【9,838】キーボードに吸われる怒り、そしてちょっとした(と言いつつ読み手が逃げる量の長文な)昔話
私が日本で四大に通っていた頃がちょうど、インターネットが一般家庭にも普及し始めた辺りだが、後輩がホームページを作っていて、通っている学校の愚痴(教務課の手際がずさん、ゼミの先生がやる気無い、厚化粧の女子ほど横柄でウザい、などなど)をバンバン世界に公開していたのがなんかスゲーなと思ってしまった。
その彼からhtmlファイルの作り方や、ワード・エクセルの操作方法を学ばせてもらったので、私の本格的なオンラインへの入り口は、その後輩であったかもしれない。
私が日本を離れてからは、彼自身がオンライン日記に飽きて更新が途絶えた(ページも消滅した)のもあり、その後の連絡も特に無く、いまどこで何をしているかは分からないが、発言にスジが通っていたので、私が影響を受けた身近な人物でもある。
彼のセリフで今でも覚えているのは、「自分の負の感情を文章として打ち込むと、かなり気分が晴れますよ。勿論、日本語で文章を書いているとは言え、世界に公開するので実名とかは出しませんけど、怒りがキーボードに吸われる、みたいな感じですね!」。
これ、凄く分かる。別に怒りで無くとも、自分の頭の中でぐっちゃぐちゃになった情報を整理する上では、「書き出す」行為が一番だと、私も思うから。
ここで私の視点から、インターネット上に投げ込むホームページと、それに関連した日記を、振り返ってみようか。せっかくだから。
最初に断わっておくと、以下は全て私の記憶を無理やり、サラ・ペイリンの物真似をする前のスティーブン・コルベアみたいに首筋にスタンガンを押しつける勢いで掘り起こしたものなので、正確性や公正さは遥か彼方に置き去り。自分語り、上等。
あと、長くなる。多分。いや絶対。シラフで読まないで、アルコールを適当に入れた状態ならば、読み進められると思う。むしろ酩酊状態を推奨。
私がネットにかなり時間を費やしていた2,000年代前後は、まあオンラインになると、今で言うトロール化するひとびとが、ホームページ&日記の形で非常に目立ち、私自身がその頃は接客業務が主な仕事に関わっていたものだから、ネット上にはびこる連中はなんて失礼なんだ、と思ったものだった。
まあ私もたまに、というか今でも、配慮の無い発言をする事はあったが、私レベルが可愛いと思えるほどに、まあスゴかったわよ、あの頃は。
関与していた年齢層の中心が20代との印象で、と言うかそうしたオンライン連中のオフラインでの集まり(=飲み会) - 「OFF会」などと当時は呼ばれていたが - に実際に面白がって飛び込んでいったら(都心まで片道1時間半ほどで向かえたのも大きかった)、私と同年代の人間がやたら多かったので、自分の中では「20代の墓場」と捉えている。
先ずは、その墓場へと足を踏み入れた動機を、振り返ってみる。
ホームページを立ち上げる動機はひとそれぞれだが、私はと言うと、自分の趣味を文章化して、もしかしたら、それを読んだ全く知らないひとからの反応を得られるかもしれない、とのシンプルなもの。
当時は「日本で一番時間を贅沢に使える身分と言っても語弊が無さそうな」四大生で、先述の後輩に「いやね、やってみるとこれ、面白いっすよ!」と焚きつけられたのもあったが、履修科目も順調すぎるぐらいで、早朝の授業を殆ど取る必要が無く、深夜時間を含めたアルバイトを終えて帰宅する夜中の3時ぐらいと、眼と頭が冴えて眠れない頃だったのがまた、ホームページを作っていこうとの意識につながった。
ホームページ・エディタは金がかかるし、後輩から「こんなの誰でも出来ますよ」と煽られたので、まずメモ帳を開いて、HTMLタグの打ち方から、教わった。「A HREF」を始め、基本となるタグは一通り、覚えた。20程度を覚えれば、ある程度は自分で操れるホームページのデザインが、可能だから。
