月経った。
すでに埼玉での生活を忘れかけている自分がいる。
きっと埼玉にいたなら、内海氏の演説の追っかけをしていたことだろう。
選挙権ないのにねえ。
テレビ見てないので結果は知らんけど今回の彼の出馬はこの国を変えるきっかけになるかも知れないと感じている。
東京都民の皆さんは自分の頭で考えて、ふさわしい首長を選んでくれたのかな?
まあ、政治的な話は苦手なのでこのくらいで。
国東と埼玉の生活で決定的に違うのは定職がないということ。
高校卒業してから、ずっと仕事をしてきた。
それが当たり前だと思っていたから。
結婚しても子供が産まれても仕事を続けてこれたのは、ちょうど育児休暇制度が始まり周知されてきて取得しやすくなったから。
実家の近くに住んでいたので保育園や学童のお迎えは父と母に頼んで行ってもらっていた。本当、父と母には感謝しかない。
その父も母も亡くなってしまい、墓にも入れてあげないで遺骨を大事に国東に持ってきたのだ。
母が亡くなった時、大平山の墓石のない墓地があったのだが、うちは2人姉妹なので父と母しか入らない墓を建てることに抵抗があり、とりあえず遺骨をそのままにしていた。
父には「爺ちゃん死んだら、どうするか考えるわ」と言うと「お前の好きなようにしろ」と言ってくれた。
そして私が国東に旅立つちょうど1ヶ月前の4月7日に帰らぬ人となった。
国東に移住するにあたり、大学生の子供達はいつかは巣立つんだから、両親が家を出て行ってしまっても問題ないと割り切った。
亡くなる3日前、施設と病院を行ったり来たりしている父の今後については三鷹に住んでる妹に託すことを入院先の病院に報告に行った。その頃は面会制限があり私と妹は別々に面会した。
私「国東に行ったら急には帰ってこられないけど、洋ちゃん(妹)がすぐ来てくれるから心配しないで大丈夫だからね、施設に戻ったら夜間は看護師がいないからね、苦しくなった時は酸素の管は介護士さんはいじれないから、自分で何とかするんだよ」
父はポツリと一言
「そん時にならないとわかんねーな」
私「もっと元氣になったら大分の施設探して迎えに来るから元氣になるんだよ」
父はうんうんとうなずいた。
私「じゃっ!来週また来るからねっ!」
これが父との最後のやり取りとなってしまった。
「大分行きたかったなあ」と父が妹に言っていたと聞いた時、ああ、自分がもう長くはないことわかっていたのかと涙が出た。
息が苦しくなって、ナースコール押したんだよね?
まだまだ生きようとしたよね?
なんで国東に旅立つちょうど1ヶ月前?
それは1ヶ月あれば葬式やら諸々の手続きやらを終わらせることができるから。
爺ちゃん、なんで私にそんな氣を遣ったの?
もっともっと生きてて欲しかったな。
今日、借りている家があまりに暑いのでエアコンを買いに40キロ先の街まで出かけた。
昼ごはんは久しぶりに「はま寿司」。
父の大好きなあさりの味噌汁は少しだけしょっぱかった。
エアコンの設置は安定の国東アルアルの2週間先、どうすんだよっ!
爺ちゃん、国東は埼玉と変わんね〜よ!
暑過ぎるわっ!
眠れない夜はまだまだ続く、、