四国アイランドリーグplus選抜チームがニューヨークにカブキスピリッツ旋風を巻き起こす
2016年7月2日/スーザン・ミヤギ・ハマカー
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春の終わりに近い暖かな土曜日、夕陽が傾きかけ始めた頃、高身長、引き締まった体格の左ピッチャーが、ホームチーム相手にマウンドに立った。
今宵のプロ野球観戦には家族連れの観客達が大勢集まった。だが、ここはヤンキースタジアムでもシティフィールドでも、スタテン島リッチモンド郡球場(✴︎ヤンキース傘下1A)でもない。スカイランズ・スタジアム、キャンナム独立リーグに属するニュージャージー州サセックス郡オーガスタを本拠地にするマイナーズの球場だ。そして、マイナーズの対戦相手は、同じキャンナムリーグに属するチームではない。地球の反対側からやってきた選抜オールスターチームだ。
左投手の名は正田樹、日本プロ野球チーム、日本ハムファイターズで2002年パリーグ新人王獲得した投手だ。日ハムやNPB球団他2チーム、セミプロ、台湾プロチームを経て、34歳の正田は今、四国アイランドリーグに属する愛媛マンダリンパイレーツで投げている。
「投げられる間は投げ続けたい。」
2016年6月11日のマイナーズとの試合前インタビューで正田はそう語った。
「野球選手であり続けたい。またNPBで投げたいという気持ちもある。でも、とにかく野球を続けたい。」
長いキャリアで手術や大きな怪我が無かった事は正田にとって幸運だ。レベルの高い日本球界だけでなく、台湾の2球団、2011年にはボストンレッドソックスとマイナー契約もした。残念な事に春季キャンプ後に解雇されてしまったが、正田にとってはどこでプレイしようとも、野球は野球だという姿勢を持っている。
「野球自体の大きな違いは感じませんでした。」
そう正田は言う。
「どこの球団やチームでも自分のベストで投球するだけ。ただ、環境や施設、設備といったものに違いを見ることもありました。」
残念ながら四国アイランドリーグはNPBのような資金力はない。しかし、正田の「投げたい」という気持ちは強く、かつてヤクルト時代に世話になった加藤博人コーチに誘われ、愛媛に行くことを決めた。
四国アイランドリーグはJR四国や四国コカ・コーラ社などのスポンサーがついた日本独立4リーグのひとつだ。各チームは22人の選手が所属し、80試合をシーズン中にこなす。正田や元ヤンキースピッチャー伊良部秀輝も所属していた事があるなど、ベテラン選手や高校卒業後にドラフトされなかった選手の活躍の場となっている。リーグ誕生から11年、54人がNPBと契約した。
33人の選手とコーチ陣の四国アイランドリーグplus選抜チームは、6月の丸一月を北米キャンナムリーグに参加し、ニュージャージー州、ニューヨーク州やカナダのチームと対戦した。
6月6日のアムステルダム・ホークスとの親善試合で13-0と圧勝し始まった北米遠征は、キャンナムリーグで8-11という記録を残した。その試合のほとんどが1点を争う接戦であり、6試合もが延長試合だった。
6月11日のマイナーズ戦での正田は、決してベストな投球では無かったが、4イニング以上を投げた。だが、ホームチーム、マイナーズにドラマチックなサヨナラ負けを許した。
正田は3イニング続けてランナーを貯めたが、2失点(自責1)に抑えた。ただ、チームに良い守備があったと思えば、失策もあり、際どい判定に乱闘になりそうだったり、猫が外野に飛び出て来たり、そんなゲーム展開の中で両チームとも好撃のチャンスを何度か潰してしまった。
両チームの高い競争意識と諦めない姿はとても感動的で、ここが3000人満たない観衆の小さな球場だった事を試合終了後まで観戦していた人たちは皆忘れた。
4時間近くに渡る大接戦の試合後は、監督やコーチ陣やトレーナーも含め試合後に予定されていた花火大会を楽しんだ。そして四国チームは、日本の時と同様にお見送り、笑顔でファンにサインして終えた。
「独立リーグでプレイして良いことの1つは、試合後のお見送りがあり、ファンの方と近い距離で接することができる事だ。」と正田は言う。