どういった内容にしたら良いのか、を後輩に相談したら、「それはもう、自分が語りたい事を、雑多にぶつけるべきでしょう。僕のページを観て下さいよ。学校と家族の悪口から(笑)、釣り、読書、ゲーム、駄菓子、日常と、気になったものを何でも放り込んでますから。」
そんなんでいいの?と思ったが、確かにそれ以外はあり得ない、自分がもっともストレスを感じない上で、他者へ向けて打ってみたい文章が良い、と思い、習ったタグを使ってページをひとつひとつ作成していく。
唯一後輩から貰ったアドバイスは、「リピーターを掴むために、日記を作ることですね。コンテンツは、プロフィール、日記、趣味A、趣味B、他のページへのリンク、みたいな感じで、少ないほうが良いですよ。管理もラクですし。」
「また、趣味A、趣味Bのコンテンツも、ある程度は具体性を持って絞ったほうがいいです。英語で歌われてる音楽とかアメリカ映画が好きなんですよね? だったら、それを決め打ちした方が、書き易いですよ。」とも、彼は続けた。
もともとその後輩は理系人間で、でも文学が好きというのが面白かったが、物事をシステマチック且つ合理的に考えるのが得意なタイプなので、今から振り返っても、無駄を省いてリピーターを掴むホームページ作りの指南としては、十分すぎるぐらいだとも思う。
ホームページ作りに興味があるのを伝えた瞬間に、後輩から、ジオシティーズ等の無料スペースの存在も教えてもらったので、それらのアカウントもすぐに取得。またインターネットは親のパソコンでしか使えなかったので、他のコンピューターからでもアクセスが可能な、無料の電子メールアカウントを取得するのも、彼から勧められた。
ホームページを開始するのはいつぐらいが良いかを後輩に聞いたら、「そんなの、未完成だろうと何だろうと、自分が思い立った瞬間ですよ。本能と直感でいいんです。単に、恥ずかしい事を書くと、それが全世界で読まれてしまう、ぐらいなもので(笑)。」と、即答。
サラッと最後に怖い事を言われたが、扉となる「index.html」も出来て、それぞれのコンテンツへのリンクも出来て、じゃあ始めようか、となったのが、ちょうど夏休み前。
ホームページ用のファイルをジオシティーズのサーバを通じてアップロードし、私が作ったファイルが「geocities.co.jp/Hometown/xxxxx/index.html」の形でオンラインに公開された時の……
ナニかスゴいモノを開けてしまった
……という感覚は、今でもハッキリ覚えている。
扉ページに、誰がどのぐらいアクセスしたかを簡単に観れる「アクセス・カウンター」を設置するのも後輩から勧められ、さらに「このカウンターは日記ページにも付けたほうが良いです。僕もですけど、リピーターは基本、扉ページを飛ばして、更新が頻繁なページをブックマークしますから。」という裏ワザまでも教わる。
中学の時は特に部活に入らず(私が通っていた中学校は、部活動自体が少なかったため、大半が帰宅部)、高校では部活に入らない代わりにアルバイトに明け暮れていたから、考えてみれば自分の考えや意見、趣味を公開だなんて、それが初めてだった。
で、ホームページを開設してから3日目に、アクセスカウンターの数字が、自分がアクセスしていない時間帯に動いていた。
ホームページ開設後は動作確認も含めて、自分がひたすらアクセス・カウンターを踏みまくるので、数字をしっかり覚えているし、カウンターの数字が自分が前回踏んだときの13から16になっていた時は、2人も観てくれたのか!と興奮したものだ(16番目は自分自身なため)。
