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合う・合わないは時間の長さではどうにもならないことを知る。

「性に合う」という言葉がある。「相性」という言葉もある。

何でも毛嫌いせずにやってみて、またある程度付き合ってみないとわからないものだが、どれだけ長い期間やってみてもやはり性に合わないものはあるし、気の合わない相手はずっと合わない事を知った。

私は最初の会社で接客業を3年、次の会社は事務系で12年在籍していた。年数だけ見れば2つ目の会社がさぞ居心地が良かったんだろうと思われるだろうが、実際は逆である。自分でもなぜ居続けたのか不思議なくらいだ。

最初の3年居た会社は、給与休日条件こそあまり芳しくないないものの残業はほぼ無く定時で帰ることが出来、友人達に恵まれ仕事自体もまあまあ楽しくやっていた。ある程度自分に裁量権があったのも精神的に良かったのだろう。転勤も基本ない職種だったので、店舗の建て替えというきっかけがなければもしかしたら今も続けていたかもしれない。

次の12年居た会社では、給与休日条件は以前より良かったのだが常に忙しくサービス残業が当たり前、社内の同僚も個性派で特に女性上司の性格が私には合わず、人数の非常に少ない会社なため自分より後に入って来る者がおらず、何年経っても常に若手扱いで難易度の軽い仕事ばかり大量に振られ、さらに裁量権も無かったし室内空間が閉鎖的だった。もちろん嫌なことばかりではなかったが、トータルで有意義な時間だったのかは疑問である。ストレスを解消する為に様々な趣味にチャレンジ出来たのは良かった点だろう。

なのにどうして続けたのか?

「石の上にも3年」「置かれた場所で咲きなさい」「仕事は辛いものだ」そんな言葉が頭をよぎったり、疲れすぎて考える事を放棄していたり、ただの惰性で続けていただけだったり、次の仕事を探すことがただただ面倒であったり、「続ければいつか好きになるかもしれない」という根拠のない期待もあり、謎の人体実験を続けていたのだ。

それと、まあまあ頑張って転職したので手放すのが惜しかったのと、これまでかけた時間が無駄になる気がするのも悔しかったのだろう。早めの損切りが出来なかった結果、損が大きくなったわけだ。費やした時間と若さは取り戻せない。

最終的には、仕事自体も上司のことも「合う」と思えることなく退職した。(ちなみに、私は退職者の補充で採用されたのだが、当の退職者とは未だに付き合いがありこんな風に言われる。「あれだけ続いたのはYUMIKOだからだよ!私は無理!」何でも続けば良いというものでは無い…)

ちょっと考えればわかることなのだけれど、昔を振り返って見れば気の合う人とはだいたい最初から何となくウマが合うし、友達に頑張ってなったこともないし、部活だって趣味だって単にやってみたくて始めただけのことがほとんどだ。なぜ仕事だけ別の次元で選ぼうとしているのか。

可能・不可能だけで言えばどうにも性に合わなくてしたくない事をし続けることは出来る。どうにも相性が悪くて気の合わない人と付き合い続けることも出来る。

しかし移動の自由と職業選択の自由のある現代日本で、わざわざそんな苦行を自分に課す必要はない。そんな無駄な時間を使うなら、とっとと場所を変えて他の事を初めてみよう。とりあえずのアルバイトの時給だって生きていくことは出来る。

苦行に耐え続けるよりも、手放して軽やかに次の場所へ向かおう。

ではでは!

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牧田ゆみこ☕️大きな独り言。
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