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灰色の夢世界で人生振り返りながら、孤独に覚醒死
何となく、金にもならない長文を書きたくなったので、このフォーマットを使う一発目に丁度いいかもしれない、との感じで久々に衝動に駆られてみる。
尚、以下の文章は、10年以上前にどっかに寄稿したものの、手直し。なので、私の知人によっては、箇所によってはそのまま残してあるので、懐かしい気分になるかもしれない。
(注)以下、8,000字前後の長文なので、時間に余裕が無い方々はいますぐ、防空壕の中に忍び込む勢いで、ブラウザの「戻る」ボタンを押してください。一応警告したからね。知らないよ、こっから先を読んで、何もあなたが得るものが無くても、な!
ある程度、年季の入った音楽好きなら誰しも、毎年特定の時期が来ると必ず聴きたくなるアルバム、というのが少なからず有るとは思うが、今回取り挙げるドリームシアター(Dream Theater、以下“ドリー”)の「アウェイク」(Awake)というアルバムは、私にとって、そうした数少ない中の一枚。
ニューヨークはロングアイランド出身の5人組のロック・バンドで、この「アウェイク」は本国では1994年10月4日、日本では10日の体育の日に発表された、通算で3作目。
ロングアイランドはニューヨーク州の人口の40%(2015年の時点で約800万人)を占める大都市、ゆえに芸術肌の強い天才が十二分に育つ土壌もある。ドリーのメンバーが全員、楽器の達人だったのも、そうした地域的な要素が大きかったのかもしれない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Long_Island#Demographics
で、「アウィエク」のひとつ前の2作目「イメージズ・アンド・ワーズ(Images and Words)」が大ヒットしたので(累計で200万枚以上、売った)、当のミュージシャン自身にとっても緊張を伴う、世界的に注目を浴びる中で落とされたアルバム、でもある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Images_and_Words
まあそうした、リリースの際には話題性もあって、本作はそれなりに売れた。全米チャートの初週の売り上げは、36,160枚と記録されており、最終的にはアメリカ国内で40万枚のセールスに落ち着いたとのこと。
https://en.wikipedia.org/wiki/Awake_(Dream_Theater_album)#Release_and_promotion
もうかれこれ、ジャスト22年前の洋楽ロック・アルバムになるし、まだ当時は洋楽が売れていた時代なのでその波に乗ってドリーも認知度が高かったが、自分周りではこれ、かなり賛否が割れていた。
というのも、トータル面での中身があまりにシリアスで、長く、暗すぎたから。前の作品で聞かれた華やかさが極端に減り、音楽的爽快感からはだいぶ離れた中身となっていたのだ。
あたくし、このアルバム買ったときのこと、今でもハッキリ覚えてるわよ。ちょうど今年(2016年)と同じ、体育の日が10月10日で、日本のCD屋の必殺技である「一日早売り」が前日が日曜だったためなく、朝日の朝刊で広告を確認するや否や、近所のレコ屋へチャリを飛ばしたのよね、もう、全力で。
それ以前にも、ねぇ、聞いてらして、当時の洋楽専門誌のインタビュー記事やレビュー記事を穴が開きそうな勢いで読んで、FMラジオ番組からエアチェックした幾つかの曲を、テープ擦り切れるぐらいにまで聴き込んでましたけど、それでもあんなに発売を心待ちにして、リリース当日に行きつけのCD屋へ10時の開店と同時に全力で駆け込んだなんて、後にも先にもほんとこれだけですわよ。
買ってから、家に着くまでがまーたもう、遠足気分でしたわよ。当時はCDウォークマンを持ってなかったので、AIWAのボロいステカセで、CDショップから真一文字に帰宅するまでの間にも、“Lie”と“6:00”しか入ってなかったエアチェック・テープを、繰り返し聴き倒す始末でしてもう。いやあ、ほんと、なんであのときは、あそこまでピュアになれたんだろう。感受性の強いときにそういう刺激のあるものを触れておくのって、ほんと大切だと思うわね。