そのうちの1名は例の後輩だったが、それでも、1名も見知らぬ人間が目を通した、というのは、気分的にかなり違う。
そうなるとその、行きずりかも分からない、1名の為に、俄然やる気が沸いてくる。
気付けばhtmlタグを駆使した日記を、やけに熱心に書き始めていた。
趣味のコンテンツは一度ネタを投下すると、テーマに縛りがあるためそう簡単に動かせなくなるが、日記であれば、その日に起こった事や、ちょっとした自分の意見などが、すぐに投げ込む事が出来る。後輩の言った、日記の重要性が、すぐに理解できた。
当時の仕組みとして私が覚えている限りでは、ジオシティーズという無料サーバに「更新一覧」みたいなのがあって、自分が登録したコミュニティ内で更新されたページが、そこで通知されるというもの。
検索エンジンの使い方をみんな知らない頃で、しかもヤフーぐらいしか無かったから、必然的に、ホームページを無料で貸してくれる場所からの通知が、新しい情報に触れる入り口となっていた、感があったな、あの頃は。
自分で更新した告知をすることも出来た筈だし、ジオシティーズが自動的にロボット巡回で拾って通知、といったパターンも、あった気がする。
何はともあれ、当時はそんな感じで、けっこうランダムで、読者が流れ着いてきていたものだ。それを証拠に、更新する度に、日々のアクセス数が、徐々にだけれど増していった。
自分でホームページの動作確認を兼ねていても、一か月ほどして、アクセス数の合計が100を超えた頃には、ホームページの中身が大して無くても、妙な達成感があった。1990年代後半の当時にインターネットを使う人口はまだまだ少なかったから、アクセス数3ケタは、ちょっとした勲章に見えて仕方無かった。
さらに、夏休みが終わりそうな辺りで初めて、全く知らない第三者から、日記の内容等に関するポジティブな反応をメールで貰った時は、普通に手が震えた。(結局その相手とは、一度もリアルで会わず、途中から音信不通になったが)
また自分のホームページ作りを経てようやく、検索エンジンの使い方も覚え始める。当時はヤフー以外には、InfoseekやLycos、Goo等があり、「ググれ」と言われるほどに大きくなるGoogleは2,000年代前半までは、目立たなかった。
いよいよ2,000年代が見え始めると、ホームページを作成してウェブ上に公開するひとが、徐々に増えていく。
私の実感としては、1998年辺りからその増加が、顕著だったように思える。お金に余裕のあるひとたちはエディタやビルダー等を使って、デザイナーで無くとも見た目の立派なホームページを作っていたが、最終的に更新するのは日記だけになっていた所に、面倒な要素はいつの時代でも省かれるのを、今でも痛感する。
なのでちょっと検索をすれば、例えば文学なら文学、アメリカ映画ならアメリカ映画、との具合に、その分野に関連したホームページが、ガンガン出てくるようになった。
それも企業が作っているのではなく、全く無名の個人が、商業誌などで読めない濃度の高い情報を、手足のように操っていたりする。
私はオンラインであっても昔から積極的だったので、気に入ったホームページの作り手には、あくまで個人に限るが、メールアドレスが基本的には「index.html」から始まるトップページに明記されていた事から、どんどん挨拶の電子メールを送った。
1998年辺りの頃はまだ、個人ページでアクセス数が多いなんてのは、私が観ていた限りだと数えるほどだったので、送ったメールの返信率は、ほぼ100%。地方在住者に加えて、それまでアルバイトでしか付き合いの無かった社会人とも、同じ趣味を通じて、同じ目線で語りあえた時の楽しさったらもう、ね、分かるでしょ?
