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全部自分で選んでる

こんばんは。
yumiです。

前回、3年間以上一日も欠かさず参拝していた話を書きました。

よく言えば、継続力。
悪く働けば、ストーカー気質のしつこさ。

私はずっと、この継続力を何故か否定して生きてきた。
継続することくらいしか、自分にはできないと思っていたし、こんなことしかできない自分が嫌いだった。
しつこいって言われたり、気持ち悪がられる事もあったからね、実際に。

でも、カウンセラーさんに、「yumiさんのそのしつこさは、唯一無二の才能だからね?」と、何度も何度も伝えてもらって、ようやく受け入れられてきた。

今は、これは才能なのだと思っている。

継続する。
私は逆に、辞める事ができない。

だから、始める事が怖い。
だって、一度始めたら、やめられないんだよ?
怖くない?

今の会社は、新卒で入ってそのまま働き続けている。
続けたんじゃなくて、辞められなかっただけ。
辞め方が、わからなかっただけ。

習い事も、辞めなかったと思う。
辞めたんじゃなくて、お引越しで、通い続ける事ができなくなっただけ。
先生の都合でレッスンがなくなっただけ。

そうやって、辞めざるを得ない理由ができるまでは続ける。
そこに、私の意思はないのだと思っていた。
間違いではないし、それが、私にとっての真実だとずっと思ってきた。


表現方法を、変えてみる。

辞めることができない。
じゃなくて、
続ける事を選んできた。
選び続けてきた。私が。

だとしたら?

毎日参拝する事を、毎日選び続けてきた。
会社を続ける事を、日々、選び続けている。
習い事を、続ける事を、自分で選んでいる。

どうだろう?
なんかちょっと印象違うよね?

これも思考の癖なのかもしれない。

私には継続することしかできない。
→私は、継続する事を選んでいる。

私には、これしかできない。
→私はこれをすることを選んでいる。

どうせ私にはできない。
→できない私を選んでいる。

ちょっと飛躍する。

私は本命にはなれず、いつも二番手になる。
→私が、二番手を選んでいる。

私は結婚できない。
→私が、結婚できない事を選んでる。

全部自分で選んでいるとしたら?
選ばない、という選択肢も、あることに気づいてしまう。
別の選択肢がある事にも、気づいてしまう。

私は継続する事を選んでいる。
→辞める事も、選べる。

私はこれをすることを選んでいる。
→しないことも、選べる。

できない私を選んでいる。
→できる私を選べる。

私が、二番手を選んでいる。
→本命も選べる。

私が、結婚できない事を選んでる。
→結婚できる私になる事を、選べる。

言葉遊び、まやかしのようだけど、私にはこれが効いたんだ。

でもね。
気づきたくない事もある。
気づきたくない時もある。
気づいてしまうと、自分の力を、信じざるを得なくなるから。

全部、自分で選べるとしたら?
少し、怖くない?
だって、もう、誰のせいにも、何のせいにもできなくなる。

どっちを、選びたい?
何を、選びたい?

そうやって、少しずつ、「この私で生きる」を、私は、選び続けています。
今、ようやく、ね。

ここまで読んでくださってありがとう。
あなたの選びたい人生を、いつも応援しています。


それでは、また。

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