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母としての愛が伝わらない虚しさ

母の日に思ふ。

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子がかわいいが故、いちいち子供のすることに口出ししてしまう。

子供は、それを煩わしいと感じ、怒りをあらわにする。上の娘においては、常にイライラしている。

どうしたら、自分の愛がストレートに
伝わるのだろうか⁇

いや、私が伝えたいのは愛なのだろうか⁇親のエゴではなかろうか⁇

自分が幼い頃、親の言うことなすこと
恩着せがましくて、煩わしかった。
素直に愛情として受け入れられなかった記憶が鮮明にあるが、我が子も私のそれと同じなのだろう。

私には母親がいないので、母親ってどんな風に子供と接するものなのかよくわからない。父親や祖父母、時に世話してくれた叔父や叔母が私に接してくれたように、自分の子供に接してしまっている。

どの人も共通していたのは、脅し育児。
〇〇したら、〇〇するぞ‼︎ってもの。

たとえば叔母の場合だと、「お前が悪いことしたら、お前を殺して私も死ぬ‼︎」と日常茶飯事で言われていた。

祖母は継祖母なので、私に対しての風当たりが強かった。孫として認めてもらえてなかった。どんなことをしても、彼女にとって私は、憎たらしい子のようだった。私がそのように思い込んだ方が楽だったから、意識の中で「酷い祖母」に仕立て上げたのかもしれないが、そうだとしても、彼女の事を優しいと感じた事は、数回しかない。

父は、勉強についてはあまり口出ししなかったが、スポーツにおいては口うるさかった。他人と私を比べることはあまりなかったが、父と私を比べ、お前はダメだ‼︎昔の俺はすごかった‼︎と罵った。

そんな親にはなりたくないと思いながらも、気づいたら同じようなセリフを娘に浴びせるは、脅し育児するは、優しい言葉がけのひとつも出来ないは…で、ほとほと自分に嫌気がさす日々。

幼い頃に自分のしたいように出来ない不自由さを感じたのか、父に罵られそだったからか、自分の存在自体をも認めてもらえなかったからか、

人に認めてもらいたい欲求が強く、自分を愛せない病を患っていることに気がついた。

自分の事が愛せない=自分を認められない
自分を認められない=人の事も認められない

だから、子供のやることなすことに、
いちいち目がいき、あれこれ口出しし、認めてあげられないんだ…って、今頃気がついた。

でも、それだけじゃない。
子供の頑張りはよくよく知っている。でも、もっともっと頑張ったら、もっと違う世界が見れるかもしれない。だから、現状に満足せずに、今よりもう少し力出してみたら‼︎って想いもある。

認められなかった私が、そうしてきた経験から伝えられるメッセージ。

一番近い存在に、一番伝えたい事が伝わらない虚しさと歯がゆさ。

母親としても、認めてもらえない哀しさと切なさを感じながら、日々過ごしているわけなのだが、

認めてもらえていないはずもなく、
娘たちにとっては、どんなに口うるさい母であろうとも、なくてはならない存在なのであろう。

幼い頃に、母がいて欲しかったと私が感じたのと同じように…

だから、私は、どんなことがあろうとも私の母のように、自分の娘たちを育てることを放棄せず

どのように接するのがベストなのか日々迷いながらも、自分色の母親像を創り上げていこう。


#子育て #エッセイ #母親 #母の日 #ちゅうハヤ #noteクリエーター

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