そのようにして、個人ページのリンク欄が、充実してくるのだ。交流自体が最初から好意的なので、リンクページに書く、相手のページの内容紹介に、やたら気合を入れて誉め殺ししていたのも、思い出した。今でいうツイッターの相互フォローの原型、みたいなものだ。
個人ページでアクセス数が爆発したのは恐らく、東芝クレーマー事件から、というのが私の感覚だが、その頃になると私も随分と手慣れたもので、社会人生活が始まっていたにも関わらず、起床してから真っ先にするのが電子メールと、自分が書き込んだ電子掲示板のチェックで、帰宅してからはホームページの日記ネタをあれこれ時間をかけて、その日が終わる前にきちんとアップロードする、マメっぷり。
2,000字程度なら20~30分で書けてしまう今と違い、あの頃は1,000文字前後、2~3段落のまとまった文章を書くだけでも、2時間はかかっていたものだ。それは勿論、言葉選びや文章の流れというのを、殆ど分かっていなかったが故に、だが。
クラスメートや職場の同僚に振っても意味が分からんとスルーされるであろうネタの数々に、当たり前のように食らいついてくるのがオンラインの住人だったから、それまで淡々と自力で調べた事をインプットばかりしていたのとは正反対に、ひたすらアウトプットの毎日が続く。
私は当時、9am出社で、7pm業務終了、仕事場の清掃なども含めタイムカードを押して帰宅できるのが8pmを過ぎる毎日だったが、自宅からそれほど距離の無い職場(自転車で片道30分)なのが幸いして、夜中の3amぐらいまでオンラインにのめり込み、8amギリギリに起床して、なんとか8:58amにタイムカードを押して出勤、とまあよく20代だからと言っても、無茶な生活をしていたものだ。
私が作っていたホームページ、2,000年代突入の辺りには「個人サイト」と呼んだりしていた気がするが、あれがまあ、また雑多な作りで、趣味がバラけるにもホドがあったから、わざわざリンクを自らのページに貼って頂いた方々の、リンク先コメントの四苦八苦ぶりが楽しくもあったが、そのおかげでそれまでの学生生活等からは得られなかった交流の数々が始まったのも、よく覚えている。
昼休みや休憩時間では職場の同僚に、インターネットってのは人間関係を広げるものですよ、とあれこれ面白可笑しく話したものだが、当時の同僚たちはどうやってインターネットを使っていいのかが分からない層であった為、パソコン購入にまず踏み切るかどうかの部分で、留まっていた。
確かに当時のパソコン、私は10万円ほどの予算を伝えて、例の後輩に頼んで一緒に秋葉原まで赴き、彼にパーツ買いを任せて、組み立て方まで教えてもらって、と、随分としっかりしたマシンをわずか10万円未満で作ってもらったのだが、パソコンに詳しく無いユーザーが電源コンセントに差し込むだけで使えるパソコンというのは、少なくとも20万円程度はしていたのを、何となく覚えてる。その値段では、プレイステーションなどの家庭用ゲームを買うのとはまるで違うし、抵抗を覚えるのも仕方が無い。
職場の同僚との会話がどんどんおざなりになる一方、オンラインでは日記や電子掲示板を通じて、舌戦を繰り広げ始めたのも、確かこの頃。
というのも、私のページもアクセス数が毎日100前後になり、その頃になるとアクセス解析ツールの付け方も学んでいたから、来訪者が「IPアドレス」の形で明白に分かるようにもなった。
つまり、毎日100人も読みに来てくれるんだ、との形で、自分の影響力、というのを、変に意識し始めていたのだ。私はもう、こんだけの読者を抱えているんだよ、みたいな。すいません、ちょっとゲロ吐いてきていいですか。
あれこれ不満を抱えた10代と違い、20代になると自己顕示欲や承認欲求が肥大化するもので、ホームページを開設した当初の目的から段々、「俺が! 俺が!」にズレていったもの。まあこれには、他のページ製作者たちも、アクセス数が増すに従って、自分の趣味よりも、自分そのものを売り込もうとするパターンが際立っていた事も、大いにある。特に20代なんて影響される時は、一瞬だ。
極論だが、いや念を押しておくなら本当に極論なんだけど、大学・短大へ通うと、ゼミ論文やら何やらで文章だけはたくさん書かされるから、日本語の文章力が飛躍的に向上するのが20代じゃないかなと、私は勝手に思っている。しかし向上したからと言ってそれが必ずしも良い方向へ進むわけではなく、技術的になる半面、歪曲的にもなり、いらんことを書いて余計な誤解を招く、必要以上の反論をして嫌がられる、といったパターンにも、出てしまう。
