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冬の海
冬海や二十歳の憂ひ砕け散る
リモート生活になり、毎日お家でコーヒーを淹れるようになった。そのお供に、越前焼の小ぶりなコーヒー茶碗を愛用している。淡藤色の地に浪跡を思わせる細い横縞が幾重にも浮かぶ上品なデザイン。越前は紫式部が若き日を過ごした土地、というエピソードと相まると、優美な和紙の風合いにも見えてくる。このお気に入りは私が若い頃、冬の日本海を訪れたお土産に自分に買い求めた品だ。そしてこれで一服するたび、塩っぱかった人生のスタートラインを思い出す。
記憶はちょうど二十年前、2002年に遡る。新社会人となって初めての年が明けると、私はなぜか訳が分からないほどの衝動で「冬の日本海を見に行きたい、いや、見に行かねば」と強く思った。そして2月のある朝、名古屋から滋賀を抜けて福井県東尋坊に至る旅に出たのだ。初めて目にする冬の日本海は期待どおりに荒れ狂っていたが、凍える潮風が容赦なく顔面を直撃するものだから、記念写真を一枚撮って早々に岸から退散したと思う。その後は室内でぬくぬく、ゆっくりじっくりお土産を選んだり、普通の旅行を楽しんで帰途についた。
それから時は何周も巡ったが、この越前焼でコーヒーを飲むと、二十年前の東尋坊が立ち上ってくる。そして、今更ながらに思った。なぜあの時私は、駆り立てられるように冬の日本海を見に行ったのだろう。あの衝動は一体何だったのだろう。
当時の私は社会人一年目、静岡県浜松市で親元を離れ一人暮らしを始めたところだった。が、就職した仕事はつまらない、日々の生活では独りの大変さと寂しさを抱え、いつも心のどこかですきま風が吹いていた。期待とは裏腹の方向に延びていく人生に展望はなく、未来への逃げ道も全然思いつかなかった。
そんな時だった、冬の日本海を見たいという衝動が舞い降りてきたのは。東尋坊で海はうねり、波は全力で崖にぶつかり、最後は白泡の渦となって潰えた。絶え間なくただひたすらに繰り返す、厳然たる自然界の大きな大きなエネルギーが、暗い海で生まれては消えていく様をしっかり目に焼き付けた。翌日浜松に帰宅してからもつまらない毎日は続いたけれど、バシャーンと砕け散るあの高波は、荒んだ二十歳の心を洗い流してくれたようだった。
なぜ東尋坊だったのだろう。それは、冬の海が心象風景だったからだ。
あの頃の私は、こんなはずじゃなかった人生を前に、鬱々とした気持ちを言葉にすることができなかった。その代わりに、心に浮かんだ心象風景をリアルに見たいと思ったのだろう、荒れ狂う冬の海に行き着いた。そして、崖の上で強風に煽られ踏ん張りながら、心象風景を目の前でしっかり眺めることで、苦しい胸の内を外に外に押し出したのだと思う。
その後長く生きてきたが、心象風景が現れたことはあまりない。幸せな時代にはご縁がないのかもしれない。だからこそ、この越前焼でコーヒーを淹れると、二十歳の苦い思い出を甘く柔らかい気持ちで味わうことができる。