4月26日 ニューヨークの愛すべきレストランたちのこと
*過去2日間、日付が1日ずつずれていたので修正しました。
今回の数あるハートブレイクの中で、とても胸が痛むことのひとつに、ニューヨークの外食業界というものが、今、先が見えないまま完全に一時停止している、ということがある。コロナウィルスのトンネルを抜けたとき、ニューヨーカーたちが愛してやまないレストランたちが、コロナ以前と同じように、そこに私たちを待っていてくれるかどうかはわからない。
多くのレストランが、従業員をレイオフして、扉を閉めた。永久に閉じる店もある。Lucky Strikeも閉まるのだという。涙。
公共交通機関を使わないで店にいけるスタッフや、失業保険をもらえない不法滞在のスタッフで、テイクアウトとデリバリーだけの営業を続けている店もある。食材配達ビジネスに切り替えているところもあれば、医療関係者に食事を届ける活動に参加している店もある。超高級レストランのEleven Madison Parkもそんな店のひとつだ。
そんな折、Pruneのオーナーシェフ、ガブリエル・ハミルトンが、この機に書いたエッセイが素晴らしかった。オーディオで聴いた。
このエッセイを聴いて、そうだ、ニューヨークのレストラン業界は、これが起きる以前にも、ずいぶん厳しい業況に晒されてきたのだった、と思い出した。家賃、食料価格、そして最低賃金の上昇で、外食の価格はどんどん上がる一方、店のマージンは、下がっていたらしい。
Pruneは、イーストビレッジの片隅にあるとても小さな店で、予約がなかなか取れないことで知られている。とにかく小さくて、席が少ないのだ。ハミルトンが、20年間のこと、そしてコロナウィルスによる閉店のプロセスを振り返る様子を聴いていたら、急にほろっとなってしまった。
こういうニュースを見るにつけ、「非常時なのだ」とエモーショナルな反応をしないよう、きわめてストイックな気持ちで受け止めるように心がけてきたのだが、一度、涙が出ると、エモが止まらなくなった。
立て続けにThe Dailyから流れてきたのは、コラムニストが書いた、ニューヨークへの哀悼歌だった。哀悼歌−−−ニューヨークがなくなったわけじゃない。けれど、私たちが今まで「ニューヨーク」として認識していた街は今、一度、休眠状態にある。「いつもの」ニューヨークの、無数にある面倒だったり、腹が立つこと−−たとえば、雨の降った夕方、イエローキャブを捕まえるのが不可能になることとか、ハスラーがしつこいこととか、ネズミが走り回っていること−−−そういうことは許すから、戻っておいで、とニューヨークに語りかける詩に、またホロりとしてしまった。
そして、初めて、ああ、私が20年以上住んだ街は、もう同じではないのだーーその思いが一気に押し寄せてきた。
友達と待ち合わせて、バーでいっぱいのみ、テーブルがひしめき合うフロアを通って、テーブルに座り、隣のテーブルの笑い声にかき消されないように声を張り上げて近況報告をし合うーーそんな今まで日常だったことが、できなくなった。いつか、あの心躍る時間を取り戻すことができるだろうか。
ガブリエル・ハミルトンのエッセイは、今のこの時期は、これまでの世界でレストラン業界が抱えてきた問題の調整局面であることを匂わせて終わる。このトンネルの終わりに、外食産業で働く人たちにとってより持続性の高い形態が生まれることを願ってやまない。
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