あたまをぶつける
私は子供の頃からよく頭をぶつけている。
母から「頭悪くなるから、注意しなさい!」と良く言われたことを思い出す。多分悪くなったので、もう仕方ない。
大きくなってからも、ちょくちょく頭をぶつけている。さすがに、たんこぶは作らないが、年に数回ぶつけていると思う。
痛い。
最近2度続けて頭をぶつけてしまったので、ここに書いておこうと思う。
1度目は入道崎の祠でぶつけてしまった。
入道崎は男鹿半島の突端にある岬で、その突端に海上安全を祈願した地蔵を祀ったコンクリート製の祠があった。
祠で手を合わせて、お賽銭を入れ、立ちあがろうとしたとき、コンクリート製の庇に前頭部をぶつけた。
いたたた。
ちょっとだけ、ぐわっと、気分が悪くなりかける。これはなにか不吉な前兆では!?と不安になったりもするが、空は晴れていて、さわやかな風が吹いているだけだ。
その後、何事もなく無事に旅が終わり、秋田空港から飛行機に乗った。
2度目はその後だ。
飛行機は20分遅延していて、とても眠い中、飛行していた。眠くもありながら、折坂悠太さんが書いた著書『薮IN』を読んでいたので、機内では一睡もしなかった。
客室乗務員の方が、着陸がもう間も無くであるとアナウンスで伝えている。遅れは10分に縮まったらしい。それでも平謝りしている。10分も縮められたのだから、喜んだらいいのに。私ならこのようにアナウンスする。
「みなさま、当機は20分遅れで秋田空港を離陸しましたが、なんと、10分まきかえし、10分遅れで羽田空港に着陸します!」
ここで拍手だ。
そんな妄想をしていたら、ズドンと振動が体に伝わる。何度飛行機に乗っていても着陸時の衝撃はドキドキして緊張する。
飛行機は無事に着陸したらしい。普段だとここで端末の機内モードを解除するところだが、今日は本の続きが気になるので、端末はポケットの中に入れたままだ。
飛行機は比較的長くタクシングしている。ターミナルから遠い滑走路に着陸したのかもしれない。
そのうちに、本を読み終えることができた。ほっとして、電波を受信するために機内モードを解除する。
解除した途端、たくさんの通知が届く。
「おぉ!」
待ちわびたメッセージに気がつく。
その瞬間、ベルト着用サインが消える音がして、周りが立ち上がる。
私も無意識のうちに(というよりもメッセージの内容に気を取られ)ベルトを外し立ち上がる。
いたたた。
今度は飛行機の天井に頭をぶつけてしまった。
でも今回は吉兆のような気がしてくる。待ちわびた知らせが自分に届き、それが良い知らせのように聞こえる(本当のところは、それが良い知らせなのかもはっきりとはわからないことだったのだが)
不思議だ。同じ「あたまをぶつける」という自分の不注意による負傷なのに、感情の動きがまったく違う。
この先、適当な解釈をはじめることも可能だが、今夜はやめておくことにする。
おやすみなさい。