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大好きなひとがいなくなったとき、大好きな会社から捨てられたときの話
明日からもあると信じていたことが、突然、明日からなくなることを体験したことはあるだろうか。
わたしは、2回ほど経験をしたことがある。
1度目は18歳のころに、とても懐いていた母方の叔母が亡くなった時だった。
叔母は、わたしにとっては家族同然で、むしろ本当の家族の父や兄よりも、家族と思っているくらいの関係性だった。
一緒に旅行も行って、泊まりに行くのが毎回楽しみな関係だった。
そんな大好きな彼女が、乳がんを宣告されてから1年たつか経たないかそれくらいの時間で逝ってしまった。
亡くなるなんて思っていなくて、絶対治ると信じていた。
亡くなる前日まで、わたしは能天気に、彼女は治るものなのだと思い込んでいたのだ。
当時、わたしが浪人中の身であったこともあり、母は彼女の病状を細かくわたしに伝えることはなかった。
でも、わたしも彼女の病状を細かく知ろうとしていなかったのは事実だ。
聞くのが怖かったのかもしれない。
なぜかわたしは
「彼女はこれからも生きていく」というものだと信じて疑っていないかった。
それでも、突然、それはやってきた。
「多分、明日には亡くなると思う」
苦しそうな表情の母から、知らされたときに、目の前が真っ暗になる感覚を覚え、泣き叫んだのを覚えている。母には「なんで言わなかったんだ」ときつい言葉を投げかけたし、友人に電話をかけて困らせてしまった。
今になって、感情的になって母に言葉を投げかけたのを後悔している思いもある。
でも、それくらい大切な相手だった。大好きだったんだよ。わたしは、あの叔母さんが大好きだった。
それでも、人がいなくなるのは突然だ。
人は死ぬ。
それが現実だ。
当たり前にあると思っていたことがなくなるのは、突然起きて、そして失われることもある。
それを思い知ったのがその瞬間だった。
2回目は前職のときだった。
前職は、スタートアップだった。
入社当初、事業はめちゃくちゃ伸びていて、当時は会社がうまくいかなくなるなんて想像もついていなかった。
毎月人は増えていたし、育成も間に合わないっていうくらいの、うれしい悲鳴なんて言うのも起きていたぐらいだ。
前職に入社するまでは、仕事が絶望でしかなかった人生を歩んできたわたしにとってはとっても、めちゃくちゃ楽しくて、毎日が充実していた時間だった。
それでも、その時は突然訪れた。
「事業の悪化により、希望退職者を募ります」
何が起きたのだろうと思った。
まさか、突然??
だってあんなに順調で、みんな楽しそうだったじゃないか。
なんとなくの前兆もあったけれど、正直見ないふりをしていた。
「きっと大丈夫だ」
「何も起きないはずだ」
「これからも楽しく働けるはず」
こんなことを考えたかったのかもしれない。
それでも、現実は残酷で、わたしがいたチームは即日に解散になり、わたしは2週間以内に、会社からの要請によって休職をするか希望退職をするかの決断を迫られることになった。
すごく胸が痛かった。
悲しかった。
大好きだった会社に必要とされていない、いらないって宣告を受けた気持ちで、悲しくて辛かった。
絶対あるものって信じていたものって、大事なものっていきなり消えてしまうのだろうか。
繋がりなんて儚くて、不確定なものなんだと思い知った気がした。
いきなり、手を離されてしまうものなのかもしれないと思った。
気持ちはぐちゃぐちゃになったし、捨てられた子犬の気分だった。
会社に対して「なんで??」と言う気持ちも正直あったし、ただただ悲しい気持ちになった。
叔母が亡くなったときに残ったもの
結局は、わたしに残っていたことだけが一つだけあったんだよなって今になって思う。
叔母が亡くなったのは、わたしが浪人をしたあと、大学に入学した年の5月のGWの頃だった。
葬儀の当日、当時、入りたいと思っていた不登校支援のNPO法人の初めての集まりがあった。
