時間のかかる人

道標カット05

 長年参加してきた「コミティア」というイベントがある。東京など各地で開かれる創作同人誌即売会で、数千サークルが自作のマンガやイラストなどの本を持ち寄り、対面で売り買いや交流をするイベントだ。先日の週末も開かれるはずだったが、あいにくのコロナ禍で中止となった。ただ中止というのも残念なので、SNS上での「エア開催」が呼びかけられた。イベントが開かれるはずだった時間に皆でネット上にマンガをアップしたり、通販をしたりして大いに盛り上がった。
 私も参加したかったが、新刊は無い。そこで思い切って18歳の頃に出した初個人誌『アクアリウム』をネットに少しアップしてみることにした。当時評判が悪くなかったとはいえ過去作品を読み返すといやな汗が出る。だが勇気を出して読み返してみると、拙いながらも今のマンガにつながる要素がそのまま描かれているではないか。自分の変わらなさに呆れたり感心したりした。


 自己犠牲への反発、戦争や歴史を忘却する事へのおそれ、夢と現実のあわいを行き来しながら自分を見つけるストーリー。その後の漫画でも何度も繰り返したモチーフだ。なぜ繰り返すのかというとずっと興味があり続けるからだが、マンガができあがりに常に満足できないからかもしれない。「まだ描けていない」と。
 同じところをぐるぐる回っていても、テーマとストーリーとキャラと、それを描く能力がそろわない。あちらができればこちらが欠ける。作家活動とはそんなものかもしれないけれど、それにしても自分は成長に時間のかかる人だ。
 20代で「妊婦がお腹の中に我が子を探しに行く」話を、30代で未来の日本で生きる女猟師たちの話を描いた(未完)。それらが時を越え、戦争という要素を加え1つの漫画『WOMBS(ウームズ)』で出会う。「妊婦」が戦うSFマンガ『WOMBS』が初めての商業連載として始まった時私は40歳になっていた。
 漫画家になりたいなら24歳までに。できなければあきらめた方が良い。そんな言葉も昔はよくきかれた。30歳を過ぎて持ち込んだ編集者からやんわりとたしなめられたりもした。志望者の人生設計を考えればむしろ親切なアドバイスかもしれない。ただ純粋に創作者として考えれば、「まだ描けていない」ことをゆっくりと螺旋を描きながら満たしていく人生は良いもののはずだ。その過程で作品が評価されたり売れたりすれば、それを励みにもう1周登ってみたり、別の螺旋を作ってみようと思う。それがいつなのか、誰にもわからない。わからないが、作ったことで、少なくとも今とはちょっと違う景色が見られるはずだ。


 アップした昔の漫画は案外多くの人に見てもらえた。何となく一区切りついたような心地がして、今の原稿に戻ると、18歳の時描いた漫画にそっくりなキャラがいることに気づいた。呆れつつも、「好きなんだ!こういうキャラが!多分一生!」と心の中で叫んだのであった。

(2020年6月14日 愛媛新聞「道標」より)


追記

カットにまたアマビエが登場。前回「アマビエ」って何?となったうちの母も今回はアマビエになじんでいた。アマビエの砥部焼とか、色々な形であちこちに登場しているので。SNSとのタイムラグ。今回はかわいいアマビエだったので評判が良い(笑)

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