メッシュワークの学び #7
メッシュワークのインタビュータイム。
ここまでのことを振り返り、できるだけ率直に(でも多少は分かりやすく)伝えようと思って参加。
フリーで始まるのか、何か定まった質問が用意されているのか、どんな感じだろうと入り、インターンの方とNOTEの話をしていたら、インタビューのことを少し忘れていた自分がいた。
記者の方の質問でやはり刺さったのは、
「なぜそんな遠回りなことを」だった。
とってもよくわかる。非効率を選ぶ理由は本来ない(ように感じられる)。
素早い答え、効率的な選択に、却って限界を感じていた、
当時の自分をふと思い出す。
これ以上早くしたって、、、大事なのは幸せを感じられているかどうかなのに、、、
このゼミによって興味関心が水平展開され、積まれる本が増えていくこともまた、フィールドワークなのかもとふと思ったりする。
さ迷っているのは間違いない、でももとからゴールなんてないんだから、迷っているというより、この「ふよふよ」浮いているこの「感じ」を得ているのかしら。
独りで飛び込んでいく、現場に向き合っていくもの
個別のプロジェクトとして、全然違うものを取りくんでいくもの。
数少ない共有イメージである「メッシュワーク」に応答しながら、
紆余曲折を経て実感できるものとして。
そもそも最初の問いが「これでいいのか」「思ったものと違う」「データ撮ったけど、どうする?」
そうして現場と向き合い、それでしか到達できない考え方が必要ではないかと思っている。
変化していく問い、そういうところがあまり他にはないゼミではないかと思っている。
それを面白がってくれているメンバーだち。
一人で向き合いながらも、メンバーでアドバイスし合い、フィードバックしあって、あたかも同じところにいる人同士のような、相互で学び合う場になっているのではないか。
役立つかどうかというラベルを張らずに集める素晴らしさ。
だから、そのまま持ってくるから、発見ができる。
さ迷う事の大事さ
例)挨拶の時の声のボリュームの上がり下がりの傾向
入った時に「早く役立ちたい」というバリユーへの渇望
買った手順、ないものだからこそ、知りたいからこそ買ったそれにも意味があるのではないか。
分かった対象だけでなく、この時に何を感じていたか、これも特徴として取っていきたい。