文体が統一できてなくて申し訳ないが、この長文を書こうと思ったのは、note.muの試運転及び、たまには自分が思い入れを持った作品を詞の中身やらあれこれじっくり語りたかったこと、昔の5,000字超の下書きが一瞬で出てきたこと、そして、今年2016年の10月10日が、曜日まで1994年と同じだから。まあ、いまのはこじつけだが、他に何か終わらせなきゃならん業務があった気がするが、今はこっちのほうを優先しろと自分の本能が訴えてきているので、そうする事に。本来ブログってのは、商売抜きで自分のパトスをぶつける場、でもあるし、ある意味では原点怪奇もとい回帰だ。
話を戻す。
その日は、帰ってからも遠足だった。日本盤特有のビニールをピリピリと破り、フタを開け、いきなりケースからはみ出て落ちてきた附属のボーナス・シングルCD(本編が75分もあって、この5分の曲が収録不可能だったため)に大丈夫なのかコレ!?と思いながらも、両親から「あんたらガキ共はボリュームでかくしたりスイッチあちこちいじったりするから使用禁止」と普段は触れることすらも許されなかったが一ヶ月も前から「頼むから使わせてくれ」と拝み倒したことで封印を解かれた、スピーカー装備のリビングルームのステレオの前に立ち、電源スイッチを入れ、エコライザーを上げたり下げたりしたくなる衝動に駆られながらも落ち着いてCDをセット。両手に取られているのは歌詞カード、そして日本盤のみ封入のオビ叩き。同じく日本盤のみにしか付いてこない日本語のアルバム解説は、全て聴き終えてから読む愉しみのため、一時スピーカーのスミへと避難。ついに押されるプレイボタン、そして飛び出す、毎晩深夜にアンテナと格闘するもなかなか振り払うことができなかったラジオ放送特有の雑音が一切混じっていない純正の、“6:00”
そこからは、よく覚えてません(笑)。ただ、全11曲75分と、5分のシングル一枚を、全てを聴き終えた自分は、ひたすら目の前のスピーカーから流れてくる音と、歌詞カードに集中していたため、まだ11am過ぎだというのにやたら疲れていたのは間違いない。
うちのかーちゃんも、けっこう大音量で聴いてたのが昼食の支度中の耳に届いたこともあって、「あんたまたヘンなの聴いてるわねえ、日本語で歌ってないじゃない。SF映画なの? そんなの聴いてるから疲れるんじゃない?」と、洋楽というものの存在を知らない人らしい反応してたし。
で、昼飯のあと、友人たちから電話が来て、面白い音楽あるから遊びにおいでよ、と招いて、聞かせてみたら、「体育の日にこんなの、聞くな」と言われたので、じゃあまた明日学校でと言いながらとっととそいつら帰して、再び私は闇へと帰還する。地の底を見つめるときは、その奥から誰かが逆にこちらを覗いていることも、考えねばならないのです。
結局当日は、5周ぐらい聴いた気がする。夕食前になると、リビングのステレオが「時間切れ」の一言で封印されたので、部屋に戻ってからは唯一CDを流せるPCエンジンCD-ROM(ゲームを全くやらない目的で買った、かわいそうなハード)に「アウェイク」をセットし、イヤホンを通して、メシと風呂以外でひたすらリピート。テレビ番組すら見ない。数学や物理の宿題もほったらかし(別にそんなの、そのときに限ったこたないですが)。しまいには、電気を消して、目を瞑りと、「Oh! コれガZENネ!」と勘違いされそうなぐらい「全部を受け止めてやるぜ」な気合の入れっぷり。いやあ、ほんとあの時、なんで出来たんだそんなこと。多分「LOOPER」よろしく当時にタイムスリップして、自分で自分の行動を止めようとしても、無理だってぐらいの勢いだ。
先行き不透明で淀んだ、灰色の異世界に迷い込むような感覚、と書くとカッコ付け過ぎだが、このアルバム、本当に自分には「メロディがうんたらかんたら」とかの単純な片付けが出来ないシロモノ。描写の質は違うけど、聴くたびにそれぞれの曲からイメージを掻き立てられる辺りで、私がドリーずっぱまりのキッカケとなった前作「Images and Words」と根本的には、全く同じだと思う。
ただ、昂揚感や爽快感に欠け、深遠で重苦しいイメージが強く、取っ付きがやたら悪いから、時間や季節を選ばず聴ける気軽さのあった前者と、大きな差がある。春や夏には聞けんよ、これ。
作品のテーマを総括した灰色基調のジャケ、蜃気楼のようでいてしっかりどの曲にも起承転結が付けられている歌詞、そして、それらを立体的に捉えた密度の濃い中身の音楽。
メンバー個々のキャラが際立っているのも魅力の一端で、ポートノイとマイアングによるガッチリしたリズム隊、図太く重い音を出しながらキメの部分では明確な「泣き」を大胆に響かせたペトルーシのギター、クレジットがvoicesとあるように歪みから透き通るような伸びやかさまで曲のイメージ合わせて自在に操るラブリエのヴォーカル・パフォーマンス、そして、自分にとってはやはり最大の聴き所のひとつであった、ケヴィン・ムーアのキーボード・サウンド。
