殻の中から上を見上げていた私が、殻の外から見る私へ
この半年間で感じたことを忘備録代わりに!
半年前は看護師という枠組みの中から出たいけど出れなくてもがいて
ピーチクパーチクしていました。(笑)
自分がいかに自分の現在地の解像度を上げようとしなかったか。
目標に対し行動を起こすために因数分解してこなかったかを痛感しまくりでした。
菅原健一さんの’小さくわけて考える’も読んだことあるのに全然活用できてへんやん自分…!(^^;
と、つっこみ入れたり。
ある程度ライフスタイル整ってるつもりだったけど全然やん。
自分の周囲ではそう思えたけどコンフォートゾーンからちょっと出てみたらボロ出まくりやん。みたいな(笑)
逃げまくって逃げきれないところまできた。
要するに逃げてたんですよね。自分のださいとこ、未熟なところはみたくない。
かっこよくみせられるところだけみせてたい。
仕事がやれ大変だーとか見様見真似でプライベートも充実させようとしたり
見られる意識を過剰に持っていた。
他人と比較してベクトル意識を自分ではなくめちゃくちゃ他者に向けていた。
そんな本音を垣間見てそれを自己受容するのも中々すっとできなくて。
今まで自分の中で握りしめすぎてたものが癒着してしまい、結局殻に閉じ込めていたのは自分自身で別に社会でも他人でも環境でもなんでもなかったなーと。
もうこの鉛のように重たい渦中から脱する瞬間が来た時、
ある種の’どうでもいい’と吹っ切る感覚になり、
まだやれると思っている可能性を諦めていない自分が悔しー!!
まだ今世やり切れてない!!て自分の心の声が叫んでるのも聞こえました。
内観も大事やけど人と交流した方が良いというアドバイス
そうやって乗り越えられたのはやっぱり人との出会い、交流からで。
私は他者と交流していくことでどんどん
自分自身に出会っていくんだということを痛感しました。
そしたら、内観する時間も必要だけどどんどん行動して人にあっていこう。
別に傷ついたって失敗したっていいじゃないか。死ぬわけじゃないし。
今まではどれだけ言語化して伝えようとしても自分が伝えたい事の50%しか人には伝わらないっていうやん。以前職場の先輩もそう言ってたし。と
自分としての意見を言うことに諦めていたけど、
多くの人に分かってもらえなくても1人の人に届いたら丸儲け!メンタルでまた歩みだそうと思えました。
人を巻き込むということ
こうやって泥臭い自分を出すことで、人に応援の言葉や感化されたというメッセージももらえるようになり、最後にこんな感覚になれたのは幼少期以来だと思います。
わたしはいつの間にかスマートに無難な自分をみせることで人に評価してもらおう、良く思われようとしかしてこなくてある種猫かぶっていたのかなーってのも気づかせてもらいました。
これからは幼い5歳くらいの無邪気で純粋にチャレンジしようと思える自分をベンチマークにJust do itで新たに楽しんでいこうと思います。
そう思えたら気づけば自分でつくっていた看護師の枠組みを上からみている感覚になりました。
やっと看護師を利用しろ!の意味も分かった気がします。
欠乏症→充足感ベースのマインドシフト
そうすると今までの自分の思考パターンも逆の発想で考えたら…と反対?半面?の世界も捉えようとしたり、今までどうせ…で考えがちだったことも、どうせ…でも?からの~?って可能性に目を向ける、最後はアンダッチャブルのザキヤマさん思考パターンを習得できるようになってました。笑
意識の変化=身体の反応
そして、お手当ての先生の勉強会に参加した時の対話で、"もうやるしかないんだよ"て言われてから、
自分の歩くときの足の重心も変わりました。
(今まで足の親指、母指球をちゃんと使えてなかったのがしっかりそこにも重心が乗って地面をけれるような感覚になりました。これはcraft, art, scienceでいうところでscienceで説明つかないので解明できるようにしたいです!)
こうやって身体も反応していることに初めて感動できました。
まだまだ分からない知りたいことがいっぱい!
じだんだ踏んでいる暇はない!モードに
突入できたのも自分がこうして向き合えたからなのだなと思うと、改めて自分自身に妥協したくないなと思います。
上の画像はカンボジアへ訪れたときの朝日をイメージしてmidjourneyで画像生成しました。引き続き画像生成も色々やってみようと思います(^^)/
最後まで読んでいただきありがとうございました☆
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