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さよなら、小さな命

2022年6月25日、産婦人科で言い渡された稽留流産。覚悟はできていたはずだった。9週目の壁があるってことを、知らないわけではなかった。それが、自分に降りかかることだってあるんだって。

だから、診察の時には冷静でいれた。冷静に振る舞おうとしていた。

待合室に戻されてソファに腰掛けると、涙が溢れていたことに気づいた。


一つ前の産婦人科では、ピルを処方してもらっていた。PMSや生理痛がひどく、月経困難症と診断を受けていた。その頃の自分にとっての産婦人科は、肉体的な苦痛を和らげてくれる薬を出してくれるありがたい場所だった。妊婦さんばかりの待合室にいるのも、そんなに苦じゃなかった。「自分はまだそのタイミングじゃない。」そう思ってたから、幸せそうにお腹を撫でている妊婦さんを見るたびに優しい気持ちになっていた。
「いつか自分も…」と、心の中で将来のことを思い描いていた。


1度延期した結婚式を3月に控えた2月のある日。ピルを11月でやめたはずなのに、月経が始まらない。
来年度には妊娠したい。ピルを処方してもらっていた産婦人科を再び訪れた。

無月経になってしまった経緯を伝え、エコーで状態を見てもらった。
「3ヶ月経ってるのに、子宮内膜が全く厚くなってないね。これは人工的に生理を起こしてあげなくちゃ。」

そう告げられて、薬による生理を起こした。生理は3月の結婚式が終わってから始まった。

結婚式の後の診察で、「多嚢胞性卵巣症候(PCOS)の可能性があります。」と告げられた。
不妊治療の対象だと。私のエコーには一粒一粒が大きなネックレスサインが見えた。

それでも、エコーで診てもらいながら
排卵検査薬をもらい、タイミングをとった。

ある日の夜、排卵検査薬がはっきりと色づいた。
「PCOSでも、排卵はできるんだ!」と希望をもった。

生理はしばらく来なかった。予定日を過ぎて胸の張りや胸焼けを感じた。「もしかして」と期待したが、薬局の妊娠検査薬の陽性の窓には一本も線が入らない。

その数日後、いつも以上にひどい腹痛と出血があり、「そう簡単に行くわけないか」と落胆した。
(生理の倍の出血があった。もしかしたら着床していたのでは?と思い返す時がある。)

出血を確認した4月の下旬、県内でも不妊治療が有名な病院を職場の女性陣に紹介された。
即電話で予約をとった。
5月11日。初診の日まで、1日1日が長く感じた。
今までお世話になった産婦人科の先生に、紹介状を書いてもらった。


待ちに待った初診の日、
「うーん、2型糖尿病の家系だね。」とドクターはつぶやいた。「優しくない、厳しい」と定評のあるドクターだったが、そんなに怖かったり威圧的な感じはしなかった。
「あなたの場合は慎重にやっていかないと、排卵誘発剤を打っても卵巣が腫れやすかったりするからね。危ないんだよ。最初はタイミングでやって、3ヶ月でダメだったら卵胞に穴を開けよう。」

自発的な排卵に期待できないならすぐにでも卵胞に穴を開ける手術を受けたかった。

手術が夏頃になることがわかり落胆した。はやく、授かりたい。妊娠を希望するにあたり、職場の人事もいろいろ考慮してくれた。そのことがよりプレッシャーだった。「せっかく考慮したのに。」そんな声が常に聞こえているような気さえした。

血液検査の結果が出た。風疹抗体が基準より低過ぎた。旦那は留学前に風疹の注射を打ってたため基準を余裕で満たしていた。風疹抗体もダメ、そして最悪なことに私が感染症に罹っている可能性を指摘された。

