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無いもの探しは得意中の得意。あるものに感謝できない私はダメな子?
こんばんは。
yumiです。
今日は珍しく、朝から晴れていました!
曇りじゃなくて、青い空がうっすらと見える、これは、晴れ。
昨日までに降った雪が、道路わきにはたくさんあって、寒い朝。
雪かきがしてあったので、道路は濡れているけど、ずいぶん歩きやすくなっているように見えた。
これが、初心者の過ちね。
濡れている、それは、つまり、凍ってる。
そんなことも知らずに、ただ濡れている道だと思って踏み出した一歩目で、私はズルっと滑った。
なんとか持ちこたえる。
心臓が跳ね上がる。転ぶかと思った。
そう、新潟の冬はとっくに始まってる。
12月の新潟は、雪はあまり降らなかったけど、物凄く不安定な天気で、ちょっと晴れ間が出てもすぐ雲がたくさんやってきて、雨が降る日がとても多かった印象。
全然地面が乾く暇がないって感じ。
年末年始で、福岡に帰った私。
大晦日、お正月は物凄く晴天だった福岡。
そして、「地面が乾いている」「夕方でも日が長くて明るい」ことに物凄く嬉しくなって、太陽に感謝をささげたのでした。
これまでの人生で、「地面が乾いている」というコトバを発したことがあっただろうか。
どうしても、比較することでしか、何かを見る事ができないのが、人というものでして・・・・。
今までは、地面が乾いている日々が当たり前すぎて、気づかなかったんだよね。
新潟の12月は、すぐ雨になったり、とにかく空から何かが降ったりすることが多かったので、地面がいつもじっとり湿っていた。
カラッと晴れる日なんて、全然なかったので、地面は乾かないまま、次の雨が降る。
そんな日々だった。
太陽が降り注いで、地面が乾いている福岡が、とても暖かかいと感じた。
なくしたら 初めて気づく ありがたさ
と、太陽のありがたさを五七五で、伝えたくなる。
んで、ですよ。
「あるものに感謝する」
っていうのは、自分の幸せの感度を上げるためには、とっても素敵な習慣だと思うの。
感謝ワークとして、取り組んでいる人もいるかもね。
私ももちろん、あるものを探す、感謝する、っていう「習慣」がほしくて、前からずっとやっている。
でも、よ。
私は、それが、もう、苦しいってところまでやりすぎてしまう部分がある。
自分が気分良くなるために始めた事のハズ。
なのに、気づけば、
感謝できない私はダメだ、とか。
また無い方ばかり見てしまった、とか。
とにかく、自分を責め始めてしまうのですよ。
んで、しまいには、こんなに感謝してるのに!
ここまであるもの探したのに!
となってくるわけです。
なんでこうなっちゃうの?
地面が乾いているということに、私は感謝した。福岡で。
気分は最高だった。
んで、今日は、珍しく朝から晴れた新潟。
午後には、地面も乾いてきた。
なのに、私は、地面が乾いている事に、感謝できてない!
この前は、あんなに嬉しくて、あんなに感謝できていたのに。
なんで?
こんな私は、やっぱダメな子じゃん?
結局ここにあるのは、自分への厳しさと完璧主義と、白黒思考なのよね。
感謝できている私はイイ子。
感謝できてない私はダメな子。
そうでしたっけ?
毎日カンカン照りだと、困るよね?
晴れの日も、雨の日もあってこその、地球だよね?
晴れた日は好きだけど、雨の朝の参拝は好き、とか言ったりもしてたよね、私。
感謝できない日があってもいいのだ。
無いものばっかり見てる日があってもいい。
怒ってもいいし、
愚痴ってもいいし、
泣いてもいいし、
笑ってもいい。
喜んでもいい。
好きでもいいし、
嫌いでもいい。
昨日と逆の事を感じてもいいし、
さっきまで雪嫌いって言ってたのに、
今は、雪景色超きれいって言ってもいいのよ。
どっちもあって、どっちもいいのに
ついつい、どっちかは良くて、どっちかはダメってことにしちゃう。
ないものを探せるのも、才能だと思っていて、
それだけ物事をたくさん観察しているということ。
同じだけ、感謝も見つける才能がある。
何かを見て、
それを、良い、悪い、とか、
ポジティブ、ネガティブ、とか
陽とか陰とか、
アリとかナシとか
とか、とか、
判断しているのは、誰って、自分なんだよね。
どっちの自分も、「受け入れる」って言うと、なんか抵抗が出てしまうならば。
ただ、
「そういうもんだ」
と思って、観察してみるといいと思う。
こんな風に思う自分がいるんだな、と思う。
私は今、こんなものを見つけたんだな、と思う。
今日は、こんな気分なんだな、と思う。
明日、その気分が変わっててもいい。
良い、悪い、正解、不正解、ではなく、ただ、見てみる。
そうやって、新しい自分を見つけていく。
これまでの人生で、私は、自分以外の人を物凄く観察してきた。
たとえば、母とか。
たとえば、周りの友人とか。
たとえば、会社の先輩とか、上司とか。
たとえば、大好きな人とか。
人を観察するのが苦しくなって、カラスの観察を何年も続けたこともある。
(今でも野鳥観察は趣味だよ)
そうやって、いつも、自分以外の人の事ばかり、見ていたなぁって思う。
だから、自分のこと、全然知らないのよ。
自分の人生を生きる。
それって、自分の事を、自分で観察することからはじまるのかもしれない。
自分を見る事。
新しい自分を発見すること。
そこに判断はいらなくて、ただ、見る。
まだまだ知らない自分を「見る」のが、今は、少し楽しみだと感じている。
新しい自分を発見したいなら、ぜひ、私にお話し聞かせてくださいね!
あなたが見えていないあなたの素敵な部分を、たくさん見つけます。
カードセッションは随時募集しております!
ここまで読んでくださってありがとう。
それでは、また。