ムーアの演奏を語り始めると、私はそれこそ止まらない。“Erotomania”の締め直前や“6:00”のイントロで聞かれる、時計が歪んでいくような音色、 “Voices” のギター・ソロのバッキングでの透明感、アルバム中のハイライトとも言える“Scarred”の最後の最後で出てくる希望に溢れた旋律……。このアルバムというよりも、ドリーの持つ陰鬱な暗黒面の底を掘り下げるのに最大の貢献をしていたのは、ムーアだと信じて疑わないし、後に彼が手がける作品においても、それらにはブレが無かった(が、商業性は徹底的に薄れて、環境音楽化してしまった)。
加えて、全ての楽器の鳴りが冷たく硬く、しかし弾力性のある音に聞こえるよう、バランスが調整されたサウンド・プロダクションも、私好みだ。この音作りを手掛けたのは、ジョン・パーデルとデュアン・バロン。それまでプロデューサーというものを全く気に留めていなかった自分にマニアックな知識と楽しみを与えてくれたのは、この二人の名前が最初だ。
ここから、1曲づつ解説。
オープニングの“6:00”では、文字通り6時(AMかPMかは書かれておらず、昼夜逆転という取り方も可能)に目を覚まし、仕事を漠然とこなし、そして眠りにつく、日常というルーチンに当てはまった者の姿が描かれており、テンポ自体も基本は一定で(一方、リズムパターンそのものはいきなり複雑で、聞いてて面白い)、アルバム中で最もシンプルな構造になっている。しかし中盤に、夢の中へと溶け込むような優しいメロディが奏でられ、オチに「Answer a call while you still hear at all 'cause nobody will if you won't」との一節を持ち込むなど、 ワクにハマって流されていくことを自らの意志で止めることだって出来る、つまりは自己をawakeさせるという、いきなり今作で語っていくことをズバリと出しているのが興味深い。
続く“Caught in a Web”では、エスニック(東洋的)なメロディに載って妖しくうねる厄介なヘヴィさを持った楽曲なだけあって、正にその、日常の単調なルーチンにハマってしまってがんじがらめ、という状況を語っているようにも受け取れる。
一方、直後の“Innocence Faded”では、年齢を重ね失われていく純粋さを歌いつつも、鏡に投影された己の幼い姿から自分を振り返ることの重要性を強調。アルバム中で最も希望に溢れた明るさの曲調に合わせ、これらのメッセージを綴っていく流れにも、淀みの無さが感じられる。
中盤の3曲は、“A Mind Beside Itself”と題された組曲形式を取っており、簡単に総括してしまえば、現実の自分から逃避し、裕福で有名な人間(メンバーはインタビューなどでpoliticianと語っていた)に自己の姿を照らし合わせ夢想をするも、結局は冷静さを忘れない落ち着いた熟考が困難を突破する最善の方法なのでは、という、「自身の隣に現れた姿」とのタイトルよろしく、一種の哲学的なテーマが根本にあるように取れる。
最初の “Erotomania”はインスト(演奏のみ)で、現実の厳しさから目を背け幻影や夢想に陥る者の過程を表すかのように、楽曲は激しく複雑に展開。クライマックス手前で心の救済を思わせる美しいキーボードフレーズが出てきたかと思えば、最後で引っくり返すという、ヒネった構成。タイトルで得た変な期待も、何処へやら。
この曲の直後、不穏な気持ちを呼び起こすおどろおどろしいイントロに導かれ、壮大な“Voices”が流れる。ここでは、様々な歌声を披露するラブリエに完全にスポットが当たり、現実と夢の間に挟まれ葛藤、苦悩、そして諦観していく者の姿を非常に写実的に訴えてくるのが、印象的だ。じっくりと積み重ねたムードを盛り上げ一気にクライマックスへと運ぶペトルーシのギターソロが、楽曲そのものだけでなく作品中盤のハイライトを設けているのも、聴き所。曲のエンディングは始まりとは打って変わって「悩み抜いた末の解答」を表すかのごとき前向きさに満ち溢れ、実際最後の一節も「Don't expect your own messiah, this neverworld which you desire is only in your mind.」となっており、「静かに耐え抜く者の美学」をアコースティックとチェロ、賛美歌調の歌で綴った "The Silent Man" へと自然な形で繋がってゆく。
