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🎀作品紹介🎀 #58 なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない

#58 なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない/It is never too late to be what you might have been.

手紙に記した彼女の思いは果たして然るべき人に届くのだろうか。
不安と焦りの日々の中、「どうしてもっと早くしなかったのだろう」との後悔の言葉が鋭く心に突き刺さる。
手紙がその人に届くかどうかは分からないけれど、それでも歩みを止めない。
遅すぎるかどうかを決めるのは彼女自身。

この言葉は長い間、私の心の疼きでした。現実を無視した綺麗事でしかありませんでした。
遅すぎてできなかったこと、満足のいく結果がでなかったことはたくさんあります。
早ければ早いほど良いこと、得することもいっぱいあります。
若ければ若いほど同じ量の努力に対する見返りが大きいのも事実です。
遅すぎたために失った物が多い人ほど、この言葉が心に迫ってくるのだと思います。
この言葉が示すのは、その人の信念や生き方そのものであり、努力が報われたり、名や財を成すこととは別次元の問題。
結果にこだわらず、挑戦することに価値を置く境地に達した人だけが見ることのできる情景だと思うのです。

今の自分はなりたかった自分なのだろうか、ともう一人の自分に常に問い続けることこそ大切だと思います。
「どうしてもっと早くしなかったのだろう」という過ぎ去った昔への後悔と、なりたくてもなれなかった自分への失望から、自分を見失いそうになる私自身に、最後の一線として語りかけたい言葉です。
遅すぎるかどうか、それを決めるのは私自身なのです。

これは、ヴィクトリア朝を代表する女性作家ジョージ.エリオット(George Eliot)の名言として知られています。
女性はありきたりな恋愛小説しか書けないというステレオタイプを避けるため、男性ペンネームを使用したことで知られています。
因習的なヴィクトリア朝時代、「家庭の天使」のような金髪碧眼のヒロインが小説の主役とされていた中で、そこから逸脱した内面も外面もダークな女性をヒロインとして描き、その時代のヒロイン像を大きく変化させました。
彼女自身は、福音主義の家庭に生まれ、自由な思想の持主である一方で、保守的な部分も持ち合わせていました。
理想と現実のギャップに苦しむ女性たちに、新しい女性像とは何か、理想の女性とは何か、を問いかけ、自分らしさを貫くことの大切さを説き続けた女性だったと思います。

私のメインコレクションを「ダークヒロイン」としたのは、当時の価値観に屈することなく、彼女が理想とする女性をダークなヒロインとして描いたことに敬意を評するとともに、私自身のダークヒロインたちを描きたいと思ったからです。

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