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履歴書⑥ひつじ、語学学校へ通う

noteの更新が滞りがちのにしやまです。先日のイベントで、note楽しみに見ています!との声をお客さまから頂き、とっても嬉しく思いました。(お菓子を美味しいと言ってもらうより嬉しかったかもしれません!)そんな方も居てくださる事に感謝しつつ励みにして、更新頑張ります!

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今回はフランス語の語学学校へは一か月通った私ですが、その間のお話です。そして、最初に言っておきますが1ヶ月通ったくらいじゃ凡人はフランス語は喋れるようになりません(笑)

初登校日

いよいよ学校へ行く初日を迎えた。前日に語学学校の手配をしてくれた代理店の資料を読み返し何時から授業開始かチェックして準備万端で眠りについた。勉強が嫌いな私は正直、とても気が重かった。出来れば行きたくなかった。

朝ご飯を済ませると出かける前マダムが「ボンクラージュ!」(頑張ってね!)と見送ってくれた。学校への交通手段はバスで、前日にマダムから何番のバスに乗ってどこで降りるのかを教えてもらった。

バスに乗り学校の最寄のバス停にも無事にたどり着いた。学校の場所はシャルル・ドゴール・エトワール。有名な「凱旋門」のすぐそばだった。

画像や映像でしか見た事のない凱旋門が目の前にあり、そしてこれからしばらくは毎日見る事になるのだ。私は改めてパリに住んでいるのだな!と実感し嬉しくなった。

バスを降りると早速迷子になった。地図はまあまあ読める方だと思うが、道が全く分からない。パリの街は京都のように碁盤の目になっていない!路地が多く、とても入り組んでいて迷路のようだ。しかし、道の真ん中で悠長に地図など見ているとスリに目をつけられてしまうかもしれない為、そうもしてはいられない。

学校の始業時間も迫ってきていたので、焦った私はちょうど通りがかった上品な服装の人の好さそうな黒人マダムに地図と住所を見せ道を尋ねた。

マダムはとても親切に教えてくれた。言葉は分からないが何となく理解出来、何とか学校にたどり着いた。学校に入るとあまり人はいなくて静かだった。自分の所属する教室の番号を見つけドアを開けると、どういう訳か既に授業がはじまっていて、教室中の人全員にジロリと見られとても恐縮した。

席は自由な為、日本人っぽい女の子が座っている隣にコソコソと座った。まさかの、初日から遅刻である。どうやら代理店と学校の情報が噛み合っていなかったようだ。

その日の先生は中年女性で、英語などは一切使わず(英語も分からないのだが)全てフランス語で進められる。当然分かるはずもなく、とりあえずテレビを見るように先生を見ているだけしか出来なかった。

最初は基本的な文法や発音や簡単な筆記をしたりして授業は進められた。この辺りは京都で語学学校に行っていたので何となくついていけた。

日によって担当の先生が変わった。初日の中年マダムと、もう一人はオドレイトゥトゥの「アメリ」に洋服も髪型もそっくりな先生だった。リアルなコスプレを見ているようで嬉しかった。

それから土日以外は毎日学校に通った。一日の中で授業は数時間なのであまりの時間は相変わらず散歩をしたり、観光したり宿題をしたりしていた。

京都のカフェのオーナーが紹介してくれた「元スタッフ」の方にもこの頃コンタクトを取り、学校が終わった後に有名なケーキ屋さんなど案内してもらった記憶があるが、正直ケーキを見てもそんなにトキメキは感じず、自分がこういう所で本当に働くのだろうか?と実感も全くなかった。

学校は10人ほどのクラスで、日本人は私を含めて4人くらい居たと思う。あとは世界中の人がいた。カザフスタン、インド、イギリス、韓国、スペイン・・・

私はシャイなので、他の国の人にはあまり話しかける事が出来なかった。初日に隣に座っていた女の子「ナホコさん」と仲良くなり、学校が終わったら彼女と色々な所へ出かけた。

ナホコさんは千葉大学で都市計画の勉強をしている学生さんで、パリの都市計画を学ぶ為、休学をして留学していた。おっとりしているが、知識が豊かで、パリの役立ち情報など教えてもらったりお話するのが本当に楽しかった。

そういえばナホコさんと「カタコンブ」(カタコンベ)という地下にある共同墓地にも行った。パリへ出発前に、スナックのお客さんで地震の研究をしている大学の先生からカタコンブの話を聞いていてとても興味があったので、行けた時は嬉しかった。(あそこはさすがに一人では行けない)

