3時間15分で娘ちゃんを出産したお話
3月2日、午前7時45分に、第一子である娘ちゃんを出産しました。
前駆陣痛から本陣痛、そして出産までどのような経緯だったかをnoteに記録しておきたいと思います。
〜前駆陣痛〜
前駆陣痛には個人差がかなりあるそうです。
人によっては前駆陣痛があったりなかったり。
私は前駆陣痛がばっちりあったタイプでした。
X(旧Twitter)を見てみると、2月9日(36週)にはそれっぽい痛みを自覚し、焦って再び入院バッグを見直したり赤ちゃん用グッズを買い足したりしていたようです。
痛み方ですが、この時は生理痛のような痛みでしたが、数分でおさまりました。
出産の1週間前には布団に入る頃にはほぼ毎日前駆陣痛がきていました。
胃の下あたりが、お腹の形が変わる大きくパンパンに張って、苦しかったです。
痛みは筋肉が引き攣るような痛みでした。あとは腰が重たかったり、足の付け根が頻繁に攣るようになっていました。
〜3月1日、出産前日の妊婦健診〜
この日が最後の妊婦健診になるだなんて思ってもいませんでした。
尿検査とNST、そして内診で子宮口の開きを診てもらい、最後に腹部からのエコーで娘ちゃんの様子を診てもらいました。
NSTの最中に娘ちゃんは寝ていたらしく、助産師さんから「寝てるから、ゆらゆらして起こしますね〜」とお腹を少し押さえながら揺らされました。
なんと、心拍数が増加。
お腹の赤ちゃんを起こす方法なんてあるんだなぁ、と感心しながら残りのNSTを受け続けました。
内診では
「子宮口は3センチですね〜」
と言われ、生まれるのはあと5日くらい後だろうなぁ〜と呑気な気持ちで構えていました。
エコーでは、赤ちゃんがだいぶ下がって来ていることを教えてもらい、Xデーに向けてカウントダウンぎ始まっているんだなぁと、出産時の痛みへの不安と、ついに我が子に会えるという気持ちがせめぎ合い、少し興奮した気持ちで病院をあとにしました。
夜に旦那さんに健診で言われたことを報告。
「いよいよ、なんだね」
といつ来るかわならないXデーに旦那さんもそわそわ。
「でも、初産だから、もう少し先になるかも?」
と職場で初産は予定日より遅く産まれがち説を吹き込まれてる旦那さんは私よりさらにゆるく構えていました。
この日の夜は、旦那さんとドラマ「不適切にもほどがある」を見てから、のんびりとした気持ちで布団に入りました。
不思議なことに、この日は12時を過ぎても前駆陣痛は現れず。このように前駆陣痛すらなかったので、
「やっぱり予定日の8日あたりになるのかなぁ。すごいなー、予定日って。」
なんてこと思いながら眠りについたのでした。
〜3月2日、出産当日〜
午前4時30分。
肛門を強く圧迫されるような痛みで飛び起きます。
とりあえず痛むからトイレへ駆け込みますが、トイレに行ってもどうしようもない痛みであることを悟ります。数分すると痛みが引いたので、トイレから出て、リビングのソファに座り、いつもの前駆陣痛とは違う痛み方に不安を覚えます。
「これはもしや?」
と思っていると第2派が。
「陣痛間隔をはかってみようかな」
と思い、第2派の痛みに耐えた後、アプリを起動しました。
「陣痛間隔、8分…?」
今までも前駆陣痛のときに8分間隔でお腹が張ることは何日かありました。
しかし、今までと痛み方が明らかに違う。
痛む時に声が出てしまう。
不安になり、寝てた旦那さんを起こして病院に電話をしました。
電話で痛みの間隔が10分を切っていることを伝えると
「まだ声に余裕がありますねぇ。どうしますか?一度来てもらって内診してもらいますか?」
と言われて面食らってしまいました。
(噂には聞いていたけれど、本当に声で判断されるんだ…!!!てか、痛みがないタイミングでかけてるだけなんだけど!!?痛がりながら電話せないけんかったんやろうか…?)
と困惑。
「えっと、行っても、まだ生まれないから一回帰宅してください、ってこともあり得るんですよね?」
と話していると、後ろで見守っていた旦那さんが
「病院、行こう。いつもと痛がり方が違う。」
と言ってくれたのです。
電話の向こうの助産師さんに約15から20分ほどで病院に着きます、と伝え、痛くないタイミングを見計らい、身支度をして入院バッグを引っ掴んで旦那さんの車に乗り込みました。
外はまさかの雪。なんてこった。
積もってなくてよかった、と心の底から思いました。
助手席に座ると、椅子の角度が苦しくて背もたれを倒し横になりました。
病院に向かう最中にも痛みが襲って来ました。
陣痛間隔を測ると
「……6分?」
驚きました。これはもう、あれだ。
今日がXデーだ!!!!
