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【4,509】心身共に心地良い「マニック・マンデー(Manic Monday)」

……というのは、LAを代表する女性ポップ・ロック・バンド、ザ・バングルズ(The Bangles)の、代表曲。


今年急逝したプリンスが作曲しており、1986年のリリース当時から大ヒットを記録。月曜の憂鬱さを軽快且つメロディアスに歌った曲として、今でもCMなどで使われたりするほど、時代を超えた名曲のひとつだと思う。

この曲を聞いて軽く現実逃避しなきゃならないほど、私の周りの皆さん月曜日はやる気満々というか、サンクスギビングを挟む来週は豪快に休む気満々なのが伺えるほど、早朝から仕事を押し付けられて、わたしゃやること山積み。

もっとも、急な締め切りを過去に何度も経験している事から、忙しい時ほど、何から片付けていけば良いのか集中できるもので、ひとつひとつ丁寧にこなしていき、夕方前にはこうして、この雑文に取りかかれるほどに整理は出来た。

あとは私から送った各種書類に対して、追加事項や訂正などがどのぐらいあるかで、明日以降の作業量も変わってくるが、こういうのは目を皿にして誤字脱字、計算違いをどれだけ抑えられるかにかかっているから、そういうのがそこまで苦手ではない私は、嫌いな作業ではあるが、それほどキツい思いはしない。

72時間無睡眠で肉体労働を含めた業務に関わったり、土日出勤で1か月の残業時間が100を越えた経験も過去、普通にしているから、そういうのを経ていると、忙しい云々を言ってもそれに対する処理能力が全然違ってくるものだ。

仕事中のBGMは基本、24時間ローカル・ニュースを報道しているAM1070アカデミックな内容中心のKPCCだが、今日は月曜なので、なんだかんだで昔から聞いている伊集院の深夜放送を流す。日本のラジオ番組は本放送終了後にCM・曲カットされたものがYoutube等に幾らでもアップされるし、そもそもラジオ番組は無料というイメージが子供の頃からあるから、オンラインの利点をここでは存分に使わせてもらうことに。

伊集院の番組で、ちょうど「ブス力30%アップかるた」という、この番組のリスナーの腕前が異様に発揮されたコーナーが回ってきて、そこだけはひたすら笑ってしまい全然仕事にならなかった。SUPER☆GiRLSの「Wake Up!オンナノコのチカラ~」をこんだけ悪意持って使えるセンスが、素晴らしいと思う。今週で終わりみたいだが、ネタ的にも今回ぐらいで丁度打ち止めがベストだろうね。

ニュースに切り替えると相変わらず、ダウンタウンLAでトランプ反対デモがヒマな学生軍団によって行われているのが報道されているが、まあ学生の多くは中間も終わって、サンクスギビングに向けての準備に、授業をさぼってあれこれ買い物に出ているのが目立つから(私もコッチで学生をしていた頃は、サンクスギビング前の2~3週は、欠席率が異様に上がるのをよく観てきた)、通行止め等の社会的に迷惑行為に及ばなければ、プロテストも気にはしない。

その一方で、学期末の課題提出に向けて淡々と勉強をし、真面目に慎ましく暮らしている、本来の学生らしい生活をしている生徒もいるわけで、ウチの近所に住んでいる日本人女学生さんはその典型だ。

私の妻も大変気に入っている子で、週末には一緒に食事しつつ爆笑しながらのアニメ三昧を、との形で、多少なりともコッチでの生活が楽しくなるように、私たちもささやかながら応援している。引き出しが豊富なので普通に話しているだけで面白いし、何と言うか、放っておけないのだ。

何しろ彼女がまた、複雑な家庭環境を抱えており、この話しはオンラインでは書かないつもりだったが、本人がどう言った背景を経て渡米してきたかを、真に迫る文章で綴って自身のアカウントでつい昨晩「公開」したので、私と言う別の存在と視点からも - 決して無縁ではないことから - それに触れておいたほうが良いだろう。

彼女は本当に未成年なのかと思うほどしっかりした日本語の文章を書いていて、私も最初は驚いたが、幼い頃から活字に沢山触れては、デール・カーネギー(Dale Carnegie)の名著「道は開ける:How to Stop Worrying and Start Living」を物心ついたときには熟読していたと聞かされたとき、随分と納得させられたものだった。

アメリカ生活中、彼女のように、年齢不相応に落ち着いた、頭の良い10代のひとたちに少なからず私は会ってきて、何でかなと聞いてみれば、学校へは行かず両親にホームスクーリングで育てられてきた、と言う。白人なのに、玄関で脱いだ靴をきちんと揃えていたのを見せられたりと、行動や発言に逐一驚かされたが、父が牧師で母が看護師、でもって地元の公立校には悪影響を与える生徒が多いから行かせなかった、というのを聞かされて、しかもその子は16歳でUSCに推薦入学していたから(よほど高い学力を証明できなければ無理)、同じ若いアメリカ人でもこんなに差が出るのかと言うのを目の当たりにし、子育ての重要性を痛感させられたものだ。

なので、通っている学校も県で上位だったし、日本にもそういった特殊な育てられ方をする子が居るのだな、と、私の関わる学校関係の問い合わせで昨年の11月上旬に彼女とのやり取りが始まってから、以後、定期的に連絡を交わすようになった頃は、私も呑気に思っていた。

ところが、そうでは無かった。むしろ全く逆で、あまりに両親が頼りないから自力で文字通りサバイバルしていった、という、私にとっては完全に想定外のパターン。

その辺りの顛末が、上記に赤裸々に綴らてているので、それこそわざわざこの文章にこまめに目を通す、私と関わりのある方々には、必ず読んで頂きたい。思い出すのも厭に違い無い辛い過去と向き合って、それをしっかり第三者に読んでもらえる形で文章化して「公開」するなんて、はたしてどれだけの人間が出来るものか。20代の頃に最愛の友人を自殺で亡くした私にだって、ンな簡単にできないわよ。

