見えない怖(おそ)れを描く
13年ほど前に、『天顕祭』というSFファンタジーマンガを描いた。戦争により、病をもたらす「フカシ」という毒物に汚染された、日本のような国を舞台にした未来の話である。鳶職の少女、咲は50年に一度の大祭「天顕祭」の「クシナダヒメ役」に選ばれる。だがその祭には恐ろしい秘密があった。姿を消した咲を鳶の若頭・真中が追ううちに神々と現実の汚染が交錯し、「天顕祭」の真実が明らかになる…という和風伝奇SFだ。
このお話が産まれたのにはいくつかのきっかけがあった。一つは、東温市の浮嶋神社でお神楽を見たことだ。年越しの神事としていくつもの舞が奉納され、最後に天岩戸がめでたく開けられ天照大神が現れると、年が明ける。松山にいたころは見たことのなかったお神楽に、強い印象を受けた。その印象を長年心にあたためていたが、マンガのストーリーを考え練り上げる中でスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治をお話の中心に定めることにしたため、実際には島根の岩見神楽の要素が強くなった。さらに奈良の大神神社等で体験した夏越の祓の茅の輪くぐり、大学生活を送った京都の竹林など各地のイメージが入り混じり、結果として架空の土地が舞台になっている。
ちなみにこの世界に出てくる毒は「フカシ」というのだが、漢字で書くと「不可視」となる。要するに見えない毒だ。創作するにあたり、自分にとって本当に怖いものを描くと作品が真に迫り、力を持つ。最近作の『大阪環状結界都市』でも見えない怪異を巨大な「装置」で可視化して退治することが大きな要素だった。私にとって怖いものは、そのものよりむしろ、「見えないこと」であるようだ。
見えない大蛇がたてるざりざりという音を、生臭い息を、わずかな風音にも飛び上がりながら耳を澄ませ、何とか大蛇がどこにいるか、どこまで近づいているのか探るほかない、恐怖とストレスに満ちた体験と戦い。気が付けば世界中で、皆がそんな時を過ごしている。現代に生きるわれわれは科学の力でウィルスという大蛇をすべて可視化し、退治できるのだろうか。一方、京都の八坂神社では、疫病よけに季節外れの茅の輪くぐりが境内に登場したという。そのものが見えず、先行きも見えない時、私たちは祈らずにはいられない。手を洗い、室内を換気し、可能な限り人と距離をとり、家にいる。そんな科学的エビデンスがある対策をしつつ、「蘇民将来の子孫」と書いて玄関に貼ろうかと考えるのもまた人なのだと思う。
白井弓子 (漫画家)
(2020年4月5日 愛媛新聞「道標」より)