“Voices”と“The Silent Man”の歌詞を書いたギタリストのペトルーシはクリスチャンでもあるため、実際伝えようとしているのは、希望を失わずに待つことという、案外非常にシンプルなメッセージであるかもしれない。
計20分を越える組曲“A Mind Beside Itself”のフィナーレを飾る“The Silent Man”の美しい余韻が終わるや否や、これまでとは異質のギョッとするようなギター・サウンドが切り込みを入れ、詞の内容的にも楽曲のへヴィ・アグレッシブさにしても驚くほどストレートな、“The Mirror”、そして“Lie”の連作が始まる。
この2曲で歌われているのは、信じる者からの裏切り、それも相当長い時間をかけて築き上げてきたであろう固い信頼関係が崩れることの恐怖と反動だが、興味深いのはその視点の違い。
“The Mirror”は実質的なバンマスでもあるポートノイが書き、“Lie”はこのとき実際に様々な葛藤を抱えていたムーアの手によるもので、前者は怒りを包み隠さず非常に実直、後者は聖母マリアや嘘つきトーマスを引き合いに出す徹底したシニカルな語り口。楽曲そのものにしても、一直線に下るように攻め込んでくる“The Mirror”と違い、“Lie”は先述の“Caught in a Web”以上に曲がりくねっている。
これら2曲が苛烈であっただけに、唯一ベーシストのマイアングが詞を手掛けた“Lifting Shadows Off a Dream”は、暗い海の底から陽の光に導かれ上昇していくような優雅で美しい曲調もあって、「それでも信じることの大切さ」というメッセージが、心地良く響く。
いよいよ作品は、全体の流れをまとめにかかる壮大な“Scarred”へ。アルバム中最長の11分という時間を存分に使い、信じては裏切られ、崩れては元通りに修復していく、人と人とのつながりの本質的且つ根本的な部分(scarは、心に残された傷を表すときに、よく使われる)を、非常に劇的なカタチで炙り出していく。
メンバー全員にしっかり見せ所・聴かせ所(“Voices”に続いてペトルーシが、楽曲のみならず作品後半のハイライトを彩るギターソロを披露しているのは、圧巻)があり、楽曲は緊張感に満ち、ダークに始まっても最後でしっかり美しく締める、ダイナミックな構成。特に曲のクライマックスで高らかに歌われる 「Learning from misery, staring back at dissent, leaving distrust behind,I'm inspired and content」という一節は、これまでの流れがあったからこそここまで大胆に希望と前向きさを溢れさせた言葉を綺麗に並べることができ、その説得力は、6時の幕開けからじっくり噛みしめてきた者にとっては絶大。あらゆる紆余曲折を経ながらも、最後は落ち着くところに落ち着く、というところが、なんとも人生の縮図的である、と私は捉えたが、どうだろう。
が、作品はここでは、終わらない。
恐らくこのアルバムを賛否両論真っ二つに分けた要因のひとつともいえる、曲そのものが実験色の塊(突き刺さるような暗いピアノフレーズ反復、歪んだノイズ、掴み所の難しいヴォーカルメロディなどが8分近く続く)のような“Space-Dye Vest”が、ここで待っている。
曲そのもの以上に、極端なことを言えばこれまでの流れを一気にぶち壊しかねない、「自分は孤独でいい、他者との出会いは、最初から間違っていた」と完全に自己の殻に塞ぎ込んでしまう、非常に醒めた視点からのメッセージ性が、あまりにも特徴的。これを作詞どころか作曲まで独自に手掛けたのは、結果的にアルバム発売前にバンドから脱退をしてしまうキーボーディストのムーアだが、彼自身真っ直ぐに質問を答えないことで有名なのもあって、そう考えると、訴えているメッセージはひょっとしたら逆さ(「人は一人では生きられない」)なのかもしれない。
終焉の土壇場に盛られた致死量の毒というか、実際これがアルバムを聴き終えたあとの後味を悪くしているのはもう、間違いないが、個人的にはこの不確定さも含めて、“Space-Dye Vest”が(たとえムーアが下着広告の女性に惹かれて脊髄反射で書いたと証言していても)このアルバムの底知れない魅力を深めていると、私は思う。
またこうして、歌詞と音全体を捉えるべくじっくり聴き返してみて、前から漠然と感じていたことが、なんとなく見えてきたのだが、それは今作は、わりかし普通の者が生きていく中で対峙する分かれ道からその終わりまでの様々な情景のラフスケッチ、という主題が根本にあるのではないか、ということ。