と確信しました。
赤信号にイライラしながら運転する旦那さん。
陣痛が旦那さんのいない時間帯じゃなくてよかったと痛みに耐えながら思っていました。
午前6時過ぎに病院に着いて、時間外の入り口から病棟へ。
受付のおじさんに、
「助産師さん、呼んできましょうか?」
と言われたけれど、まだ大丈夫だと思ったので断りました。
でもすぐに座ってすらいられなくなり、旦那さんに促されて、靴を脱ぎ、長椅子の上で横になりました。
その様子を見かねた受付のおじさんが、
「やっぱり呼びましょう」
と助産師さんを呼び出してくれました。
助産師さんが車椅子を押して迎えにきてくれました。
「痛そうやなぁ…」
の呟く助産師さん。ええ、痛いですとも。
「内診を先に、と思ったけど、分娩室に行こうか」
と、なんと病院についてすぐ分娩室に入ることになりました。
旦那さんは分娩室に入れなかったのでどこか違う場所で待機するように言われたようです。
痛みがないうちに着替えるように促されて、着ていた服を無造作に脱ぎ散らかして入院着に着替えました。
なんとか痛みの波の前に着替えられたのだけど、脱ぎ散らかした服が恥ずかしくなり
「きたないままですみません。」
と世話をしてくれる助産師さんに謝りました。
「いいんですよ。それより、分娩台に乗れますか?子宮口を見てみましょう。」
と言われ、痛みのないタイミングで分娩台に自力で上がり仰向けになりました。
助産師さんの指が入ると、触診で子宮口の開きを確認されます。私はこの触診で痛みを強く感じるのでとても嫌でした。
「子宮口、6センチ開いていますね。」
と助産師さん。
へ?6センチ!?
痛みに耐えながらも驚きます。
だって昨日3センチだったのに!
もう1人の助産師さんが来て、このままゆっくりお産をすすめましょう、ということになりました。
お腹に胎児用のモニターがつけられたのだけど、「あれ?このモニター、ちゃんと動いてない。」
なんて呟きが聞こえて来ます。
陣痛とたたかってる妊婦の近くで、そんな不安になることをつぶやかないで欲しかったです、、、笑
さらに、助産師さんたちのつぶやきや会話がわたしに追い討ちをかけてきます。
「〇〇先生、連絡したんだよね?まだ到着しないの?」
「さっき電話した時に、今から家を出るって言ってました」
え?今、産婦人科の先生いないんだ…!!!
痛みの波に耐えながら、助産師さんたちの会話から自分が置かれている状況を理解しようとしていました。
陣痛がやってくるたびに、痛みが強く強くなり始めました。
仰向けになることができず、横になった状態で、分娩台についている手すりを両手で握りしめていました。
痛みの波がやってくる間隔が少しずつ短くなっていきました。痛みが引いても2〜3分したら、さらに強い痛みが下腹部の奥から襲って来ます。
「仰向けじゃなくて、横になった状態のほうが楽ですか?」
と助産師さん。
「…このままのほうがいいです。」
と喉から声を絞り出しました。
お腹も大きくて重いので、仰向けになって陣痛に耐える方がしんどかったのです。
ダンゴムシのように横に丸まった状態で陣痛に耐える自分。やはりこの姿勢でお産する人って少数派なのだろうか、だなんて頭の隅で考えていました。
いつの間にか、我慢できなくなって痛む時に声が出始めていました。
「〇〇さん、息を吐いて!そう!ふぅぅぅぅぅぅぅーーって、長く!」
「ふ、ふぅぅぅぅぅぅぅ、、、、!」
そうそう!上手!
と助産師さんに励ましてもらいながら、息を吐くことに意識を集中させました。
容赦なく痛みのレベルを上げてける陣痛に、どういう心持ちでいれば耐えられるのだろうか、可能であれば今すぐこの痛みから解放されたい!
と心の底から思っていました。
痛みに耐える時に考えていたことは、旦那さんのこと、前の年に産んであげられなかった子のこと、そして、これまでの不妊治療と、クリニックで仲良くなった友人のことでした。
その友人は、私と同じタイミングで体外受精をして、同じ日に陽性反応、胎嚢確認をして2人で喜びあった同い年の子です。しかし、喜び合ったのは束の間のことで、その友人の胎嚢は残念ながら育たず、稽留流産してしまったのです。
その友人は初めての妊娠でした。
私は前の年に、彼女と同じく初めての妊娠で流産したので、どんなにショックで苦しかったか想像することができました。
流産した後も友人は、月に一度私を食事に誘ってくれて、流産の手術の後の経過や、その後の治療について話してくれました。
誘われるたびに、妊娠継続している私となんかと会って、友人は辛くないのだろうか(きっと辛かったはずです。)と思ったのですが、
「〇〇ちゃんにしか、治療のこと話せないし、それに、〇〇ちゃんと会ってると楽しくてあっという間に時間が過ぎちゃう!」
とやわらかな笑顔で言ってくれたのです。
その友人は2月から県外のクリニックに転院して、今も夫婦で治療を継続しています。
痛みから逃げ出したいと弱気になる瞬間に、その友人と彼女の旦那さんのことを考えました。
「自分だって、この日のために、たくさん痛い検査をして、注射も毎日打って、やりたくなかった卵巣を焼く手術だってして、時間とお金だってたくさん使って、頑張って来たんじゃないか…!」
自分の旦那さんを絶対にパパにするんだ!