カタコンブはとにかく骸骨が見たことも無いくらい大量にあるのだ。噂ではモーツアルトの骨も混ざっていると聞いたが・・・定かではない。

ナホコさんは語学学校が終わってからもたまに会ったりしてとてもいい友人だった。

余談だがその後、彼女はシテ・ユニバシティという学生寮が集まっている場所に引っ越した。そこは面白い場所で、各国をイメージした建物が寮になっているのだ。中でも日本館は人気で、入居の競争率が激しいと聞いた。スイス館、ブラジル館などはル・コルビジェの設計した寮だったりする。

そんな中ナホコさんはなぜかインド館に入居が決まったらしく、面白そうだったので遊びに行った。玄関を入った瞬間からスパイスの匂いが立ち込めていてまさにインドだった。台所の前を通ると数人のインド人らしき方々がみんなでカレーを作っていた。皆さん笑顔でフレンドリーに挨拶をしてくれた。

その頃、ナホコさんはパリの水が合わないのかひどい肌荒れに悩んでいたのだが、同じ寮のインド人女性にその事を話すと、肌荒れに効くというスパイス各種を調合した自家製の軟膏を作ってくれたらしい。

その軟膏を見せてもらったが、見た目もカレー色で匂いもカレーだった為、それを顔にぬっているナホコさんを想像すると、申し訳ないが笑ってしまった。はたして効果はあったのか・・・定かではない。

帰国後、ナホコさんとは音信不通になってしまい、今はどこで何をしているのか全く分からない。自分ひとりでは知る事の無かった事や経験をさせてくれた彼女にまたいつか会えたらいいな、と思っている。

さて、語学学校に戻る。が特に何もない。。。毎日通って宿題をしてという日々が過ぎた。しかし、分からないなりにも授業でずっとフランス語を聞いていると、喋れはしないのだが先生の言っている事が何となく理解出来るようになってくるのだ。これが1ヶ月じゃなく半年のコースなどにしていたらもっと上達したかもしれないと思う。

家ではたまに娘さんが宿題を見てくれたり「今日学んだ事を教えて」と復習のお手伝いなどもしてくれた事もあった。私がもっと積極的な性格なら色々と娘さん達に質問したりして語学力も上がったのだろと思うが、シャイな私は遠慮してしまい、なかなか心が馴染めなかった。

その後、ホームステイ先にもう一人日本人の女の子がやって来た。ピアノ留学でパリに来た「ナカさん」という子だった。私はナカさんともすぐに打ち解け、彼女とも色々な場所へ遊びに行った。

大きなトラブルも無く、パリ生活を謳歌していた私だが、語学学校は1か月間しかない。次からは、誰に頼る事も出来ず自分で住む部屋を探し、仕事を探さなくてはならない。

その当時の私はパリではなくアルザス地方で働きたいと思っていた。パリはあくまで、観光気分でいれればいいと思っていた。アルザスに行きたかった理由は、フランス人の有名パティシエは何故かアルザス出身の人が多かった為、何か理由があるのでは?と興味を持っていたからだ。

学校が休みの週末に一人でアルザス地方で一番大きな街、ストラスブールまで行ってみた。TGVという高速鉄道に乗って初めての遠出である。たどり着いたストラスブールは本当に本当に!素晴らしい街だった。しかし、今回は観光ではなく働きたいお店を見つけに来たので、ぼんやりはしていられなかった。

ストラスブールの有名なパティスリーを事前に調べ、一つづつお店を回った。ところが、どういう訳か心動かされるお店は一つも無かったのだ。パリのパティスリーのお菓子の仕上げレベルも日本に比べればとても低く、こんなの商品にしていいの?と思う事もしばしばあったが、ストラスブールは地方という事もあり、パリを上回るクオリティの低さだった。見た目はひどい物が多いのだが、それでも味は美味しかった。

しかし、ここで働かせてください!と言いたくなるようなお店は無かった。バラ色の美しい壁を持つ大聖堂が夕日に照らされるのを見ながら途方に暮れた。

私、どうしよう。である。もやもやとした不安の中パリへ帰った。数週間しか暮らしていないパリの街もホームステイの家もすでに懐かしく、ほっとした。

学校が終わる日も差し迫り、とりあえず次に暮らす為の家を確保しなくてはならないので、パリで初めてアパート探しをした。その後、私は3回も引っ越しをする事になるのである。

つづく。。。


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