ロバート・フランクのアメリカ、私のアメリカ
数日前、川内倫子さんのアニエス・ベー・ギャラリーで行われた個展を訪ね、その後みんなでご飯を食べているときに、ニューヨークの友達から、ロバート・フランクが亡くなった、というニュースのリンクが送られて来た。
大御所が亡くなるたびに、いろんなことを考えるわけだけれど、今回はいつも以上にズシンと心が沈むような感覚を覚えた。ロバート・フランクがいなければ、自分のキャリアはなかったと思っているからだ。
アメリカに行って10年が経った2006年頃、ほとんど東海岸の一部でしか時間を過ごしてこなかった自分が、「アメリカ」のことをあまりに知らないことに気がついて、「全部の州に行きたい」と声に出すようになった。ほとんどの編集者の反応は「いやー、それは難しいなあ」というものだったし、それも当然だった。そして「それぞれの場所でネタを見つけてそれを口実に行くしかないな」という結論に至った。
それでも口に出し続けていると、誰かの心にひっかかることがあることがある。2008年に、当時コヨーテという雑誌の編集者だった佐々木さんが、「ロバート・フランクの『The Americans』の出版50周年記念にトリビュートをやりませんか」と声をかけてくれたのだ。
市井のアメリカ人のポートレートを撮りながらアメリカを一周するーーそんな企画だった。横断する、というアイディアもあったけれど、やっぱり北部と南部ではまったくカルチャーが違う。だから片方ではダメだと思い、強行軍だったけれど、ニューヨークを出発して北回りでポートランドに行き、カリフォルニアを南下して、メキシコ国境まで行って、南部を横断してニューヨークに帰るということになった。佐々木さんが、24Pものページ(だったと思う。今、手元にない)と旅費を予算から捻出してくれることになった。
そんな企画を立てているさなかに、別の媒体から、ケープ・ブレトン島に避暑中のロバート・フランクを訪ねる、という企画で声がかかった。ロバートのアシスタントをしていたA-chanに声をかけ、彼女がロバートに聞いたら、あっさり「いいよ」となったということだった。が、媒体はファッション誌で、2Pの本についての連載に掲載するという。正直、ロバート・フランクの重大さもわかってないなと思った。
とはいえ、私にとってはいい話である。ドキドキしながら島を訪ねた。島についてA-chanに連絡すると、近所のレストランで夕食をとるから、そこに来いと言う。
ロバートと、妻のジューンがご飯を食べていた。着席するなり、二人からの質問攻めを受けた。
ニューヨークのどこに住んでいるのか、家族はいるのか、どこで育ったのか、両親はどこにいるのか、彼氏はいるのか、どんな仕事をしているのか、休みの日には何をしているのか・・・
質問者はロバート・フランクである。必死に返事をしながら食事をしていたら、気がつけば3人は食べ終わっている。そこでロバートが一言。「食べるの、遅いね」
なんでこんな思い出話をするかというと、私にとってはその夜のことが、ロバート・フランクという人の象徴的なこととして記憶されているからだ。他者に対する飽くなき好奇心。そういう人だから「The Americans」という本ができたのと思った。
翌日、どういう経緯だったか思い出せないけれど、ロバートと二人きりになった瞬間があった。
その数ヶ月後にアメリカを旅して、書いた原稿の冒頭に書いた。入稿した原稿は見つからないが、最初に書いた原稿がメールの中に残っていた。
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夏の終わり、カナダのノヴァ・スコシア州にあるマブーの家にロバート・フランクを訪ねた。「今のアメリカ人たち」と出会う旅に出ようと思っている、そう伝えると、それまで海をみていたロバートが急に顔をこちらに向けた。
「なぜ?」
「ニューヨークに暮らして十年間、ずっとこの国のことを知らないという気持ちを抱えてきた。モンスターみたいな国だけど、私にはとてもよくしてくれた。だからこの国のことを、自分の目で確かめる旅に出たいんです」
ロバートが大きくうなずいた。
「今思えば、自分にとってもアメリカンズの旅は冒険だった。たとえばシカゴに生まれ育ったジューンはこの国にもこの国の人たちにも、まったく幻想を抱いていない。私が、あんな旅をできたのは、スイスから移住した者としてこの国に幻想を抱いているからかもしれないな。今だってそうだ。それにこの国の人々は、私にもとてもよくしてくれてきたからな 」
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そんな言葉を胸に、私は、旅のパートナーで写真家のグレイス・ヴィラミルと二人で旅に出た。初めての黒人大統領を選出しようとする直前のアメリカを、3週間強にわたって旅をし、日々、知らない人たちに話しかけ、彼らの言葉に耳を傾けた。そのストーリーは、ロバート本人が表紙になったコヨーテに収録された。ロバート・フランクという人が存在しなかったら、あの旅がなかったら、今の私という人間は存在しない。確実に。
その後も、ごくたまにだけれど、ダウンタウンの街中で、ロバートを見かけることがあった。声をかけると「おおライター!」と言ってくれた。名前を覚えていなかったのだろう。ロバートに、私の書いたものを読んでもらう機会はなかったし、私の文章の腕は彼にはわからなかったわけだから、「ライター!」と言われるたびに、「自分は本当に文筆家と呼ばれるべき人間だろうか」と思ったものだ。
私は、文字、というものを表現の手法にしている。だから、彼の写真に影響を受けた、と軽々しく言うことはできない。けれど、ロバートのアメリカ人たちに対する目線が、私がアメリカ人を、そしてアメリカを見る視線に影響を与えたことは確かである。それだけははっきり言える。そしてこの世界にはそういう人間が星の数ほどいる。だから「The Americans」は今も刷られ続けているのだろう。
ロバートの死の報は、「今これを書くことに意味があるのか」と疑問に思いながら、2019年のアメリカの物語を紡いでいるさなかにやってきた。そういうめぐりあわせって不思議なことだ。もう一度、あの写真集と2008年に私が書いたアメリカ人の物語を読み直してみよう。
備忘録:ロバート・フランクほどアメリカをクリアに見た人はいない(The New York Times)
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