次のステップは卵管造影。その前にその2つの治療をすることになった。
「手術を受ける時期が延びてしまったなぁ」
見通しがつかなくなり焦りばかり出てくる。

落胆して毎日を過ごす。仕事中も憂鬱になっていた。
そんなとき、ふと気づいた。
「生理、来てない…」
それに、毎日微熱が続いている。

生理予定日を5日ほど過ぎていた。同僚に相談した。
「検査薬、使ってみなよ。たぶん出るよ。」

その日の夜に試した。
「期待したら、また裏切られる…!」
そう思いながらぎゅっと目を閉じて3分ほど待った。
目を開けると…


「うそ…」


人生ではじめての陽性反応だった。

2022年5月24日。陽性反応。

翌日、産婦人科に電話をした。その日の土曜日に受診することになった。

「おー、これかな?うん、小さいけど、あるね。」

女の先生だった。初めてもらうエコーの写真。そこには小さな胎嚢が写っていた。

5w3d。奇跡が起きた。

「他の患者さんもいるから、見たいだろうけど、家に帰ってから見てね。」

さすが不妊治療を専門とした病院。他の患者さんへの配慮に感心させられた。

「もちろんです。」

エコー写真をすぐにバッグにしまい込み、待合室へ出た。突然のことすぎて、本当に自分が妊娠しているのか、実感が湧かなかった。それでも確かに「うれしい」という感情はじわじわと、時間が経つごとに増えていった。


6週、心拍を確認できず、数日後に受診。
「うん、これ。動いてるね。」
七週目。心拍確認。これで流産率が下がる。胸を撫で下ろした。

翌週の検診。
「あれー?排卵日がズレてるかな?8週目にしては、なんか小さめだね。」
「心拍はあるんですよね?」
「あるよー?それに、大きくもなってるから、また1週間後ね。」

この日が最後の心拍確認になるなんて思ってなかった。

9週目。
「うーん、うん。これは今回はダメかもしれないね。」
「そうなんですね。」
びっくりするくらい落ち着いて、言葉を返していた。
そっか。仕方ないよ。そう簡単に行くわけない。
胎嚢は潰れていて、胎芽もぼやけていて不鮮明だった。


手術の説明を受ける時には、涙が止まらなくなった。
全然冷静になれない自分がいた。
看護師さんが、ティシュを箱ごと渡してくれた。
手術の日も決まり、家に帰るために車に乗った。
空は豪雨と雷模様だった。最悪な日だった。

車に乗り込むと1番に旦那に電話した。
「ごめんなさい。流産だって…、ごめんなさい。」
つわりでしんどい時に、家のことを進んでやってくれていた旦那にはどんな顔して会えばいいのかわからなかった。

泣きながら運転をして家に帰った。
家の駐車場に着くと母親に電話をした。
またしても号泣しながら事情を話した。
初孫だった。楽しみにしていただろうに。実家と義実家の両親の期待に応えられなかったことが、辛かった。


旦那が帰ってきてからは、ずっと旦那に背中をさすられていた。涙がこれでもかというほど出てくる。
謝らないで、と言われても、防ぎようがない流産だったとはいえ、自分以外誰を責めればいいのかわからなかった。奇跡を与えてくれたこの子を、責めることなんてできるはずがない。

稽留流産の手術は2日後。気持ちを整理するには短すぎた。


最終確認のエコー。奇跡がまた起こらないかと期待した。

「あれ?前回と違う?」
エコーを見て驚いた。潰れていた胎嚢は風船のように丸く膨らんでいた。
またもや奇跡を期待してしまった。
それでも、大きさは前回と変わらず、心拍も確認できなかった。
「これは、染色体異常ではなさそうだけどね」
やっぱり、私の体質のせいなのか。
医師の言葉が胸を抉った。

それでも、今まで潰れていた胎嚢が最後の日に綺麗に膨らんで、見えにくかった胎芽の姿を見ることができた。
まるでクリオネのようだった。

「心拍が止まっても、わたしに最後の姿をしっかり見せようとしてくれたのかな…」

奇跡は起こらなくても、この小さな命を愛おしくおもった。

手術が確定して、そのまま部屋に案内されることになった。



麻酔を入れられる前、尿が溜まっていないと言われ、尿道から生理食塩水を入れられた。これがたまらず不愉快な感覚だった。(最終確認のエコーのためにトイレに行ったばかりだった。)

膀胱に水が溜まって尿意を強く感じる。その膀胱の上をエコーの機械で押さえつけられる。

「ちょっとまだ入れて。あと100ml。もう1回。あと50ml足して。」

本来排泄する場所から生理食塩水が入ってくる感覚が苦しくてしかたなかった。軽く拷問のように思えた。

顔を顰めたまま、点滴に麻酔が入ってくる。視界はゆっくりと輪郭を失い、左ななめの方向へ白と茶色と黄色の地層のような波に変わった。ずっとずっと左ななめに落ちていっていった。