葬儀の前日まで、行くのをキャンセルしようとしていたわたしに、母は「行け」と言った。
当時は、対人の仕事がしたいという思いを見つけたばかりの頃だった。死に物狂いで、大学に受かったばかりだったころだった。
対人支援の仕事をしたいと思った頃の話はこちらで読めます。
母は、「叔母さんは絶対行けって言ってるから行きなさい」と背中を押してくれた。
少し、迷ったけれど、母の言葉に背中を押されて、プログラムに参加をした。
泣きながら、バスに揺られて
この時間がとても尊く美しかったのを覚えている。
プログラムの中、人と対話し、心のうちを話すことで少しずつ自分を開示して話を聞いてもらうことの尊さを理解できたのだ。
心のとげとげした傷が少しずつ癒やされるのを感じた。
対人支援に関わろうとする人たちの、心の温かさと弱さと強さに触れる時間だった。
プログラムに参加中、「わたしこの時間が好きだ」と直感的にずっと思えていたのだった。
母が、あの時背中を押してくれなかったらどうなっていたんだろう。
前職が突然、失われそうになったときに残ったこと
当時ははすがるような思いで、キャリアコーチングを受けた。
話し始めてから、わたしは、すぐに号泣し始めてしまったのを覚えている。
失ったもの、会社に捨てられてしまったことについて泣きながら、話し始めたわたしにコーチが言ったのは、
「なんでそんなに自信がなさそうなんですか?対人支援、頑張ってきているから、できること多い気がしますけれど」
何にもないって思っていた、もうわたしは会社にも捨てられて、誰にも必要とされていないと思っていた。
もうそんなわたしを必要としてくれる人もいないし、きっともう社会的にも価値がないと思い込んでいて苦しかった。
でもそんなことは勝手なわたしの思い込みで、それまで頑張ってきた対人支援はできることとして残っていた。
結局ポツリとわたしの言葉からでたのは、「対人の仕事はやめたくない。絶対続けたい」という思いひとつだった。
その思いひとつが残って、結局は今のコーチングの仕事をしている。
突然失われるものはある
生きている中で、信じていたもの、大事にしていたものがたくさんある。
でも、それって突然消えちゃうこともあるし、意図せずになくなってしまうこともある。
間違いなく、それは傷になるし、悲しみを生んで立ち上がれなくなってしまうこともある。
それでも、ちゃんと残っているものは自分の中にあったりするんだなって思う。
わたしには、結局は「対人支援の経験と思い」だけが残った。
ただ、それだけなんだ。それだけが、わたしの支えになっている。
もしかしたら、そんな好きなこともやりたいこともないよって、自分の中にはなんにもないってなるかもしれないけれど、そんな元気ないよってなるかもしれない。
でもさ、自分のことをちゃんと見てあげてほしい。
見ないふりしないであげてほしい。
失ったものは、きっとあなたにとって大事なものだっただろう。
立ち上がれなくなるくらい、傷になっているかもしれない。
けれどもさ、あなたの中に残っていること、築き上げてきたもの、何かが残っていることもあるんだよ。
一緒にそれを探しに行かせてほしい。
ちゃんと立ち上がって、自分の足で立って、生きることがあなたにはできるはずなんだ。
一人じゃ心細いかもしれない。
わかる。
わたしもそうだった。
きっと当時は母がいなければ、コーチがいなければ、わたしの心はあの時死んでしまっていたかもしれない。
支えとなる人も自分で見つけることができる。
それがわたしじゃないかもしれないけれど、このnoteを読んでわたしを選んでくれたら嬉しかったりする。
聞いてほしいっ、頼りたいよってなったら、連絡してほしい。
些細なことでも、まずはちょっとおしゃべりしませんか?
わたしがすべてお役立ちできるかどうかはわからないけれど、お話しして、お役立ちできそうだったら、本気であなたの人生に伴走させてください。
待ってるよ!
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