口がスオミ
朝だ。夢の中でInstagramを見ていて「なんで夢の中までもSNSを見なくてはいけないんだ」と憤る。でもなんだか今朝はふわふわとした感じがある。ここ一ヶ月ほど、目覚めが悪い日々が続いていたが、今朝はなんだか違う。
それは他人の家で目覚めたからかもしれないし、寝る前にビールを飲んだからかもしれない。
他人の家のカーテンを開けると、まぶしく暖かい陽の光が差し込んでくる。早稲田の光だ。夏目漱石もこの朝日を感じていたのだろうか。
家主も起き出してきた。
私が「朝は何を飲むの?」と聞くと、
「カフェインを抜いているから、カフェインレスのインスタントコーヒーかな。あ、でもイスラエルのお土産のトルココーヒーがある。飲んでみようか」
家主はヘブライ語で書かれたコーヒの飲み方を解読している。
私はその間にヤカンをすすぎ、湯をわかす。
太陽がヤカンにも差し込んでいる。
ヘブライ語の解説によると、コーヒーを入れた容器に沸騰した水を入れ、待つらしい。なるほど、煮出して待つエチオピア的な淹れ方なわけだ。
パッケージにハサミを入れると、コーヒーとスパイスの香りが漂う。
「なんだか、スパイスの香りがする」
「カルダモンかな」
(私は読めないが)飲み方に書かれているように、ティースプーン山盛り二杯をポットに入れ、沸騰した水を注ぐ。カルダモンの香りが広がる。
コーヒー豆が沈澱するまで待つ。そう、この淹れ方だと、待つ時間がとても長く感じるのだ。そして待たないと、粉が口に入ってしまう。良き結果を得るために、待つことを含んだレシピなのだ。
沈殿したコーヒー豆がカップに入らないよう、慎重に注ぐ。うん、いい感じに注げたと思う。
「そういえば、シナモンロールがある」
一つのシナモンロールを二つに分けて食べる。シナモンとカルダモンそしてコーヒーが混じり合う味は、私にとってはフィンランドの味だ。口の中がフィンランドになる。いや、スオミになると言いたい。
冬の入り口の太陽の光は、多くの空気を通ってきているためか、ぼんやりしていて曖昧だ。曖昧な光、ままならない生活、SNSによって拡張する感覚、サイボーグ化する私たち。すべてが愛おしく感じる朝だ。この気持ちを残しておきたくて、ここに書いた。
口の中がスオミのまま、早稲田の家を出た。