ツイッター全盛期の今ならば、気に入らない発言をリツイートして、その後に捨て台詞を一言、二言書き込んで、しかも流れが早いからロクな反応も取れないまま、負の感情だけが互いに広がり、まあフォロー切ればいいやこんなのに関わるだけ時間もったいないし、とインスタントに済ませる印象が私には強いが、いわゆるテキストサイトと呼ばれる闇の文化がインターネットを覆い始める2,000年代突入前後の頃は、互いの日記ページを通じて、読むのが厭になる非生産的な長文(相手の揚げ足取りが主なため)を書いては、当該の相手の特定の日記部分にリンクを貼り(「××さんは2000年1月18日の日記で、こう書かれていましたが……」なパターン)を「公開」という、まあ第三者の目から観たら見苦しい事この上ない状況だったのも、よーーーーーく覚えてる。
時間をかけて長文を熟読し、それに対するさらに長い反論を書いて、それをオンラインに飛ばすわけだから、まあ地獄絵図である。で、長期間に及ぶんだな、これがまた。
ただ、そこに関わっている当事者たちには、もうこれが楽しくて仕方ないのだ。
私はそこまで露骨なオンライン・バトルに運んだ事は無いが、「●●を××のように捉える輩も居るが」的に、分かるひとならすぐピンとくるであろう、狭い中で限定された、中途半端な形の揶揄を書くことが少なく無かった。
で、それに対して、私が悪意を放った相手が、そこを汲み取ってちゃんと反応してくるのよ。「●●を××のように捉えるのを不愉快に思う、という意見もあるが」みたいな。
私がそうやって悪意を向けるのは、いざリアルで会うと何を喋っているのか分からないぐらい声が小さく、おまけに会話時に目を合わせようとしないわりに、日記ページではやたらと声がデカくてアクセス数もある相手が大半なので、いざ舌戦が始まると、私の意見をオンライン上で支援してくれるひとたちも出てきた。それがまた、私を調子に乗らせる要因でもあったが。
ネガティブであれ反応が来る、むしろネガティブだからこそ反応が来る(人間、自分への悪口は、何だかんだで無視できない)、というのは、次の行動への原動力に十分なるし、またそれらの顛末を、ケンカしてる相手と関連のあるひとたちと都心で集まった時に盛大にネタにするものだから、中学や高校時代に変なクセを持った先生や同級生を茶化していたのとはまるで違う、背徳的な楽しさをやたらと覚えたものだ。
こうなってくると、ホームページ開始当初の純粋な目的(自分の趣味や知識を他人と共有したい)は遥か彼方で、いかにオンラインで相手をしてもらうか、が主眼としてスライドしてしまうから、更新なんて日記のみ。かまってちゃん、どころのハナシじゃ、ございません。
それどころか、他人のページの電子掲示板にも幾つか書きこんでいたり、裏でメール合戦だったりで、それらのリプライをカバーしていたらもう、時間的にも日記の更新がせいぜい、なところ。
911も発生した辺りの頃は個人のホームページでも1日のアクセスが10,000を超えるものが珍しく無かったし、私のページ程度でも、1日300前後のアクセス数(ちゃんと300の異なるIPアドレス)になった。数字だけだとピンと来ないかもしれないが、今のツイッターのフォロワー数で、ロボット等の不正を除くリアルな数字で800前後、と書けば、どのぐらいの影響力かは何となく掴んでもらえるかもしれない。
もうね、そうなると、論客ヅラというか、俺ちょっとコウイウゥ考えdeathケレDOOO、がダダ漏れ。普通に文章を書けばいいのに、いらんとこでヒネり倒すから、何を言いたいのかがよく分からないのの典型に、陥っている。
そんな感じで、20代の頃は私も、そうやって青春というか、仕事以外で得られる貴重な時間を、燃やし潰していたのだ。
まあ私も今は、一人称を実生活でも「私」に統一するぐらい過去を客観的に振り返れるようになったもので、影響力云々とかそんなの心底どうでも良く、自分と関わりあるひとたちに向けて持ち弾を可能な限り共有するよう努めているが(なので現在は、オンラインに文章を投げ込むのを、このnote含めてどんな形であれ、自分が納得した状態で、完全に意識的に行えるようになっている)、それにしても、あの頃書いた文章を読み返しても、見事なまでに何も残ってないというか、何故かといえばそこにはfactual(実質的)な情報が皆無だから。