チームでも年齢が上の正田だが、中にはまだ10代の選手もいる後輩達のメンター的役割となる事にも好意的に受け止めている。
「若い選手から質問を受ければそれに答え、教えます。若い選手は成功することに貪欲です。」そう正田は語る。
「彼らの熱意にインスパイアされます。」
そんな若い選手の1人に19歳の平間隼人選手がいる。四国アイランドリーグでは別々のチームに所属する2人だが、平間はこの北米ツアーの機会にNPB経験のある正田から学ぼうとしている。
「投手と内野手とポジションも違うが正田さんは経験も積んでいるし、NPBのトップヒッター達とも対戦しているし、刺激になります。」NPBでプレイする事が平間の目標だ。平間は正田もプレイしていた阪神タイガースが好きなのだと言う。
平間と正田は遠征始めの渡米直後、ニュージャージー州の同じホストファミリーに滞在した。平間は正田について、「とてもフレンドリーで堅実な人。彼は僕の先輩なので洗濯はやりました。」
それは別にして、平間は選抜メンバーに選出されたことをしっかりと受け止めている。
「選抜チームメイトたちとアメリカのチームと良い試合をするのが楽しみです。良い経験になると思うのですごくワクワクしています。この経験から多くの事を学びたい。」試合前のスカイランズ・スタジアムで平間がそう話してくれた。
キャンナムリーグでの成績を見ると、平間は好成績を残している。公式戦19試合で1試合以外全て出場、打率は2本の二塁打を含む.322、14打点、6得点を記している。
地元徳島出身の平間は大学進学より四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスでプレイすることを選択した。チームに入って2年目の平間は、家族や地元ファンの近くでプレイすることを大切にしており、そのような環境で活躍し、NPBへ行くチャンスを伺っている。
「日本では選手に2つの選択肢があります。1つは大学に行く事、2つ目は独立リーグを経てNPBへいくという道です。」
独立リーグのほか、日本には社会人野球、企業やクラブチームで成るアマチュア野球がある。社会人野球は選手が企業の社員でありながら、トーナメントに参加しNPBだけでなくMLBを目指す選手もいる。レッドソックスの中継ぎ投手田澤純一も新日本石油に所属していた選手であり、NPBを経ることなくMLBに移籍した。
日本独立リーグには数人の外国人選手も所属している。カリフォルニア出身で母親が日本人の内野手ザック・コルビー、左腕投手バレット・フィリップス(※取材時当時)だ。コルビーはキャンナムリーグで打率平均.303、二塁打以上が8本、16打点、10得点と好成績を残している。2012年にニューヨーク市から180マイル(290キロ)北にあるアムステルダム・モーホークスに所属していたが、6月6日に親善試合が行われ、元チームメイトたちと対戦した。
ピッツバーグ・パイレーツのマイナーリーグに所属していたフィリップスはサウス・キャロライナ州出身、3月に四国へ向かう2日前に結婚式をあげた。「日本にいて一番辛いことは妻と離れて暮らすことだ。」とフィリップス。「妻には仕事があり、独立リーグは家族を呼び寄せるほど給料が高くないからね。」それ以外は異文化にも徐々に慣れてきた。NPBチームのどこかでプレイすることを望んでいる。食生活にも慣れてきたが、寿司はちょっと苦手だそうだ。四国はうどんが有名なので食べてみると筆者に約束した。
四国選抜チームの最終試合は7月2日、同じように北米で6月の間キャンナムリーグに参加していたキューバ選抜チームと対戦する。舞台はケベック州トロワリヴィエールのスタッド・ステレオスタジアムだ。その後、チームは帰路に着く。
シーズンは9月に終わる。選手達は次にどこでプレイしているか、その保障は無い。だがきっとどこかで野球を続けているに違いない。
(オリジナル記事:Japan Culture NYC:http://www.japanculture-nyc.com/2016/07/02/shikoku-island-league-plus-all-stars-bring-kabuki-spirits-to-the-new-york-area/)
※本記事はJapan Culture NYCの許可を得て日本語訳にしています。