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【1,441】12.12.2016:イングリッシュ・ピープル

英語のスラングも面白いもので、「Fuck!」とストレートに言われるよりも、「Nice job, dumbass!(よくやった、このド阿呆が!)」のほうが、すごくバカにされている感が前面に出ていて、精神的に応えるもの。

昨晩書いた通り、リアルタイム的にツイッターを眺めては、瞬間的に書き込むのを再開した。英語で。

英語で書く事の難しさはやはり、たったの140文字。140 wordsではなく、140 letters。なので、センテンスが完成しない、所謂フラグメントに、なり易い。

ちゃんとしたセンテンスを書こうとすると、140文字ではなかなか足りないもので、それこそ私が毎日読んでいる「LA Times」のツイッター並みに、英文のプロレベルの技量が要求されてくる。

私はネイティブでは無いし、日本語でも一発書きだと文法的に破綻する事がある上、それが英語となると、見直しをせず脊髄反射的に書いた場合、勉強しない留学生レベルのブロークン・イングリッシュが出来上がってしまう。

それでも尚、英語で書くメリットはと言うと、日本語以上に自分の正直な気持ちが出やすいこと。

英語を用いて思わせぶりな、暗喩的・歪曲的表現を扱うには、英語の読み書き能力を極めないと不可能だし、実はアメリカで生まれたネイティブの大人でも、ろくに文章を読めなければ書けもしない人が、教育省からの統計も出ているようにアメリカの人口のおよそ1割つまり約3,200万人も居るというのは、有名な話だ。

実際私も、ネイティブと議論をした時、スピーチでは歯が立たなかったが、英作文においては、勝つ事が出来たものだ。しかしそれは、集中力とエネルギーを、喋るよりも酷使する。

ゆえに、移民・ネイティブに限らず、英語で文章を書くひとたちの大半は、極力シンプルな単語を選ぶもので、思いついたまま綴ろうとすると、その時その時の自分の考えにひたすら正直な文章が出来上がる。だってそれが一番、ラクなんだもん。

日本語で文章を書くとつい、たった140文字しか打ち込めないにも関わらず、情報密度を上げようとするクセが出るが、英語ならばちょっと書いただけでアッという間に字数が尽きるのでそんなこと考えてるヒマが無い。おおそうだ、ライブ感覚重視だ。Welcome to my realm of instability filled with nauseating and abusive writings!

と思って、今朝からの自分のツイートを読み返したら、日本語よりも遥かにアタリがキツくなっていて普通に笑えた同じ一方通行な悪口でもこうも後ろめたさが無いというか、つくづく日本語が、読み手に優しい高度な言語なのを痛感する。

今日の話し。生徒さんからの質問に対する応答。案内。書類整理。小切手の回収。短い会議。仕事先へ住所変更の提出。白人の先生と軽い面談。許可を得たので授業見学。気付いたら1日が終わってた。

日中に読んだ「The Best Fried Chicken in Los Angeles: Fall 2016」という記事に何か心を動かされるものがあったので、帰宅後、KFCへ。車で4分の場所にケンタッキーがあるのは、こういう年に2回ぐらいフライドチキンを貪りたくなる時には有り難い。次の住まいも車で11分の場所にKFCがあったな、そういえば。

上記の記事はそんなに難しい文章が使われてないので、英語読解の練習台としても丁度良いと思うが、記事内で紹介されていた「Tokyo Fried Chicken Co.」は確かに、ロサンゼルス近郊では一番美味い日本の唐揚げが食べられる所だと、私も思う。鶏の皮のみをつまみに売っているのも、アメリカでは珍しい為、遠出してまで行くお客さんも多いと聞く。

今日も特にまとまりが無い1日ではあったが、こういうのは日付が変わると意味が無いので、その前に「公開設定」ボタンを押して、ハイ、アップロード。