手術は静脈麻酔だったため、残念ながら意識が残りながらの手術だった。

心電図の音と血圧計が膨らんだり縮んだりする音も聞こえていた。血圧計に圧迫される感覚もよく覚えている。不快感が体感時間を長くさせていった。

「気持ち悪い。痛い。早く終わって。」
心の中で呟きながら終わるのを待っていた。
なんでこんな目に合ってるんだろう。疼痛のような重い痛みが下腹部にあって、引っ張られている感覚があった。

波のビジョンから、幾何学模様の世界が見え始めていた。ひょっとして目が開いているままなのかもしれないと重い瞼を閉じようとした。すると視界が暗くなった。

時折、麻酔科のスタッフに、「深呼吸、深呼吸」と声をかけられる。

手術も終盤にさしかかったのか、スタッフの話し声が多くなった気がした。目を開けると手術台の天井が見えた。最初は緑色がかってみえていたが、次第に元の色彩へと戻っていった。

辺りを見回そうとして、頭を動かした。すると麻酔のスタッフに、「頭を動かすと気持ち悪くなりますよ。」と言われる。身体の感覚はまるでなく、喋ろうとしてもうまく口が動かない。深呼吸を続けていたせいか、「…ハッ、…ハッ…。」と少し声が混じった状態で息を吐いていた。

2人ほどのスタッフに「足を立てられるかな?」と聞かれた。わずかにつま先の感覚があった。自力で足を動かそうとするが、身体が冷たい鉛のように重たく感じた。

「めいわくを、かけませんでしたか?」

と寝たままの姿勢でスタッフに話しかけていた。
スタッフが何か言葉を返してくれていたのだろうけど、よく聞こえなかったし覚えていない。

「いしきのうみって、ほんとうに、あるんですね」

「うーん、落ちていく感覚があるのはよく聞くけどねぇ」

違うスタッフが話しかけてきた。

「痛かったり、気持ち悪くない?」

「いたい、です。あと、きもちわるい…」

下腹部に腹部に疼痛と、胃のあたりが気持ち悪く吐き気があった。

「今からわたしたちもお手伝いするから、あなたも協力してね!」
力強くスタッフが話しかけてきた。手術台から移動用のベッドに私の身体を移す作業をするようだった。
両足を移るベッドの方へ投げやった。
自分の力でよりも大きな力で、シーツが引き上げられ、そのまま移動用のベッドに身体がずり落ちた。

そのまま運ばれていく感覚があった。
処置室から廊下に出たあたりだろうか、旦那の顔が見えたような気がした。

「まだ眠っているんですね。」
旦那の声がした。眠ってないよ、ずっと、意識があったんだよ。旦那の声が聞こえたのを機に、一気にいろんな感情が溢れ出していた。

呂律がまわらないまま、
「ともちゃん、ともちゃん、ともちゃん」
何度も旦那を名前を必死に呼んだ。
旦那が頭の横にいて頭を撫でてくれているのがわかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
気づくと泣き喚いていた。

「あやまらないで、あやまらないで、つらかったね。きつかったね。」

旦那が私の頭をかかえこむようにして、額をくっつけてきてくれた。
「ともちゃん、ともちゃん、ごめんなさい」

旦那の目尻に光るものが見えた。私の前で一度も泣いたことのない旦那が泣いてくれていたのだ。

(私は、この人と結婚できて本当に良かった。)
思考回路がうまく働かないながらも、そんなことを思ったことをよく覚えている。

個人の病室に着くと、「一緒にいてあげてください。」と看護師さんが旦那に声をかけた。

「…さむい」

病室に着く頃には身体の感覚がもどり始めていた。
「毛布をもう一枚持ってこようね。」と2枚目の毛布をかけてすれていた。
「気持ち悪くない?」と看護師さんが声をかけてくれていた。
「きもち、わるいです。」

