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「マリファナというブギーマン」の裏バージョン+背中を押される
この日記は、「マリファナというブギーマン」の裏バージョンです。
そもそも、自分は「マリファナの本を書きたい!」という野望を持っていたわけではない。これ、おもしろいトピックだから、雑誌の記事にするべきなんじゃないか、と思った。そして記事を出した。そうしたら、文藝春秋という憧れの出版社から声がかかってしまったのである。
そんなチャンスが向こうからやってきたら、やらないという選択はないだろう、と取り掛かることを決めた。
こういう事の運び方は、自分の人生において象徴的なことだ。自分でなにかをやろう!と旗を振ることはほとんどない。ひとつのことが新しいことにつながったり、なにかやっているうちに、新しいことを思いついたりすることはあるけれど。
そういう意味で、私はきわめて受動的に生きてきたといえる。
昔、エラい心理学の教授に診察されたときに、「君は自分の人生が自分に起きるような話し方をするね」(You talk about your life like it happens to you)と言われたことがある。
能動的に参加しているというより、受動的に、起きることを観察する人生を送っているのだと。
そういうところは確かにある。ロールプレイング・ゲームのようにシナリオを与えられ、その中でコマを進めているような感じである。自分がどっちの方向に向かっているのかわからない。
これはあまり良いことではないのだと思う。ただ変え方がわからない。
一方で、期待や方向性がない分、何が起きるのかわからなくて、だからワクワクするという面もある。
ところが、今回は、向こうから現れたチャンスが、それなりの覚悟を必要とするものだった。
どちらかというと気は小さいほうである。
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