言語と身体に関するメモ(随時更新)

自分が言語優位でそちらの方がセンシティブに受け取るからこそ、身体に興味があるのかもしれない。でもセンサーは言語のほうが強いから、結局言語優位に解釈してしまう。

言語による安心が欲しいし、言語による秩序に安心する。

考えていることは身体、態度、行動に立ち現れるが、それを的確に捉え解釈するためには身体のセンサーとボキャブラリー(身体のことを言いたいのに言語的になってしまう)が必要。

もしくは、何かの違和感、不自然、自然、心地よさを感じたとしても、それを言語的にもしくは身体的に抽出しなければ表現できない?

いや、そうではないかもしれない

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
コリント人への第一の手紙13章 2節

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