いつの間にか看護師さんは席をはずしていて、私は頭の横にいる旦那に呂律が回らないまま、はなしかけ続けていた。
旦那が右手を握ってくれていた。

「ともちゃん、いしきのうみがね、ほんとうにあったよ。しろと、きいろと、ちゃいろ」

旦那は手を握ったまま、相槌をうったり、額に頬をつけてくれたりしながら話をきいてくれた。

「しゅじゅつ、こわくないっておもってた。それに、じぶんはつよくなったっておもってたけど、ぜんぜん、こわかったよ、わたし、よわいままだったよ」

「こんな、おわかれは、いやだねぇ、」

右手で旦那の服を掴んで、嗚咽を漏らした。

「いきるのって、つらいんだねぇ、」
「しゅじゅつ、いしきも、あったんだよ。なんで、ねむらせてくれなかったんだろう」

前日から絶飲食で、手術直前に唾液を止める注射を打っていた。

「のどがかわいていても、なみだは、でるんだねぇ」

頭に浮かんだ言葉を、口に出していた。自分の唇のあたりにあたたかさを感じ始めたと同時に、唇が乾燥している感覚もわかるようになってきた。

「けんたいは、みれた?」
「うん、見れたよ。だけど、立ったまま廊下でこれです、って見せられて。ごめん、写真をとる暇はなかった。」
「いいよ、だいじょうぶ。そっかぁ、ともちゃんは、あのこと、あえたんだねぇ。」
「かたちは、わかった?」
「いやぁ、形まではわからなかったなぁ。何が何なのかよくわからなかった。」

そっか、まだ小さかったもんねぇ、と心の中で呟いた。

全身の感覚も血液の流れと共に戻ってくるように感じていた。

意識が完全に回復した頃に看護師さんがやってきて、体温と血圧を測りにきた。
「熱がこもっているかもね。」「血圧も、日頃ひくめかな?」
と話しかけられた。
熱はまたあとで測り直すことになった。旦那にあとで聞いたら、37度4分ほどあったそうだ。血圧もなかなか低い数値だったらしい。

「旦那さんは、そろそろご退室ください。コロナの関係で面会時間は30分程度ですので。」

「えー、まだおっちょってあげたいんになぁ。1人で大丈夫?」

頷いた。迎えの時間になったら連絡することを伝えて、旦那は病院をあとにした。

この日に旦那が一緒にいてくれなかったら、と考えるとぞっとした。

その後点滴も外れて、普通に話せるようになった。
トイレに行きたくなるが、尿道に管を通されていたことを思い出し、青ざめた。
もちろん、その時には外されていたが、排尿時にはやっぱり痛かった。

食事もしっかりと食べることができた。そのあと、先生に呼ばれてエコーと洗浄をし、退院の時間になるまで病室で待機した。帰る前に看護師さんがもう一度注射をすると言ったので、渋々その注射を打ってもらった。


不思議なもので、手術をしてからの方が、お腹の中に赤ちゃんの存在を強く感じた。
この子が流産になってしまったことには、きっと何が意味があるんだって。そう思うと、自分でも驚くほど前向きになれていた。
この流産を通して、夫婦の絆も強くなったような気がした。この人を、幸せにしなきゃ。そんなふうにも思っていた。

メンタルが復活しきっているかというと、そうでもなく、手術翌日の夜にみたニュースで、死亡という言葉を見たり聞いたりすると、胸が締め付けられた。
インスタの妊娠や出産の報告を見ると、やっぱりナーバスになる自分がいる。

強くならなきゃ。そう思うしかなかった。

職場の人から、仕事復帰を急ぐ私に、もっと休みなさい、心配は要らないと、優しく声をかけてくれる人が多かった。
その言葉に甘えることにした。
あの子がくれた時間なのかもしれない、と。
仕事復帰も術後の2日目から考えていたが、そんなに動いてないはずなのに、出血が多く微熱も続いたため、諦めがついた。

休みの間は、いままでやりたくても、できなかった家の用事をしよう。資格の勉強も捗らせよう。
これから自分が心も体も回復できて、人生を楽しめるように、準備をしていこう。今はそんな気持ちでいる。

初めて授かって、失ってしまった命を、何かの形で残したいと思い、記憶が薄れていく前に書き残すことにした。はじめての投稿が、こんな暗い内容になるなんて。
定期的に見返して、あの子のことを忘れないようにしていきたい。
蝋燭の火のようにあたたかくて、すぐ消えてしまったその命。また、戻ってきてね。

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