世界が変わる、自分を変える
2ヶ月前には存在すら知らなかったコロナウィルスが、世界を変えた。
これまで私たちの人生を変えたテロや金融危機や大地震と、今回が違うのは、何か決定的な事件が瞬間的(または短期的)に起きたわけではなく、目に見えないウィルスというものが、じわじわと広がり、国境や人種を越えて、人を病気にしたり、殺したりしながら、世界中に広がったというところだろう。
じわじわとやってきたから、それに順応するペースは、場所によって違う。それぞれの国の政府の対応にはお国柄が出るし、未曾有の危機を前に「これまでの生活」と決別するかの決断をどれだけ早くできるかで、結果の違いが出てきている。
それに対する国民たちの反応も、まったく違う。初動の対応が遅れ、ハグやキスもやめないよ、という態度をしていたイタリアは、あっという間に感染国のトップに躍り出た。友達の息子は、もう2週間以上、アパートを出ていないのだという。大人が想像しただけでも気が狂いそうなのに、子供にとったらどんな地獄だろうか。
今、東京にはいないけれど、周囲の話を聞いてみると、リモートワークは浸透していそうだけど、仕事に行っている人も多そうだし、自粛ムードは漂いつつも、みんなそれなりに外に出たりもしていそうだ。子供たちはどうしているのだろう。
私が3月2日に戻ったときのアメリカは、驚くほどの平常運転だった。ニュースを見てやきもきしたわりには、入国審査はいつもどおりで、中国に行ったかも聞かれなかった。最初の週は、ほぼ予定どおりに何もかもが進んだ。アメリカ政府は「ノービッグディール」という態度をしていた。2週目から空気感が変わり始めた。ニューヨーク市は、人混みを緩和させるために、リモートワークを奨励し、地下鉄の利用を減らすことを呼びかけ始めた。レストランに通常のキャパの50%で営業するようにお達しを出した。
ウィルスの存在を感知してから、中国からの入国を制限した以外、ほとんど無策だった政府は、国内での感染が見つかるとともにその無策が強い批判を浴びるようになって、急にヨーロッパからの入国を制限し、入国者の健康チェックを開始した。民主党側の政治家たちは、コロナを危機ととらえ、集会や外出を控えるように呼びかけ、共和党側の政治家は「外出して経済をまわそう」という論調で、一部には「コロナは民主党のでっち上げ」などと言う論客も登場したが、そのあと、番組を外された。
コロナに対する態度の違いには、世代も作用している。私のまわりのジェネレーションXは、わりとあっさり「しばらく社交は我慢」、「感染させないように、親や老人とは会わない」に切り替え、むしろ「外出するなよ」圧さえ感じさせてくるのだが、ニューヨークの街の様子を(ネット状で)見ると、そうでない人たちもたくさんいるのだということがわかる。危険だと言われているのは、ハグや集会などの習慣を変えたくないベビーブーマーと、「若いから大丈夫」と思っている若者たちだそうだ。先週の終わりから、普通に混雑しているバーの様子などがソーシャル・メディアで拡散されるにつれて、行政も「いよいよまずい」と思ったのかもしれない。急に今日になって、いよいよシャットダウンが始まった。レストランとバーは、テイクアウトとデリバリーだけの営業になることになった。薬局やスーパー、食料品店以外のビジネスはしばらく閉店し、世の企業もほぼ全面的にリモートワークに切り替わった、工場は稼働を減らすという。どこも「とりあえず1〜2週間」などといっているが、2週間の間に、ウィルスが封じ込められると思わせてくれる材料は何もない。ついに、当面の間、「不要不急」なものはすべておあずけ、ということになりそうだ。
今回の「大事件」が、私の人生の中で起きた過去の歴史的大事件(テロ、震災、ハリケーン、金融危機)と違う点はもうひとつある。既存の金融政策が効かないところだ。過去には、この規模の不安定要素が発生すると、FDRが金利を下げ、資金を市場に流入することで、消費を盛り上げ、危機を乗り切ってきた。今回は、それが通用しない。経済をまわしていくための方策が、ウィルスの抑制という面からは致命的になるからだ。となると、経済は一時的には縮小せざるをえなくなる。そして、「普通」が戻ってくるまで、どれだけ時間がかかるかわからない。
しばらくの間、家族や同居人以外の社会との交流は、オンラインが中心になる。物理的に空間をシェアするときには、6フィート(3メートル)の間隔を取れと言われている。これは、現代人のインタラクションの概念を根本的に変えるかもしれない。急に「電話で会話する」ということが増えた。移動が減った分、人と話す余裕ができたし、声というものを改めて味わうようになった。
先週、同じ年の知人が亡くなった。インフルエンザからの肺炎と言われたが、本当のところはわからない、とのことだった。自分の世界に生きていた人が亡くなる、ということが、これから、少なくとも今まで以上に起きるのだろう。空の旅のハードルが上がったことで、葬式というものが本質的に変わるかもしれない。
そして私の周りには、週が開けて、急に、仕事がなくなった人たちが溢れている。何もかもがキャンセルになり、経済活動がストップしたからだ。そして、この状況が、いつ終わるのかはわからない。経済が正常に戻るのに、どれだけの時間がかかるのかわからない。来月の頭、家賃を払えない人もわんさか出るだろう。こういうことはどう処理されていくのだろうか。
おまけに、この危機が起きたのは、アメリカ大統領選挙の準備選の真っ最中のことなのだ。ジョー・バイデンがバーニー・サンダースの息の根を止めるか、と思われたタイミングで、コロナの危機がヘルスケアをめぐる議論をシフトさせた。トランプ政権は、素人の集まりだというところが裏目に出て、失策を繰り返し、株式市場の下落とともに支持率を急速に落としているが、国全体がクライシスモードに入って、政治的なムードも秒速で変わるので、今後の展開がますます読めなくなってきた。
何から何までわからないことばかりだ。
今、望むのは、この歴史に残る未曾有の危機から、何か怪我の功名が残ることだ。感染の中心が、製造業の中心である中国から、第二の製造業の中心だったイタリアに移ったことで、世界のサプライチェーンが麻痺している。人を食わせるためだけに肥大化した、不必要な物資をポンプのように生産するシステムにブレーキが、少なくとも一時的にはかかった。これまでの消費カルチャーは、必然的に調整を迫られるだろう。医療やサイエンスが、文明というものにとってどれだけ大切な命綱であるかということが明らかになった。人類全員が「本当に必要なものはなにか」という疑問をつきつけられている。
人類が、この局面に、賢い選択をできるだろうかと考えると、楽観する気持ちにはなりづらい。この数ヶ月の間に、ウィルスより怖いのは、不安に駆り立てられた人間だ、という例はいくらでも見てきた気がする。アメリカでは、銃の売上が急上昇している。それもファースト・タイム・バイヤーが多いらしい。もともと小さかったこの国から、銃がなくなるチャンスが、さらに小さくなった。
明日も、明後日も、そのあとも、世の中は少しずつ変わり続けるだろう。
先週1週間、計画どおりに、書く予定だった原稿を書きながら、この新しい現実と立ち向かっていた。
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