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酔狂に殉じる

酔狂という言葉を知ったのは、泉鏡花原作の新派劇『瀧の白糸』の主人公のセリフからでした。

貧しい法学生と恋に落ちた水芸の女(白糸)が、学費を仕送りするためにありったけのお金を貢ぐ。しかし、仕送り金を工面する過程で、殺人を犯してしまう。
法廷で判事となった貢いだ男に裁かれる白糸。
主席判事が訊ねる。
「どうしてお前のような水芸人が三百円もの大金を貢いだのか?」
瀧の白糸は答える。
「ですから幾度も申し上げております。すべては私の酔狂でございます。」
白糸は死刑判決を受け、自殺する。
まさに彼女は愛する男に金も命も差し出した。
尽くしてきた愛する男の手で裁かれるという不条理さえ受け入れ、どのような結果になろうと言い訳せずすべての責任を負う白糸。
その覚悟と切なく悲しいくらいの潔さが心に刺さりました。

それ以降、一度きりに人生なのだから、酔狂に生きる人生を送りたいと思うようになりました。
自分らしい世界観、自分しか創り出せない唯一無二の世界観の構築を目指しているNFT活動もその1つです。
ただその一方で、市場の反応も無視できないのが現状。
酔狂に振り切きれない自分の覚悟のなさを歯がゆく思うことも度々あります。
これからも迷走は続きますが、常に「酔狂」という言葉を念頭に置いておき、自分自身に問い続けようと思っています。
「酔狂に殉じていますか?」

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