元々文章が巧いだけに、そこに実体験という強力な武器が加わると、綴られるコトバの数々に臨場感や説得力が、プロの文章書きからも生まれないレベルで、出てくる。

バイトを終えて帰宅した際に、両親が居る筈なのに家が真っ暗だったとの下りは、普通に怖くなったし、母親に理不尽に殴られ罵倒された記述は、私も事前に聞かされていたとは言え、胸が痛くなった。

灯りの点いていない家に帰宅した時の「家に帰ってきた気がしない」孤独感 - 私も妻が数年に一度のペースで3~4週間ほど母国へ帰郷する際に味わうその感覚 - を私もよく知っているし、親に殴られるのは自分に「本当に」「明らかな」非がある時だけだと教えられてきたから、自分の子供には絶対そういった経験をさせてはならないとも、強く感じた。

一方で、両親がそうした、子供が歳を経ても忘れないであろう、重大なミス・ステップを踏んでしまっているのも、私とその両親二人の年齢がそこまで離れていない事から、感覚的に理解できてしまう。今の私はある程度の信念を持って生きているが、それでももし、特に10代の娘が居たら、どこまで父としての威厳を示せるかは、やはり断言できないからだ。

なので私自身がそうした複雑な家庭事情を本人から説明されたとき、はたして渡米させて、これ以上この一家をバラバラにしても良いものか、凄く悩んだ。

今までに無いケースだったし、仕事として片付けられるようなものでは、絶対に、無い。

もしかして私は、自分とは無関係の一家を掌に乗せて踊らせてしまっているのでは無いかと強く感じ、何日か食事が喉を通らなかった。

英語で言うなら、「Hold on, wait a minute, okay, um, did I FUCK certain family's lives?  Am I doing something very wrong?  Shit I have no clue at this point!」。

特に彼女のお父さんとは昨年に一度通話をし、私も彼の柔和な話しぶりから、「人当たりの良い感じが伝わってくるし、職場や近所のひとたちからは好かれそうだな。」との印象を抱いていた事が、その思いに拍車をかけた。

今から21年前に本国アメリカでもそれなりのヒットを飛ばしたバラード曲「Bridge」が、歌詞の中身と共に、やけに響いたものだ。

なので先ずは本人の渡米する気持ちがどのぐらい本気かを試すべく、私から、コッチの学部レベルの英語課題(簡単な形であれ、読み・書き・聞き取り・喋り、の四大要素を全て試す)を定期的に出したし、TOEFL iBTの受験も強く勧めた。

加えて、趣味や物事に対する見方や考え方なども、長期に渡って何時間もかけて話した。

その子はそれらに対してどんどん食らいつき、むしろ私が思いつかなかったような視点・事柄や、知らなかった情報を出し惜しみせず共有してくれたので、現時点で年齢が2倍以上も離れているのを完全に忘れさせるほど、私とほぼ対等目線でのやり取りとなった。

彼女の前向きで努力家な姿勢に「動かされた」私は程無くして、何を言わなくても行動するこの子は何が何でも渡米させないと駄目だ、と強く思うようになり、書類集めやその提出方法などを細かく説明・指導したし、渡米後の生活にストレスを感じてもらわないよう、オーナーが信頼できる人であり学校まで自力で通える場所の家探しを含め、勤務先の学校側からの余分な支払いの対象にならずとも、私からも出来る事は全て行った。その時点ではもう、金がどーとかの、問題じゃないからだ。

また日本を長期間去る前に、この子なら私の知人の社会人の方々に会わせても良い、むしろ会わせるべき、どうせ都心にすぐ出れる場所に住んでいるし、とも思い、連絡先の交換を促した所、彼女も積極的に動いて、自分の交流の幅をどんどん広げてくれた。当然、美人なだけでなく、話しの引き出しが多く社交性も兼ねている子だけに、私の知人の方々にも年齢差関係なく、とても気に入ってもらえていた。

渡米は夏だったので、もう3か月ぐらいのアメリカ生活にはなるが、彼女も毎日を楽しんでいるようで、通っている大学でもすぐに友達が出来、結果的に渡米は正解だったと、私も外から観ていて感じるし、判断を間違えなくて良かったとも思う。

ただ彼女が、今の日本では実はレアなケースでは、全く無かったこと。

先に「必ず読んで頂きたい」とわざわざ太字で述べたのはもうひとつ理由があって、それは彼女のように家族関係で悩んでいる若い子が、私の予想を遥かに超えて多かったのに、ここ半年ぐらいで痛感させられたから。

この話しを掘り下げるとさらに追加で数千文字になるので、もう少し考えをまとめてから、いずれの機会に回したい。何しろ私自身にとっても、自分が未成年の頃どうやって両親と接していたかを思い起こし、年齢関係なく他者とこれからどうやって接するべきかを見つめ直す、貴重な機会になるだろうから。

なーんかもう、ひと仕事終えた後の、気分転換の文章書き(自分の考えを文章化するだけでも案外ストレス解消になる)な筈が、90分ぐらいノンストップで書き連ねて、えらい文字数になってしまったが、これなんかは「長文 creates 長文」ならぬMotion Creates Emotionの典型だし、140文字で日々が完結する有象無象の人々が多い中、あれこれ考えては様々な意見を発してくれる人間が周りに少なからず居る、というのは、私の励みにも本当に成るものだ。互いにあれこれ思索して、共有できるものを可能な限り共有して、世界のどこに住んでいても不透明な今の世の中を前向きに進んでいければ、と思う。