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ちゃんとできるようになってる

こんばんは。
yumiです。

私は今、カウンセラー根本裕幸師匠のお弟子講座9期を受講中です。

実は、このお弟子講座で、ずっと劣等感を持っている事がある。
それは、みんなみたいに上手に質問ができない事。
すでに、ツッコミどころ満載。
みんな?みたいに?
上手に?
質問できない?
って何?笑
もう笑うしかない。

なんだろうね、これ。
せっかく根本先生が目の前にいて、何でも応えてくれる環境があって、それなのに、私は、質問が思いつかない!
もったいないってこと?
無理してまで質問する必要はないよね?
講座の中では、なんでもへ~、すご~い、って素直に吸収してるってことだと考えれば、それはすごいことだよね。
それが私なんだよね。

でもさ。
謎の部分で比較するよね。
みんなは質問できてすごい、私はできてないとかさ。
一番最初に手を挙げる人すごい、私にはできないとかさ。

なんでそんな所に劣等感を持つのかな~って考えていた。
私は、特に、父からも母からも言われてきた言葉があって、「そんなこと言っちゃいけないよ」っていうのがある。
だから、必要以上に、言いたいことを我慢してきた。
その自覚ができるようになったのは、もちろんカウンセリングのおかげ。
なので、長い間、言いたいことがあっても、質問があっても、言わないっていうのを自分で選んできたんだよね。
今ではそれはずいぶん薄れてきて、言いたいことを、ちゃんと言えるようになってきてはいる。
あくまでも当社比だけど。

では、なぜ、お弟子講座ではいまだに「言えない」があるのかしら、ってずっと思ってた。
やっぱり傷が痛んでいるのか?
本当に、「言えない」のかな?

今日、会社でかつて副社長だった人が定年退職に寄せて、私たちに講演をしてくれた。
東京の会場には多くの社員がいて、全国からもZOOMでつないでたくさんの社員が聴講していた。

私のいる新潟の拠点でも、ZOOMをつないで、会議室で何人かで参加した。
最後に、質疑応答の時間になって、私は、真っ先に手を挙げた。
聞きたいことがあったから。
内容が興味深かったから。
元副社長の意見を、聞いてみたいと思ったから。

やっぱり、ちょっと怖かった。
最近、私、怖い怖いってそればっか書いてきているけど、怖いのが悪い事じゃないってわかり始めたのもよかった。
うまく質問できるかな、とか。
この講演に合った質問ができるかな、とか。
他の人に変な目で見られないかな、とか。
ちゃんと回答してもらえるだろうか、とか。
そんなことは、ちらっとよぎったけどね。

ちょっとしどろもどろになりながら、なんとか質問をすると、元副社長は丁寧に、答えてくれた。これで回答になってますか?と私に尋ねてくれた。
言いたいことが言えた。
聞きたいことが聞けた。
答えてもらえた。

ほんと、こんな些細なことだけど、私にとっては大きな自信になった。

昔の私なら多分、質問できなかっただろうな。
聞きたいことがあってもきっと言えなかった。

これができたのも、お弟子講座のおかげだなぁって思った。
みんなが質問する姿を見ていたから。
ずっとみんなの質問を見て、そんな質問もあるんだって思ったり。
質問してくれて助かるし、勉強になるなぁと思ったり。
師匠がちゃんと丁寧にゆっくりと答えてくれている姿を見ている。
そして、周りのみんなが、その質問と回答を全て受け入れている姿を見ている。
一番最初に手を挙げる事も、質問することも、怖い事じゃないんだって、私は、自分の体で感じて、ちゃんと学習していた。

だから、質問できた。
一番最初に手を挙げる事もできた。

そしたらね、かつての上司が、別の拠点でZOOMで参加していて、わざわざ「あの質問よかったよ」って後で私に連絡をくれたの。
「本質をついているし、元副社長も嬉しかったと思う」と言ってくれた。
嬉しかった。

いつも「ない」ものを探してしまう私です。
自分の不足ばっかり見ようとする。
まぁ、それを何十年もやって生きてきたからね。
「ある」を探して生きるようになってから、まだ日が浅い。
慣れてないだけ。

ちゃんとできるようになってる。
「ある」方を見て生きるって決めたんだもん。

大丈夫。

ってことは、よ。
お弟子講座で「みんなみたいに上手に質問ができない」ってわざわざできない事を探すのは、なんでなんだろうね?
質問は、したい時に、ちゃんとできる私になれているのに。
競争心かしら。
敢えて自ら下に入り込もうとする癖の部分だよね。
まだまだ癒せる部分はたくさんありそうだ。

大丈夫。
ちゃんとできるようになっている部分もたくさんあるんだから。

ここまで読んでくださってありがとう。
優しい世界で今日も生きている。

それでは、また。

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