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繰り返し見る夢

FB開いたら、ここ数日思い出している風景がいきなり写真として現れたのでびっくり・・というか、さすが片柳神父様、神懸っている。さすがにその写真を盗用するのは良心が咎めるのでよかったら皆様、片柳神父様のをみてくださいね。

大人になってからだと思うけれども、私には何回も見る同じ夢が二つあります。その夢のことを先日体調を壊した時にずっと考えていたので書いておきますね。


一つは薄暗く広い、もう使われていないお屋敷から始まるもの。

黒くなりかけている木の梁と、色は褪せているけれどもまだ使える広い畳敷きの広間。古い本と写真、桐の箪笥と鏡台。


この時は私は、ああ、ここは亡くなった祖母の家なんだな、祖母はもういないけれども場所だけはまだ残っていたんだなっと思う。

寂しさもちょっとあるけれども、それよりも懐かしさと嬉しさで一杯になる。そして、なんだ、ここにあったんだ。何故今までもっと頻繁に訪ねてこなかったんだ?と思ったり。


そして、その先に見えるのは中庭。生垣の向こうはバス通りなので人の往来と時折車の音が聞こえる。庭のどこかには犬(ぺス)が、生垣に鼻を突っ込んで外を眺めている。


「犬って、道行く人を見ているのが好きなのよね」

と、誰かが言う。中庭には手入れを怠ってやや伸び気味の芝が広がっていて、いつのまにか暗い廃墟の様な広間から、明るい縁側に出た私は、誰か大人と一緒にガラス戸を開けた縁側に立って見ている。

というあたりで目が醒める。

ぺスという名前の犬は私の母が小さい頃に買っていた犬の名前。

この家は私が小学校低学年の時に取り壊してマンションにしてしまったので、見ていた光景は、小さな頃の自分の記憶と、母が私に教えてくれた彼女自身の小さな頃の記憶が一緒になって表れているんだろう。


もう一つは、20数年前から繰り返し繰り返し見ているもので、まさに写真のこの通りの景色。

場所は、オーストリアとハンガリーの国境近く、私の大学院があるStadSchlainingか、ちび子と一緒に何回も通ったスイスのAigleか、または東欧のセルビア系の場所か、もう思い出せないんだけれども、この道を私は歩いている。

そしてその先には「どうしても行かなければいけない村の教会」がある。この先をもう少し歩いて山側に曲がって、その先に建っている筈。


靴底を通して草を踏み分ける感触を楽しみながら、その教会に向かっているその高揚感を感じながら、同時に私自身はこれが現実ではないと判っていて

「どうしてもここに戻らないと」

「残りの人生で果たしてここに戻れるのだろうか?」

と自分に問いかけながら切ない思いで一杯になる。



と、目が醒める。

両方の夢に共通しているのは、その中では懐かしさと満たされているという感覚、嬉しくてしょうがない。鋭い刃物ですっと切った様ななにかをどこかで感じながらも。

そして、目が醒めて自分の部屋の白い天井の下にいることに気が付く、その時の甘い余韻の残った寂寥感。涙を流している自分に気が付く。これもいつも同じ。

最初の夢は、本当にここから自転車で20分程度のところにある祖母の家のこと。今はその土地にマンションが建っており、そのマンション自体も老朽化しているくらい昔の話だから、そこに行こうと思えば行ける、だけれどももうすべてが無くなっている景色。

二つ目の夢は、本当に不思議で、いつかこの教会の戻らなきゃ、とずっとずっと思っているうちに、どこの国にあったのか、誰と行ったのか、そもそもどこにあるのかもすべて忘れてしまっている。というか、恐らくそもそもそんな教会は存在しているのかどうかも定かではなくなっている。

何回も何回も、この写真の道を歩きながら、早くここに行かなきゃっと思いながら未だに辿り着けていない教会。

数年前までは、この場所の事を正確に覚えていると思っていたんだけれども、ある時期から「どこにあるのか判らないが行かなければならない教会」という夢に変化した。

いや、正確にいうと、恐らくこの教会の事を、国名も場所もいつ誰と行ったかも良く知っていた、という記憶そのものが夢なんだと思う。

多分、私にとっての人生の終着点はこの教会なんだろう。

この道を歩いていく夢を何回も見て、もうちょっとで教会がある・・と思う度に目が醒めるのは、まだ私自身が人生でやることがあるからなんだろう。

ジャラール・ウッディーン・ルーミーは大好きなペルシャの詩人だが、彼の詩の中にこういう一節がある。

多分私にとっての花園は、この道の先にある。

”Somewhere between right and wrong there is a garden. I will meet you there.”シャムス・タブリーズィー詩集

از کفر و ز اسلام برون صحراییست

ما را به میان آن فضا سوداییست

عارف چو بدان رسید سر را بنهد

نه کفر و نه اسلام و نه آنجا جاییست

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