親の身勝手な思い出はオペラと共にウイーンへ
こういうケーキってまず普段は買いませんよね。我が家はお誕生日だって手作りか、さもなければより栄養のありそうなフルーツたっぷりの千疋屋の物などを買ってしまうのですが、今日は自由ヶ丘のダロワイヨでこちらを購入。
なんでかというと、今朝出かけにちび子がとても落ち込んでいたんです。この人はちゃんと自分の気持ちを伝えてくるので判り易くていいんだが、その理由までは話してくれない限りは聞かないようにしています。もうティーンだし、いくら母娘家庭だとは言え、お互いのプライバシー・境界線も必要だと思うから。
で、私と同年代の方はピンとくるかもしれないのですが、今週って、そう米国大学の一般受験の結果が出るタイミング。ちび子はアーリーで滑り止めは確保しているものの、本当に勉強したい専門分野がある大学は一般で受けているので、本人はともかくも親の私が気が気ではなく・・、でそれを顔に出さないように、知らんぷりしているように・・でも、でも、でも。
だから、朝「具合が悪くて学校をお休みする」と、言われたので、そりゃ当然そう思うでしょう、親としては。しかも米国月曜日に発信したメールが届くのがちょうど日本の火曜日だし。
という訳で、いつもならランチボックスに詰めるべきものをブランチとしてお皿に出して(茹でブロッコリ・アスパラ・レタス・胡瓜・トマト・半熟玉子・出来合のヒレカツ・マフィン・オレンジ・ミニキウイ・ライム・パイナップル)を準備してから仕事へ。しかもベッドでしょんぼりしているから枕元にウオーターボトルにミントとライムを入れたものまで持って行ってあげるいいママぶり。
仕事の区切りが少し早めについたので午後7時に自由が丘のダロワイヨへ。私は20代に一人暮らしを始めたその二軒目の家が駅から3分の位置にある部屋だったし、在外から帰国する度にこの近辺にウイークリーマンションを借りて住んでいたり、揚げ句の果てには徒歩圏内の等々力に自宅マンションを購入してしまったりと、親族が住んでいる訳ではないのだけれども昔から馴染み深いところだし、20代は生意気だったからダロワイヨかドンクのバゲットしか食べなかった時代もあった。それでも、特にチョコレート好きでもない私、このオペラを買う機会がないまま時が流れて今に至るんだが、ふと、今日みたいな元気のないちび子に思い出を作ってあげるのにふさわしいケーキの様な気がして、はい、買い込みました。
話はずれるけれども、ちび子と私が在外赴任の時に一番よく出向いた都市がウイーン。そもそも私の大学院時代に生まれたちび子はオーストリア生まれなので、オペラ座周辺はベビーカートを押しながらよく散歩しました。出生証明書を在オーストリア日本大使館に提出に行き、パスポートを作ってもらった際、領事に「日本人の名前はローマ字表記で」と言われた事からちび子の一番最初のパスポートは英語の綴りが不思議なことになっています。具体的にいうと彼女の名前は「ティ」という音がはいるんだけれども、英語表記は「THI」であるべきなのに「TEI」。まあ、名前は本人鳴り親なりが決めるもので政府が決めるものではないので、旅券では便宜的にこの名前・・と割り切りましたが、その後数年でこのルールは解消されました。
そう、この時は摩訶不思議なスペルの旅券の持ち主でした。生後2ヶ月くらい。
その後は、私の赴任先から当時旧ユーゴスラビアに勤務していた家族との合流拠点として一年に2-3回は足を運んでいました。赤ん坊連れだから当然ホテルではなく短期滞在のアパートで自炊。ザッハトルテもオペラもカフェでよく見かけたけれども、カフェに入る気持ちの余裕もなく、横目で素通りしていたっけ。
そんな事を話してあげよう・・と思いながら家に帰ってケーキを渡しながら「ところで、大学だけどさあ・・」と切り出してみたら、「あ、今年は応募者が多過ぎて審査に余分な時間がかかっている事から発表は一週間遅れるんだって」。
・・・・。
私のこの独りよがりの思い込みの激しさ。赤ちゃん自体にまで遡ってオペラを食べながら、将来についての話もしようと、いろいろ思っていたのに。
「え!?パパにちび子が大学通らなくて落ち込んでいるって言ったの?縁起でもない、訂正してよ!!」
とめちゃ怒られました。
結論:我が家のオペラの思い出は、私の早とちりと共に語り継がれる事になりました。