役と本質
私は、主婦ですが、この主婦という役割に引っかかって、幸せなはずなのに、なんか、違う。。。と思うことが多くありました。
良い母でありたいけど、夫が子ども達に自然に感じて持っているように見える母性愛ってあんまり湧いてこないし、そんな自分はどこかおかしいのだろうか、と思ったこともあります。
家のことも、片付けや料理をちゃんと出来ない自分にダメ出しをしていました。
以前、姉の手作り餃子の投稿をfacebookで見たとき、その上手な出来栄えにビックリ。
ビックリした自分にも、驚きました。もう上手に餃子を作れる年齢はとっくに過ぎているのですから驚くこともありません。
私は、こういう作業が不器用で、センスの差なのでしょう。
私の作る餃子と姉の餃子の見た目は、かなりの隔たりがありました。(汗)
餃子の餡をはみ出さないように 餃子の形に皮を波打たせて閉じることは、私も、さすがに今はできますが、姉のまるで作品のような餃子は作ったことがありませんでした❣
(見て、とても刺激になったので、今度餃子を作るときは、餃子の形を工夫してみようと思っています^^)
おにぎり🍙の形も、姉の作るおにぎりと私のおにぎりは、何か違います。
姉の握るおにぎりは、しっかりとした鋭角の三角をしており、少し小さめ。
私の握るおにぎりは、角が丸っこい三角です。
運の良いことに、娘たちが器用なので、最近はとても助けられています❣
手が不器用な私。じゃあ、私の良さは何だろう?と自問しながら生活しているのですが、私の良さは、見えにくいところにあります(笑)
ここで、自分の手前味噌な自慢は控えますが、
相田みつをさんの、
「人は、違って
みんな いい」
と素敵な自筆で書かれたカレンダーが昔、実家にありました。
自分らしさは、自分が自分の心の中でしっかり認められれば充分だと思っています。
「役割」と同じくらい、
「自分」という目に見えない存在自体を意識して生活すると、
本当にしたいこととやっていることのギャップに気付くようになり、日本の若者にありがちな、「したいことが分からない」状態から抜けやすくなると思います。
なぜなら、「する」こと自体にはあまり深い意味は無く、
そのことをする時に私自身が感じている「想い」の方が、実は大きな大きな作用があるからです。
これは、手前味噌な話ではなく、実際に生活していて本当に手応えの感じる実話です。思い、感覚、感情は、私たちが意識するよりもはるかに多くの力を持っています(^^♪
今日もありがとうございます✨