狙わずに書くと、もうそれはすでに狙っているという妙な話
世の中いろんなPRで溢れています。
きっとPRじゃないメッセージを探す方が大変でしょう。
でも最近、狙ってる感が強すぎて、
私の心がちょっと引き気味になっているのを感じています。
しかし、だからといって、
狙ってる感を否定する気もなく、
狙うからこそ世の中に出すのであって、
それがダメならただ情報がさ迷うだけじゃないかと。
躍動するいろんなハッシュタグには、
その向こう側にある下心と当然セットなわけです。
「下心とは失礼な」
いや、すみません、ほんと、おっしゃる通りです。
何かを狙わずに、ただ思ったことを伝える。
どう捉えるかは読み手次第。
そこに善し悪しの評価も一切放棄する。
出されたメッセージを、ただそのまま、受け取る。
そうですか、うん、うん、と受け取ることの、何と難しいことか。
これだけ便利になって、
いろんなことができるようになった世の中なのに、
思ったことをただ出すことが、こうも難しいとは。
このNOTEさえも、
狙わずにただ筆を走らせようと、
すればするほど、着地点を探している私。
下心が、浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
まるでそれは、
《海面で上下するブイ》みたいだなあと、
書いたところで心のブザーが鳴る。
「はい、そこ。
その比喩がすでにもう、狙ってますが」の、ブザー。
狙わずに書くと、
もうそれはすでに《狙っている》という妙な話。
このNOTEを始める前に、仲間とあれだけ、
《俺、狙わずに書くよ》と言っておいて、このありさま。
だけど、書いてみて、
決めたことは一つ。
《また書いてやるさ》。
…狙ったっていいじゃないか。
海面のブイってくらい、書いたっていいじゃないか。
ブイだけに《ブイブイ言わせてやる》ていう
虚しいオチがあったって、いいじゃないか。
だってほら、
案外おもろいもん。ブイ。