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自分を愛おしむ時間
今日は、いつもより40分ほど早く起きた。
もうそれだけで、超ほめまくり、でかしたぞ!ユミナリエ的事態なのだが、
それだけでなく、起きてから白湯を飲んだり、白ごま油のオイルマッサージしたり、瞑想をしたり、朝ごはんには胃に負担がかからないように、キヌアとオートミールのお粥を食べたり…
自分のための時間が朝からしっかり取れた。
それが今日の私にとって、一番ほめたたえたい出来事かも。
白湯を飲むと喉を伝い、春の日差しのようなあたたかい感覚が体内に浸透していくのがよく分かる。
オイルマッサージで自分の体を丁寧に扱うことにより、愛おしさがこみあげてくる。
誰かにこんなに丁寧に大切にされたことがあっただろうか?とふと思ったのだが、今まできっと鈍感で人の愛情や思いやりに気付かなかったのだろう、いや、気づかないフリをしていたのだ。
結婚披露宴で親に感謝の気持ちを述べてみたが、あれも感謝したフリだったのではないか?と自分の半生を振り返ることもできた。
瞑想においては、朝晩欠かさず行い暮らしのルーチンに仲間入りしたのだが、これがなかなか今でも集中できない。
集中力にほとほと欠けるので、いろんな雑念が大雨のごとくザーザー降り注いでくるが、今、自分がどんなことを考え、気になっているのかがそれによってよく分かる。
時間に余裕があると、食事もよく噛んで食べることができる。キヌアのプチプチした食感が楽しくって、噛めば噛むほど自分の細胞もパチンパチンと音を立ててリニューアルされた感覚になる。(これは勝手な妄想)
人のことや世話についつい注意がいきがちだが、自分を大切に出来ていないと、人の痒いところにまで手が行き届かないし、相手に対して自己満足なお世話になってしまうんじゃないかと思う。
家族間や友人との間でありがちだけど、ついつい「あなたのためを思って〜」なんて、押し付けがましく言ってしまうのだが、うるさい!余計なお世話だ!な話。手をさしのべたり、助言することをすべての人が求めているとは限らないし、それが必ずしも親切だとも限らない。これは、自分の子育てにおいてよく言える話だったりする…。
自分をよく見つめ知る努力をし、大切にする習慣が身についていれば、人に対する見方も変わってくるし、理解も深まり、愛おしい存在になるのだろう。
そんなことを、いい大人が今更ながらに気づいたのもどうかとも思うのだが、私が「そんなこと」という、当たり前のようで気付かなかったことにも、こうして気がつけたのであれば、御の字だ。