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全部自分で選んでる・・・とは言うけどさ。
こんばんは。
yumiです。
全部自分で選んでるとか言ってみたけど。
そんなはず、なくない?ってことも、そりゃ、多いよ。
例えばさ。
転勤。
私は、ある日突然、新潟に行くか会社を辞めるかの二択を迫られた。
急な二択迫られて。
全部自分が選ぶ?はぁ?って感じじゃん。そもそも選択肢ないじゃん。
転勤せずに、このままって選択肢、ないじゃん。
それ、選べないじゃん。
そうなんだよねぇ。
怒りも悲しみも、全部、誰かにぶつけたいよ。
誰かっつーかもうさ、首謀者、誰なん?部長か?本部長か?
ツラかせや、出て来いやって思ったよ。
口も悪くなるよ。
でも、だが、しかし。
これさえも、自分が「選んでる」としたら?
もしや、これは潜在意識では・・・?
心当たりは、ある。
福岡に住んで7年。
東京にいた時よりも私はずっと、楽しく生きれるようになっていた。
友達も増えて、少しずつ、自分の人生を生きたい、と思えるようになって。
会社も毎日楽しいと思えるようになってきていたし、すこし、自分に自信もついてきていた。
以前に比べれば、ずいぶん生きやすくなったし、自己肯定感もちょっとは上がった感触は、自分でもあった。
そう、つまり、「退屈」していたのだ。
それから、少し、苦しくもなっていた。
そして、守りに入っていた。
参拝生活も、ちょっと無理してきている事に気が付いていた。
常連店巡りも、なんか定期訪問みたいになっちゃってた。
色んなことを、「やめられなくなってた」んだよね。
つまり、「自分で続けることを選んで」いたんだよね。
ただ、それがもう、「苦しい」状態になっていた。
自分で選べなくなっていた。
選びたい方を、選ばない事を選んでる。(ややこしい)
そんな時、潜在意識はどうするか。
どうにかして、本来の自分の選びたい方向に、行かせようとする。
私の潜在意識の使い方は、ちょっとノーコンなのが特徴。
ここに居たい
ここに居るのが辛い
自分で選びたい
自分で選べない
この状態になると、苦しいよね?
こうなってしまうと、私の場合は、自分ではコントロール不能な事態を起こすようになっている。
それが、まるでフィクションのような私の人生たるゆえん。
つまり、新潟への転勤は、やっぱり私が「選んだ」事なんだよねぇ。
「いったん離れたい」って確かに思ったかもしれない。
心の奥底で。
でもさ、
「いったん離れたい」ってのは、「福岡」のことじゃなくて、「今のこの苦しさ」から離れたいだけだったの。
なのに、どうして、私ったら、いったん「福岡」から離れちゃうの?笑
ほんと、ノーコン。
そうして、最後は顕在意識で、ちゃんと自分で選んで、転勤を承諾した。
だからこそ、私は、新潟を楽しみつくすと決めた。
仕事もちゃんとしようって決めた。
自分で決めて、自分で選んできたんだから、自分の責任。
文句は言っちゃダメ、愚痴もダメ、弱音もダメ。
ねぇ、それホント?
自分で選んできた。
でも、やっぱり、うまくいかない事もあるし、寂しい夜もあるし、もうヤダ、私なんでこんな生活してんの?私のせいじゃない、誰のせい?って思う日もある。
そういう時は、誰かを頼っていいと思う。
会社の事だったら、
部長も本部長も、課長も、次長も呼びつけて、もうヤダ、できないって泣いてもいいと思う。
恋愛の事だったら、
友達全員、端から全部連絡して、泣きついてもいいと思う。
誰にも言えない事だったら、
占い師かカウンセラーを頼ったらいいと思う。
そうやって、泣きつける場所があるって心強いよ。自分で選んでるからこそ、辛い事も苦しい事もあるんだもん。
自分で選ぶ。
自分で選んでるからって、何もかも楽しいわけじゃない。何もかも、うまく行くわけでもない。
だから、弱音も、愚痴も、うだうだも、全部あっていいんだからね。
全部ひっくるめて、全部味わって、それこそが、自分の人生ってことなんだから。
なんだか今日は勢いで書いてしまったけど、どうかあなたの心に届きますように!
ここまで読んでくださってありがとう。
それでは、また。