お腹の赤ちゃんだって、外の世界に出るために一生懸命頑張っているんだから!
と、母親である自分がめげてちゃいけない、耐えなきゃ!
と、心が折れそうになる自分に喝を入れて、終わりが全く見えてこない陣痛にひたすら耐えました。
定期的に助産師さんが子宮口を確認するために指を入れて来ます。痛がる私に「ごめんね、痛いね」と声をかけて、お産の進み具合を確認してくれました。
どのタイミングだったかうろ覚えですが、自分の股から勢いよく水が吹き出してしまった瞬間がありました。
「破水しました!旦那さんを呼んできてください!」
とここで通路で待たされていた旦那が分娩室へ呼ばれて入って来ました。
旦那さんが側に来ても、体勢を変えることができず、横向きに丸まった状態で痛みに耐えました。
「ふぅぅぅぅぅぅぅう!う、、、う!」
と息と声を一緒にはいていると、旦那さんが背中をさすってくれました。
さすってくれた場所がよくなかったのか、余計に身体がしんどくなって、
「ごめん、さすらんほうがいい…、ごめんね。」
と伝えました。
「ごめんごめん!さすらん方がよかったんやね。」
と申し訳なさそうにする旦那さん。
こちらこそごめん!と心の中でひたすら謝りました。
息を吐きながら痛みに耐える時に、自分の意思とは関係なく、腰がぴくぴくと跳ねるように動き、力が入っていく感覚がありました。
「まだいきまないで!」
と助産師さん。そうか、これがいきむって感覚なのか!いきみ、って反射みたいな感じだな。痛みの中で呑気に感心する自分がいました。
そうこうしているうちに、
「子宮口全開です!」
という声が聞こえました。
子宮口全開という言葉を聞いて、少しだけゴールが近づいてきまような気がしました。
「息を吐いて!まだいきまないで!力を抜いて!」と言ってくれていた助産師さんの指示がこの辺で変わります。
「〇〇さん、次痛みが来たら、私たちの体を思いっきり蹴りながらでいいのでいきんでください。息を吐きながらね。赤ちゃん、もう見えて来てますから!」
と。
言われた通りに息を吐こうとしましたが、
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅう!、、あああ!」
と途中で痛みに耐えられず声を上げてしまうこともありました。すると助産師さんに
「声をださずに息を吐いてみて!」
と大きな声で言われました。気が狂いそうなほど痛くて満身創痍なのに、そんなこと器用にできないよ、、、、勘弁してくれと心の中で弱音を吐きました。
気づいたら目から涙が出て来ていました。身体も汗をびっしょりかいていました。
横向きのダンゴムシの状態じゃうまくいかないと判断されたのか、分娩台に仰向けになるように言われました。
痛みが弱いタイミングで体をなんとか動かし、本来の分娩の姿勢になります。
ひたすら痛みが来たら、息を長く吐きました。
旦那さんも同じように「がんばれ!ふぅぅぅぅ!」と声をかけてくれていました。
少し経ってから
「発露しました!」
と聞こえました。
はつろ?発露?赤ちゃんの頭が見えて来たってこと?あと、もう少し頑張れば終わりが見える?
いつの間にか、もう1人女性のスタッフが横にいて、一緒に分娩を見守ってくれていました。その人が自分の股の方に移動して子宮口を覗き込みました。
(後で知りましたが、この人があとで到着した産婦人科のドクターだったらしいです。)
この辺りから、痛みの種類が変わったように記憶しています。会陰のあたりが、じりじりと焼けるような痛さに変わってきたのです。
出て来ようとしている赤ちゃんの頭で会陰がひき延ばされている痛みだろうか、と考えていました。
もうすぐ我が子に会える!という気持ちよりも、早くこの痛みから解放されたい!という気持ちが強くなりました。
あと何時間この痛みに耐えればいいんだろう、と定期的に気弱になる自分がいました。
「赤ちゃんの頭、もう半分以上でてるからね!」
そして、何度か息を吐いていきんでいると
「赤ちゃんの頭!全部出てきてますよ!!」
その声が聞こえたあたりで、赤ちゃんの頭以外の何かが、ぐりんと子宮口をえぐり広げたような感触があり、今までとは違う鋭い痛みに「あああああ!」と声を上げてしまいました。
多分、先生が指を入れて赤ちゃんの頭と身体の部分を取り上げた時の痛みだったのかなぁ、と思います。
「産まれましたよ!ちゃんと泣いてますよ!」
上体をなんとか起こして、声がする方を見ると、びしょびしょに濡れて身体中を真っ赤(というか少し赤黒い)にして泣く我が子が先生に抱かれていました。
「午前7時45分!女の子です!」
やっと終わった、、!!
