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また私は、「わかってほしい」をやっていた

こんばんは。
yumi です。

記録的な積雪を記録したのち、街はあっさりと通常運転を始めた。
さすが、雪に慣れた地域だと思った。
ほんとに、さすがだなぁと思う。

天気が良くなって、私の気分も少し持ち直した。

12月から曇りがちの天気で、一日のうちの天気が変わりやすい。
私は、体調と気分が天気に左右されやすい。
めまぐるしく変わる天気に、正直、ついていけていない。

本当に、新潟の人には頭がさがる。
私は一人で過ごす初めての雪国に、そこはかとない恐怖を感じていた。
余裕が全然ない。
なんとなく、体調も悪い気がする。

そんな2月、東京から友人が来ると言う。

その数日前、大雪が降った。
そして、予定通り新潟まで来るかどうか、延期するかを相談するラインで、
私が爆発して、関係性が悪化した。

なんだかイライラして、不安になって、言いすぎた。
私は、彼女に、
「うるさい、寄り添えないなら黙ってて」
と言ってしまった。

言ってしまって、即、自己嫌悪。
そりゃそうだ。
そんなことが言いたいんじゃない。

そして、案の定、友人は、私にそれ以上何も言わず。
「今回は中止で。休み取ってもらったのに申し訳ない」
とだけ、言った。

終わった、と思った。
10年来の友情は、私のたった一言で、終わった。

・・・本当に終わったのかな。


多分、私は、最初から2月が嫌だったんだと思う。
不安だったのだと思う。
でも、来てくれるというのが嬉しくて、断れなかった。
もっと気候の良い季節に、と、日程変更を申し出るのも、なんだか気が引けた。
少し意地悪心で、寒さと悪天候を思い知ればいいなんて気持ちもあった。

そして、そっと、自分の本音に蓋をして、見ないフリをした。
本当は、最初から、不安だったのに。

2月は寒くて、天気が変わりやすい。
雪が降る日もあるし、積もっていると動きにくい。
天気も読めない。

友人が来る日に、雪が降ったら?
すでに積もっている雪で、身動きがとれなかったら?
考え出すと不安になる。

見てほしい景色や、連れて行きたい場所はたくさんある。
行きたい店も。

自分だって初めての新潟の冬。
勝手がわからず右往左往している最中だ。

雪用のブーツも持っていない友人を連れて行けるだろうか。
友人は嫌がらないだろうか。
まずは、足元の装備を整えてから?

そんなことをぐるぐる考えていたらもっと不安になってくる。

そして、どうして不安になるかと言えば、
せっかく来てくれるのだから、楽しんで帰って欲しいからだ。

私の本音は、「友人を楽しませたい」という、
まさかの、私の優しさだったんだ。

その不安と優しさに気づかないまま、
私はただのイラつきを、友人にそのままぶつけてしまった。

その結果が、「中止で」だ。

そしてその「中止」の一言に、私はまた落ち込む。
あぁ、私の事、嫌いになったよね。
会いたくないよね。
もう嫌だよね、終わった、と。

そして、中止になって落ち込んだ自分を見て、
また本音に気づく。

来てほしくなかったわけではない。
私は、
楽しんでほしくて、一生懸命考えていた事を
「わかってほしかった」んだということを。

私はたぶん、甘えたんだ。
10年来の友人、わかってくれる、察してくれる。
どこかでそう、油断したんだと思う。

友人は、事実をズバリというタイプの女だ。
察する事も、得意な方ではない。
そして、その友人は、「私が今望む寄り添い」ができるタイプではない。

はは~ん、だんだん、わかってきたぞ 笑

私が、「わかって欲しい」をやるときはだいたい
「こんなに好きだって、わかってよ」なんだよね。

その本音を自分でも見ないようにして、
「こんなに辛いってわかってよ」をやる。

こんなに我慢してて、
こんなに辛い。不安。
だから、わかって。

いつもいつも、このパターン。
そんな回りくどい事、伝わる人、いるんだろうか。
勝手に我慢して、勝手に辛くなって、勝手に不安になって、
それを好きの証明だと思ってる。

そして、その、我慢と辛さを伝えるだけ。
で、わかるよね?
私、不安だから、辛いから。
ってことは、わかるよね?
って何度もやってる。

わかるわけなくない?笑

今回も、いつものパターン。

ちゃんと自分の不安の種を見逃さずに、
ちゃんと自分で自分の事を理解することができれば、
きっともっと余裕をもって、友人に伝える事もできたと思う。

そして、さらに、この根底にあるのは、

どうせわかってくれない

ということ、なんだろうなぁ、と思う。

どうせわかってくれないという前提があるから、「わかってほしい」をやってしまう。

なんか、そんなこと、どっかで書いたような・・・って思ったら、
これと一緒でした。

このパターン、私、いつまでやるんだろう、本当に。

でも、ここまでくれば、もう大丈夫。

友人に伝えたいのは、
ただ、「大好き」ってだけだから。

それが伝わっても、伝わらなくても、自分の中の愛と繋がれたから、もう大丈夫。
あとは、自分を信じるだけ。

そしてここまで来ると、ふと、思う。
「どうせ、わかってくれない」のではなくて、「すでに、わかってくれている」としたら?

つまり、すでに、私が友人のことが大好きだと伝わっていたとしたら?

多分、今の私には余裕がないんだな、という事を理解してくれるのではないか。
頑張りすぎている事を、わかってくれるのではないか。

だからこそ、の、「今回は中止で。休みとってくれたのに、申し訳ない」に、繋がる。

友人だって、私と楽しみたいはず。
私に、無理をして欲しいわけでもないし、我慢して欲しいわけでもないだろう。

そうすると、なんだか泣けてくる。
少しでも理解しようと、そして、私を励まそうとして、新潟に来ると言ってくれた友人。
私の仕事のシフトまで気遣ってくれていた。
さらに、私の余力の無さを察して、自ら予定変更を申し出てくれた。

わかってくれない、理解しようともしてくれないと勝手に思い込んだのは、私だ。

だから、ほんと、このパターンもう早くやめたいのよ。

自分を信じれば、世界の優しさをちゃんと受け取れる。
だから、もっと楽に、大好きと伝えたい。
みんなに。
世界に。

そして、そんな事があった数日後のバレンタイン。
要冷蔵の荷物が届いた。
チョコが大好きな私のための、限定チョコレート。
この友人からの贈り物。

不器用な彼女は、私の求める繊細な寄り添いはできないかもしれないけど、こうして目に見える形で、いつも寄り添ってくれていた。

そういや、以前も、私が爆発した時、会社にお菓子送ってくれたなぁと思い出す。

そう、ほんとに、「わかってくれている」のだ。
私の優しさも、私の余裕のなさも。
全部わかってくれている。
むしろ、彼女のあたたかさを、受取拒否して、わかってあげられていないのは、私の方だ。

ありがたくて、情けなくて、泣けてくる。
全部、愛じゃんか。

世界は自分が思ってるより、ずっとずっと優しい。


ここまで読んでくださってありがとう。
読んでくれたあなたのことも、大好きです。


それでは、また。

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