一見常識的でない事柄のように思えて、案外そうとは言い切れない普遍的なものの、数々。恐らくバンド自身もそこまで深く考えていたかどうかは全く定かではないが、ひとつひとつのピースを当てはめていって、最後に自分の前に出来上がった全体像は、正にそれ。
偶然か、はたまた意図的か。いずれにしても、それだけの解釈を促させてしまうところに、「アウェイク」という作品の、時を経ても色褪せない麻薬的な魅力があると思う。
流れている時間の概念が違うというか、小説で言うと星新一の短編を連続で読むような、ドン詰まりの殺伐さと人間味ある柔和さがギリッギリのバランスで組み合わさった、不思議な緊張感を、この作品を聴くたびに覚えるのだ、わたくしは。
https://www.youtube.com/results?search_query=dream+theater+awake+full
勿論、上記の解釈以外にも、ロックという音楽フォーマットに沿っていながら、聴く人それぞれがいろいろな受け取り方をすることが可能で、ムードは統一感があるのに聴き手の想像力を喚起させる自由度が高いというのも、この作品を孤高の位置へと押し進めていることの要因ではないかと思う。
http://www.metal-archives.com/albums/Dream_Theater/Awake/131
それを証拠に、↑の、長年続いている視聴者参加のフォーラムでは、他のアルバムを差し置いて、一般ユーザーからの評価が突き抜けている。
そんなこんなで、タイトルよろしく自身のヘンな感性を文字通り呼び起こしかねないこの「アウェイク」は、自分にとって掛け替えの無い非常に重要な音楽作品のひとつなのだが、「こんな暗すぎるの何度も聴けんわ」と言いコレでドリーが駄目になった(当時の)友人も居たように、実際今作は、相当に根気と感受性の強い人にしか、今でも勧めらなかったりもする。
まあここまでの間にも、大量の動画・音源リンクを張っておいたので、音質にこだわらなければまず、そこから摘まみ食いをしていくと、いいかもしれない。CD時代じゃないんだし、別に無理して75分も聞く必要は無いから。ある程度曲がバラバラに染み込んでから、75分一気食いに挑戦するのも、乙だろう。
むしろスマホで適当にバラ聞きの今だからこそ、私のようにこの日が来たら正座して(笑)、通して対峙するのが、オシャレかもしれないし、物作りをしている人たちには何かしらのヒントを得られたりもする……かもしれない。
尚、良い音質の音源が欲しければ、マメに中古を探すか(当時中古へもよく投げ売られたので、アマゾンなどでも、送料のほうが本体価格よりも高かったりする)、下記のようにキーワードを絞って検索して、これまたマメに探す手も有る。今さらCDを買った所で、再生する機械が少ないのも事実だし。
https://www.google.com/search?num=30&newwindow=1&site=&source=hp&q=dream+theater+awake+rar&oq=dream+theater+awake+rar&gs_l=hp.3..0l2j0i22i30k1l8.2487.7813.0.7920.34.24.3.4.4.0.214.2585.0j16j1.17.0....0...1c.1.64.hp..10.23.2529.0..0i131k1j0i10k1.Zr5woZtmdBw
かるーくグレーゾーンな方法を教えた上で、以下、曲目やクレジットのデータなど。
1. 6:00 2. Caught in a Web 3. Innocence Faded 4. Erotomania 5. Voices 6. The Silent Man 7. The Mirror 8. Lie 9. Lifting Shadows Off a Dream 10. Scarred 11. Space-Dye Vest
Mike Portnoy: Drums & Percussions, John Petrucci: Guitar, John Myung: Bass, Kevin Moore: Keyboards, James LaBrie: Voices
Produced, engineered, and mixed by John Purdell & Duane Baron
Artwork concept by Dream Theater and Dan Muro