呼び名と関係性は密接に結びついている?
こんばんは。
yumiです。
子どもの時から、なぜか自分以外の名前になりたいという願望があった私です。
なんでだろうね?
昔から、自分以外に、なりたかったのかも。
小学生の頃から、苗字で呼ばれる事が多かった。
苗字にさん付けか、苗字をもじったあだ名で。
名前で呼ぶのは、家族だけ。
もしくは、ごく親しい友人だけ。
いつの頃からか、私は、友人の名前を呼ぶことが、苦手になっていた。
友人どころか、好きな人の名前も、うまく呼べない。
何故だろう。
近しい関係だと、名前を呼ばずとも、だいたい過ごせちゃうから、あまり気にならなかったんだけど。
気にならなかった、は、嘘だ。
気にさせないように、細心の注意を払っていた、って感じだ。
名前を呼べないのって、なんでだろうなぁ。
得意の、「私なんかが」というコトバかよぎる。
私なんかが、名前を呼んで良いわけない、とか?
なんで?
以前は・・・以前といっても割と最近まで、名前を呼ばれるのも、苦手だった。
馴れ馴れしく呼ばないで欲しいとさえ、思ってた。
家族や古い親しい友人しか、私をyumiちゃんと呼ぶ人がいなかったから。
だから、私にとって、「名前で呼ぶ」というのは、物凄く近しい関係性の人、親しい人、特別な関係性の人という、無意識の思い込みが、あったみたいだ。
そして、それが苦手、というのは、つまり、物凄く近しい関係性になったり、親しくなったり、特別な関係性になるのが、怖かったってこと。
私自身が、名前を呼ばれるのが怖いから、相手を名前で呼ぶことも、うまくできない。
これがゆるんで来たのは、やっぱり、福岡で常連店がたくさんできて、そこで知り合ったたくさんの人たちのおかげだと思う。
見本を見せてくれる人がたくさんいたし、少しずつ、それが当たり前という世界を見て、体感して、学んだ。
小さなことから、慣れるって、ホント、大事。
それが当たり前の世界に行くのが手っ取り早い。
最初の一歩は、怖くても、だんだん慣れる。
福岡の飲み屋では、そもそも、名乗ったり、名前を聞くことさえ、ほとんどなかったのに、みんな親しげに名前を呼び合っていた。
いつも行っていたワインバーで、店主は最初から苗字を聞いてこなかった。
今でも私のフルネームを覚えているかは怪しい。
店主はいつも、たくさん名前を呼んでくれた。
注文をとるときも、帰るときも、いつでも。
yumiちゃん、何飲む?とか。
yumiちゃん、いつもありがとう、またね、とか。
他の常連さんも店主はたくさん名前を呼ぶ。
だから、店主を見て、私も常連仲間に名前を呼ばれるようになったし、呼ぶようになった。
yumi姉と呼ばれたり、yumiさんと呼ばれる事も多かった。
私の中では、呼び名と関係性は、密接に結びついている。
だからこそ、yumiと呼ばせない事で、距離を取っていたのかもしれない。
名前を呼び合うのは、普通の事なのにね。
でもさ。
私の中では、私をyumiちゃんと呼ぶ人は、物凄く近しい関係性の人、親しい人、特別な関係性の人という無意識の思い込みがあったのだから、yumiちゃんと呼ばれると、つい、無意識に、親しく感じてしまう。
そして、名前を呼ばれたり、呼んだりする事に慣れてきた分だけ、この距離に人を入れることにも慣れてきた。
新潟でも、いくつか常連店ができた。
そこで私は、やはり苗字を名乗らずに、yumiと名乗った。
今では、私は、名前を呼んでもらう事が、嬉しいと感じる。
yumiちゃんと、呼ばれるだけで幸せだなぁと思う。
そうしたら、相手も名前で呼ばれたら嬉しいのかもな、と、思うようになった。
私にとってはすごい変化だ。
「名前を呼ぶのが苦手」だった私は、今では、「名前を呼ぶ事で、相手を喜ばせているかもしれない」と思うほどになったのだから。
距離感なんて関係なく、名前を呼び合えるのは、幸せだと思う。
あなたにも苦手な事はありますか?
それは、もしかすると、何かと勝手に結びついてしまってるのかも。
紐解いていくと、今まで見た事ない景色があるかもよ。
大丈夫。
きっと幸せに繋がっているのだから。
ここまで読んでくださってありがとう。
今日もあなたの幸せを祈ってます。
それでは、また。