そりゃそーだ。だって、「引用元:イッツ、ミー!」「ソース:俺様」だもの。
20代程度のたいした知識量でもないのに、大上段に構えて筆だけは走っているから、「××ってサイトの主にケンカ売ってるね。」「●●って連中とオフ会してたのね。」「結局△△に対して、何を言いたかったのだろう。」との反応しか、第三者的視点で冷静に読んでいると、浮かばない。
幾らアクセス数が増えようが、定期的な読者が着こうが、それが金にならなければプロとは言えないし、ある地点で私自身もやっとそこに気付いた。よく顔も知らない周囲におだてられて天狗になっているだけで、かけた時間のわりに貯蓄できるものがなく、自分がそもそも不勉強なままあれこれ吐き出しており、隣近所の噂話をしている団地妻と変わらないだろこれ、と。
そうなるともう、それまでの情熱はどこへやらと、大人的な責任も持たないうちに口論が絶えなくなった若いカップルの愛情の如く、加速度的に醒めるわけで、日記の更新も3日に1回、月に2回、放置、という、日光に当てられた吸血鬼並みのスピードでやる気が消滅。
そりゃ、テキストサイトだなんてインターネット文化が、闇に埋もれたまま、日本の歴史に正しく載ること無く廃れていったのも、普通に納得できる。
(不幸中の)幸いなことに、当時のテキスト主体のホームページを徹底風刺したコラムが、まだオンライン上に公開されているので、ここまでの話しの流れをにわかに信じがたいひとたちにも是非、読んでほしい。私は当時の時代の流れを見事に掴んでこのコラムを書いたひと、天才だと、普通に思います。
一方で、二か月にいっぺんぐらいは、当時の自分にしては良く調べた、資料も揃っていて読み物として機能している、というのもあったりするし、何よりもたまに横道に逸れて書き散らす、その当時のその日に何が起こっていたかを綴った、リアルな日記的な部分はなんだかんだで面白いもので、膨大な時間を費やしてはしまったが全くの無駄という印象を、決して受けない所がまた、良いのか悪いのか。
そういえば当時はよく、ホームページを終了宣言しては、別のアカウントを取って全く進歩の無い状態で再開するひとたちも、非常に目立っていた。あのひとびとは今、どうしているのだろうとも、今こうして昔話をすると、思う。
まあきっと、日常に戻って、普通に日々を過ごしているのだろう。
それこそあの頃とは無縁な、私のように、妻が居てこれから家族を育んで、といったように。
と思って当時のホームページ管理者名に近い名前とID等を入れてツイッターで検索すると、いやまさか、そんなピンポイントで引くとか、ありえな出た。
おおおおいちょっと待てや。それがまた、ちょっと前に私がネタにした、ロクに調べもしないで140文字で日々が完結するミッドライフ・クライシスの、典型でないの。
もうあの、内容が古くて、リピートばかりで、前進もしない、偏屈で、素直さや謙虚さが皆無、そのくせプライドだけは一丁前という、今の私が毛嫌いするオマイラ状態。
もうね、なんだこの、終わったと思っても絶望しか実は残ってない、滅びたと思ったらまだ生きていたみたいな、その辺の安いホラー映画のような展開。
尚ここまでのお話しは全て事実を基にしたフィクションです、と書いて、はたしてどれぐらいのひとびとが、フィクションなのを信じてくれるだろうか。とりあえず、19日の土曜日に発生したハミルトン騒動に際して、翌日20日の日曜にニュース番組に出演して「I’ll leave to others whether that was the appropriate venue to say it.」とニュートラルな発言で対応したペンス知事の言葉を、引用させて頂く事にする。皆様のご想像力に、お任せ致します。
でも私は信じる。きっとこいつら、もといこのバカど、いえいえこのひとびとが、私のようにいつか、いい加減自分もしっかり時間を割いて勉強して若いひとたちに馬鹿にされないようにしないと、年齢相応の知識や情報量を見せつけないと、との姿勢に変わる事に・・・(←「…」ではなく「・」を3つ連続で使用、なだけで当時は議論になったのを、懐かしく思いつつ、今宵はここまでに致しとうござりまする)。