赤ちゃんは助産師さんに身体を拭かれて、手早くいろいろな処置をされた後、仰向けになって呆然としている私の顔の近くに寝かされました。
「お母さん、おめでとうございます。あとでお子さんと一緒に写真、撮りましょうか。」
あぁ、あれだ、あの瞬間だ。ドラマとかだと、ここでお母さんがほっこりとした顔で涙を流す場面だ、と思ったのだけれど、もっと長引くと思っていたら地獄の痛みから想定よりも早く解放されたことで、自分がこの瞬間に我が子を産んだという感慨深さがまるで感じられなかったのでした。
私の顔の横に寝かされた娘が、私の方に顔を向けたのがわかりました。
「小さいねぇ。」
この子が、私の子。数ヶ月、お腹の中にいた子なのか。
「実感が…わかない。」
そう呟くと
「お産、すごくスピーディでめっちゃ安産でしたからね。だから、実感が湧きにくいのかも。いきみ逃しも、とても上手でしたよ。」
と助産師さん。
あぁ、やっぱり早かったんだ、よかった。と、自分の運の良さに密かに感激しました。
「電話かけてきた時も、痛みを相当我慢してたんですね。」
と助産師さん。
やっとわかってくれたのか…。と口には出さず、心の中で呟きました。
娘が私の横で寝かされたまま、助産師さんがiPhoneのカメラを預かってくれて、旦那と3人で初めての家族写真を撮りました。
撮ってくれた写真を見ると、大人2人の間にいる産まれたてほやそやのふやけた身体の娘は、本当に小さく見えました。
娘はギリギリ2500gなくて、NICUに入ることになりました。
ひょっとしたら一緒に退院できないかもなぁ、と思ったのだけれど、順調に体重が増えれば一緒に退院できると助産師さんが言ってくれたのでとても安心しました。
母子手帳に記録された分娩時間、3時間15分。
病院に着いてから、なんと1時間30分で娘は生まれました。
「旦那さん、よく聞いておいてください。初産でこんなに早かったので、2人目の時は気をつけたほうが良いですよ。」
と、助産師さん。
その話を分娩台の上で聞いた私は、2人目の話は今は勘弁してくれと思いました。
陣痛の痛みを腰をダンプカーで踏まれたとか、鼻からスイカとか、いろいろ聞いてきたけど、自分が例えてみるなら、10ヶ月分のMAXで痛い生理痛が1度に押し寄せてきたような痛みだったように感じました。
また妊娠して出産となった時、これに耐えるのか…と少しげんなりした気持ちに…。
何はともあれ、小さいけれど、元気に産まれてきてくれてよかった。そして、こんなにスピーディに分娩が進んだのは、娘も小さな身体で一生懸命にでてきてくれたからだ、なんて親孝行な子なんだろう。
と娘に感謝の気持ちが湧きました。
そうこうしているうちに、後処理が始まりました。先生が身体の中にある胎盤をゆっくりと引き摺り出し、会陰などと状態を見てくれました。
「かすり傷程度だね。」
と先生。陰部に麻酔を打たれた後、数箇所だけ縫ってくれました。
会陰切開することも覚悟していたのだけれど、切らずに済んだことにホッとしました。
お産といい、後処理といい、めっちゃ運がいいやん、自分、と。
友人が以前、妊娠と出産は一人一人違うエピソードがあるから、どうか自分とお腹の赤ちゃんを大事にして欲しい、と言ってくれました。
そうか、違うエピソードかぁ、と妙に納得したことを記憶しています。
だからこそ、自分のお産の記録を残しておきたいと思って、退院してからこの記事を書き始めたのですが、退院してから新生児との生活に慣れるまでが大変で、娘が寝ている隙間時間を使ってちょっとずつ書き進めました。
相変わらず読みにくい点や、わかりづらい表現、そして、時間が経っているので分娩の経過が前後しているところもあるかもですが、これからお産を迎える妊婦さんやお産の様子に興味がある方の参考になれば嬉しいです。
また安産に向けて妊娠中に自分が取り組んだことについても、今の生活に余裕が出てきたら書いてみたいと思います。
これからお産を控えている妊婦さんたちが(そして、また遠くない未来で自分が2人目を妊娠したときに…)母子共に安心、安全に出産できますように。
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